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03-23:パンドラの箱は閉じたまま


 同時刻、Bチームの三人と同じように、Cチームの三人……八十谷弥勒、小鳥遊姫叶、丁嵐涼偉の三人もメーヴィスの方舟の異能構成員に襲撃されていた。

 それもこちらは、最初から二人がかりで。


「くくっ……ほーれほーれ。そんな緩慢な動きじゃあなーんにもできないぞぉ?」

「逃げてちゃ何もできないよー? ほら、おいでー!」

「……もう少し静かにやれねぇのかお前らは。連れが騒がしくてすまん……この拳に免じて許してくれ」


 ……否、敵の数は三人。3対3、それぞれ一人ずつの戦いを弥勒たちは強要されていた。


 黒のオーバージャケットを羽織り分厚いゴーグルで目元を覆った陰気な男と、水色のパーカーを着崩したウルフカットの可愛げのある少女。

 そして、赤茶色の髪をコーンロウにした大柄な男。

 三人揃って強力な異能持ちであり、襲撃して早々に異能部の三人を劣勢に追い込んでいた。


「う、っぅ……あーもう! 調査初日に来ないでよ空気読めない阿呆共がさぁ! せーめーて、四回目とか心の準備ができてる時に来いよ! おい聞けよクソ!」

「先輩落ち着いて! そんなに魚キライッスか!?」

「ちがう! デカい魚がキライなの!! 可愛くないのホント無理!!」

「……女子ッスか?」

「偏見だよ後輩!!」


 大声で叫ぶ姫叶のそれは焦りの証。廃墟を拳一つで破壊しながら迫ってくる人型の怪物と、群れを成して襲ってくる巨大な魚群から必死なって逃げている。

 それは涼偉も同様で、獲物を狙う狩人のように隙を狙いながらも、二つの怪物から例え無理にでも距離を取ろうと駆けていた。

 二人が逃げを選ぶのは、猛攻を耐え凌ぐ為。

 サイズを可変させても異能で生まれた魚の群れには数の暴力で無慈悲にも打ち破られ、風狼の一撃は獣の巨腕をもって軽く防がれる……

 現状二人の攻撃は無慈悲にも通用していなかった。

 そんな状況、そんな相手と二人は戦う羽目になっていた。


 そして。


「んっ……ん……身体が、重い? 遅く……なって……なにが…どう……なっ…て……?」


 この場における最高戦力である弥勒は、ゴーグルを嵌めた青年と1VS1で対峙していた。

 だが様子がおかしい。

 弥勒はいつも通りに大鎌を振るい、その身体捌きをもって目の前の敵を討とうとしているのだが、何故か全ての動きが異常なまでに鈍く、遅くなっている。

 それはまるで、スローモーションに設定されているかのような……


 事実、弥勒の動き、果てには言葉までもが自分にも周りにも見てわかる程にゆっくり遅くなっていた。


「空を泳ぐ魚───空想上の非現実を、その絵空事をこの世界の現実に落とし込む……ありえないを可能にするって……素敵でしょ? 素敵って言って?」

「襲われてなかったら言えてたかな……!」


 姫叶の背をずっと追いかけるマグロの群れ。それは異能構成員である少女の背に展開された青い波紋から延々と湧き出ている。よく魚たちを見れば海のような青色のオーラを纏っていて、何処か現実味のない形で宙を泳いでいる。

 術者の少女の名は魚飼耶央(うおかいやお)。古代から現代におけるあらゆる“魚”を無から具現化して操作する異能者。

 方舟に所属するうら若き異能犯罪者である。


 相対する姫叶は、異空間に小さくして収納していた武器のサイズを戻したり大きくしたりして飛ばすが、それ以上に泳いでくる魚の量が多い。

 物量を圧倒する技もあるが、今の姫叶は逃げるのに精一杯。冷静になれていないが故に、不利な状況から脱げ出せない姫叶。

 襲撃された動揺から、姫叶は立ち直れるのか否か。


「かーわいっ♪ こっちおいでよ〜」

「やなこった!」


 耶央は不可思議な空飛ぶ海魚を率いて、可愛らしい風貌の姫叶を捕まえようと迫っている。


 そう、彼女は姫叶を女の子だと勘違いしていた。


「ほーらこっち来るッスよ!」

「……ふん、いいだろう。その誘い……乗ってやる」

「……!」


 狭い路地を駆け抜ける涼偉は獣の男との一騎討ちを選び、他の敵との戦いに専念している仲間たちが巻き添えを喰らわないよう距離を開けんと駆けていく。

 男───混芭獣兵衛(こんばじゅうべえ)はその誘いに乗り、進行方向の建物やら塀やらを破壊しながら涼偉の背を目印に突き進んでいく。


「はぁ───!!」

「ふんっ……」


 やがて辿り着いたのはかつて広場があったと見える開けた場所。

 誰かを巻き込むことも無い古寂れたフィールド。

 ここを戦地と決めた涼偉は、それでも足を止めずに駆け続け、風を纏って速度を上げていく。

 立ち止まれば、獣兵衛の猛攻を浴びてしまうから。


「すまんな。これも仕事なんだ───死んでくれ」

「ッ……あぶなっ、掠った……! ホント、油断も隙もありゃしないッスね……!」


 心にもない謝罪を述べ、獅子と猿と魚の鱗を混ぜて巨大化させたような腕を振るう獣兵衛は、走る涼偉の位置を予測し、的確にそこを狙いながら攻撃を仕掛けていく。

 混芭獣兵衛の異能は、俗に言うキメラという怪物のように身体を複数の獣の部位で置き換え、混ぜ、力にするもの。

 複数の獣が合わさり、獣兵衛の力を底上げする。

 一部が蛇と化した赤茶けた髪も、猿や馬、犬という属性を混ぜすぎたような形状の剛毛の尾、複数の獣でできた強靭な手足……身体の全てが凶器となった男。

 それが混芭獣兵衛が誇る獣性の暴力であった。


 今のところ風の防壁と上昇していく速度で大事には至っていないが、それも時間の問題。

 強靭な肉体と防御のせいで、涼偉の技は通らない。

 それでも決定打となる一撃を狙って、涼偉は速度を上げていく……


「ごめんねぇ。ぼかの異能はキミみたいな速いヤツをスローにするもんなんだ……時間が経てば経つほど、キミの動きはゆっくりノロマになっていく……」

「ん…………」

「ほらぁ、なんとかしないと。遅すぎてぼかのこと、倒すなんて夢のまた夢だよぅ?」


 そして、最も苦戦しているであろう弥勒の相手。

 まんまと術中に嵌った弥勒を見て卑怯地味た笑いを隠さないその男の名は、重枷足穂(おもかせたるほ)

 不可思議な異能をもって弥勒の動きを遅くした男。

 マークした対象のあらゆる動きを緩やかにする事でどんな強者であろうと弱くしてしまう異能の持ち主。

 つまり、今の弥勒は隙だらけの恰好の的。

 第三者が遠距離から重枷を倒すか、弥勒をここから攫って移動させない限り、応援が来ない限り……


 弥勒に勝ち目はない。


(ん……厄…介……あ………思考、も……)


 全ての動き。思考さえも鈍重になって考えることもできなくなっていく。

 近付こうにも遅すぎて近付けない。

 隙がありすぎて、何時でもトドメを刺されてしまう恰好の的。


 絶体絶命。その異能の力により百戦百勝の重枷は、無表情の下で焦っている弥勒を見て、歪に嗤った。


 日葵たちBチームと違って連携のできない、敵達に有利な戦闘フィールド。

 助太刀するには追いつけず、やるのなら邪魔をする目の前の敵を自らの力で倒さなければならない。

 そうしなければならないことをわかっている。

 わかっていても、行動に移せない。動けない弥勒も速度を維持続ける涼偉も、魚群から逃げる姫叶も……焦りが邪魔をして、思うように戦えない。


 苦戦するCチームの戦いが、今始まった。






◆◇◆◇◆






「くそ、くそ……どうしよどうしよどうしよ……!」


 息を荒らげてスラムを駆ける姫叶は、背後から迫る怪魚から逃げ続ける。


「あはは〜、待て待てー!」


 自分から必死に逃げ惑う姫叶を見て、耶央は思わず狩る側の人間の気持ちになりながら散歩気分で追いかける。

 背後に展開した青い渦から無限に怪魚を具現化して戦力を充実させる。

 本来は逃げる側なのに追いかける側になっている。

 これ以上の優越感はないだろう。相手が見た目でも侮りやすい姫叶なのも余裕になる原因の一端だろう。


「っ……あぶっ……くっそ、どうすれば打開できる? どうやったら勝てる……!?」


 冷静になれない思考。動揺と困惑、命を狩りに来る怪魚という驚異への恐怖……それらに支配されている姫叶は、危うい状況を必死に回避し続ける。

 何度も何度も噛みつかれかけるが、持ち前の体技と反射神経で生き残れていた。


 心の何処かではわかっている。今の自分はまともに物事を考えられていないと。

 わかっていても対処できない……どうしよもない。

 半ば諦めが入りながらも、誰かが助けてくれるのを待ちながらも、思考の片隅で姫叶は打開策を考える。


 自分の弱さでできることを考えて、考えて考えて、いつの間にかチームの仲間から遠く離れて、そこまで距離が離れたことにも気付けなくて。


 考えることを止めないで……一つの記憶が、過去の情景が脳裏を掠めた。


『───私たち異能部は不利になりやすい。何故なら後手に回って対応しなければならない……そんな戦いばかりだからだ。空想相手には先手が取れていても、人相手にはそうはいかない。だから私たちは、どんな状況でも乗り越えなければならない。逆境に抗って、気合いで駆け上がって、頑張って頑張って……な』


『ま、一番なのは心に余裕を持つことだ。どんな時も余裕がないと……勝てる相手も勝てないぞ』


『そう、まずは冷静になれ。君は直ぐに焦るからな』


「あっ……」


 夕焼け空に照らされた部室で、かつて部長から……否、部長になる前の神室玲華から送られた助言が一瞬姫叶の脳裏を過ぎる。

 入部したばかりで今よりも弱かった頃の苦い記憶。

 その中に残る、自分が今も前に進める一因となった言葉を思い返して───立ち止まる。


「ッ……うっ、ぐっ……離れ、ろ!!」


 立ち止まったせいで魚群に追いつかれてピラニアに噛まれるが、異空間から取り出したバットを大振りに振り回して引き剥がす。

 痛みに耐えながら殴った魚群は、ダメージを与えたことで光となって霧散する。その光景を見て内心敵の異能の特性を見抜きながらも、姫叶は無言で思考を回す。


 そして、一年前から密かに恋する同年の少女の顔も思い浮かべて……


 やっと、逃げを選んだ少年は決意を固める。


「これ以上逃げたら……男が廃るよね……ただでさえ揶揄われてるのに……うん、ちゃんと戦おう」


 何処ぞの黒髪白メッシュアウトロー女が指をさして馬鹿笑いする姿が容易に思い浮かぶ。

 このままだと毎回会う度に笑われる生活になる。

 そんな予感に悪寒を抱きながら、姫叶は頭を振って雑念を放り捨てる。


「ふぅ〜……あ、来んな来んな。殴るぞ!」


 懲りずに襲ってくる怪魚の頭部を殴って光の粒子に変えながら、姫叶は未だ悠然と歩き寄る耶央に視線を向けて不敵に笑う。

 ───余裕でいられるのはここまでだ。

 同級生と上級生におんぶだっこ。後輩の前でそんな無様を見せたくない。その想いもまた、姫叶の背中を押して前に進める。

 冷静になった思考は、一つの勝ち筋を見せた。

 怪魚の圧倒的な物量をなんとかできる手法が自分にあることを、姫叶はやっと思い出した。


 熱を手にした少年は、ようやく戦いの土俵に立つ。


「よし!」


 両頬を叩いて喝を入れる。もう逃げは選ばない。


「まずは見せつけてあげるよ。やればできるって皆に豪語されてる……僕の実力ってやつを!」


 絶えず迫り来る巨大な魚群に対して、異空間に手を突っ込んだ姫叶は小粒サイズに縮小された爆弾を複数召喚する。

 その小型爆弾は、爆弾処理等の検定を受けて特別に許可が降りた姫叶の武器の一つ。

 触れたモノのサイズを変えることしかできなかった少年が、努力で手に入れた殺傷力のある武装。人には使わないと約束した殺意を、彼は異能に向けて使う。

 拳の中に握り締めた爆弾を投擲して、縮小の魔力を解けば───本来のサイズ、拳大の爆弾となって異能の魚へ逆襲する。

 爆薬の代わりに魔力を内包した異世界産の爆弾は、構わず突進する魚たちの一匹に触れた瞬間……起爆。


「きゃっ!?」

「ぐッ───!」

『ーーー!!』


 爆弾は連鎖して、あっという間に魚群を一掃した。

 衝撃で姫叶も後ろに吹き飛ぶが、すぐに立ち上がり体勢を整える。

 咄嗟に壁となる魚を具現化して爆風から身を守った耶央は、光の粒子となって消えていく自分の魚たちを見て顔を顰め、魚の歯と鱗、そして爆風でボロボロになった姫叶に殺意にも似た視線を送る。

 イラつきながらも、耶央は余裕の態度を貫き通す。


「爆弾なんて危ないなぁ。で、逃げなくていいの?」

「げほっ、ごほっ……うん、もう逃げないよ。流石に頭が冷えた……僕ってさ、こう見えて負けず嫌いなんだよね。だからさ、勝つよ……!」

「ふーん。そんなにボロボロなのに? さっさと諦めて負けた方がさぁ……身のためなんじゃないかな!!」

「関係ないよ! こっから先は……僕のターンだ!」


 勝てなくてもいい。でも、負けてなんてられない。

 絶対に倒れないという不屈の意思と、密かに恋するあの子へ勝利を送りたいという俗物な願望と、耶央を自分に釘付けにして逃がさないという戦略……

 それら全てを一つの意志に内包して、勝ってやると希望を空に掲げて、姫叶は反撃の幕を切った。


「爆弾なんてぶっそーなのがあっても、数の暴力には勝てないってことを……そのちっちゃな脳みそに……私のお魚さんたちで叩き込んであげるよ!!」

「じゃーその威勢、僕が根こそぎ壊してやるよ!!」


 好戦的に笑い合う二人は各々の異能の出力を上げ、目の前の敵を潰さんと力を捻り出す。

 姫叶は異空間から縮小させた武器を大量放出。

 耶央は魔力が続く限り無限に湧き出る魚群を現実に具現化して、大群を一斉に姫叶へと差し向ける。


「<弾団放(だんだっぽう)>!!」


 姫叶が使ったのは縮小の魔法を解いた複数の鉄球。宙に浮遊させた鉄球は巨大な鉄塊となって、迫り来る怪魚の群れに向かって弾丸のように射出される。

 強者であったとしても防御無しに直撃してしまえばタダでは済まない鉄の塊が、姫叶の精密な魔力操作で正確な軌道を描いて怪魚たちの体を貫いていく。

 魔力量自体は多くない姫叶だが、この一年の鍛錬でその少なさを補う魔力操作技術を手に入れている。

 少ない魔力で戦う戦法……それが姫叶の戦い方。

 複数の鉄球を同時に操り、正確無比の軌道をもって空想を破壊する。


 耶央を狙った弾丸は海亀が盾となって防がれた。


「ッ……やるじゃん。お魚さんたちの耐久力は、もう見破られてるってわけ?」


 異能によって作られた耶央の魚群は、魔力によって形作られた偽物。魚形を形成する魔力が霧散してしまえば、その形を保つことはできずに消滅してしまう。

 その耐久力の脆弱さを、姫叶は突く選択を取った。

 異常に硬い相手ではない。己の異能出力でなんとか対処できる……否、してみせると。


「ふぅー……私だって魔力が多いわけじゃないのに」


 耶央は無意識に爪を噛みながら戦闘を分析する。

 魚群を差し向け、異能の防御網を突破。そうすればまとわりつかせて怪魚に噛み殺させれば耶央の勝ち。逆に無限に湧き出るその物量を乗り越えて術者である耶央を倒せば、姫叶の勝ち。

 どちらも物量にものを言う戦い。

 どちらが勝つかは、魔力が尽きるか、貯蓄している道具が尽きるかで変わる。


「……いーよ、本気でやってやろーじゃん!! 全力で貴女を潰してあげる!!」

「こっちのセリフだよ犯罪者!!」


 物量と物量の第2ラウンドは、こうして始まった。






◆◇◆◇◆






「ッ、ラァ!!!」

「ほう……タフだな、小僧。その歳しては申し分ない強さだが……この俺には届かん。失せろ」

「いやッスね!」


 ところ変わって丁嵐涼偉と混芭獣兵衛の猛獣対戦。


 涼偉が放った風を纏った蹴りの一撃は、腕を構えた獣兵衛の防御を貫くには威力が足りず、そのまま軽い手振りで振り払われてしまう。

 複数の獣の要素を混ぜた───所謂キメラのような肉体を手にする獣兵衛は、多彩な獣性をもって戦う。

 頭突きの際はサイの角を突出させ。

 背後からの不意打ちは甲殻を纏った尾を出したり、毒針をもったハリネズミの棘を生やして防御したり。

 あらゆる状況をその時々に合わせた選んだ獣の力でカバーする……


 それが混芭獣兵衛の、〈咆哮〉という通り名を持つ異能犯罪者の戦い方である。


「ふんっ───!」

「ガッ!?」


 混獣の一撃が涼偉のガードを貫き、勢いよく後方の廃墟へと吹き飛ばす。落ちかけた思考を維持でも保ち瞬時に立ち上がった涼偉は、即座に飛んできた追撃を転がって避け、拳を構え直して反撃に出る。

 殴って蹴って叩いて潰して吠えて打ち合って……

 拳と蹴りの応酬は、どれだけ時間が経っても果てが見えない、終わらない。


「ッ……殴り合いにはけっこー自信あったんスけど、こんなにボコボコにされたのはアンタが初めてッス! うちのヤンキーといい勝負ッスよ!!」

「俺としてはそのやんちゃ坊主に興味あるがな」

「あ、女ッス」

「なんだと?」


 異能込みの殴り合いでは涼偉よりも現役ヤンキーの茉夏火恋の方が上だ。炎と風が合わさって火災旋風が頻繁に起きたり、アッパーカットで天井を互いに突き破って大目玉を食らったりするが、二人は定期的且つ理由もなく殴り合っている。

 ただそうしたいから、拳の語り合いを毎日のようにやっている。

 

 故に、涼偉の近接戦闘力は高い。入部前と比べてもその違い、成長の速さには目を見張るモノがある。


 だが、元プロの格闘家には……その一撃は届かず。


「どうした? これで仕舞いか?」

「いーや、こっからッスよ」

「その割にはさっきから同じことの焼き回しだな……ハッキリと言おう。つまらん」

「ッ……じゃ、ちゃんと楽しませてやるッスよ!」

「ふん、どうだか、なっ!」

「たあっ!」


 涼偉と相対する獣兵衛にとって、今の時間は遊びに過ぎない。自分よりも格下の異能者を相手にここまで時間をかけているのも、ただ涼偉に付き合ってるだけなのだ。

 その気になれば涼偉を一撃で昏倒させて、縛り上げ担ぎあげて商品なり人質なりにして連れ帰れる。

 それをしないのは、一重に退屈を紛らわすため。


 いつだって強者の立場にいた獣兵衛は、いつからか戦いというモノに魅力を見いだせなくなっていた。

 退屈になったのだ。

 何も感じなくなったのだ。

 つまらないのだ。

 戦いへの熱意は再熱することもなく鎮火したまま、ずっと、ずっと、獣兵衛を苦しめている。


 ───混芭獣兵衛は期待してる。その熱意を、この孤独を、あの記憶を思い出させてくれる存在を。


 期待していた。


 訳あって異能犯罪者となって、なんやかんやあって気の合う友人となった雷堂傳治や堤白堊の誘いで異能結社に仲間入りして……そして今、涼偉と戦っているその間も。

 ずっとずっと、獣面の裏で、誰かに身勝手な期待を押し付けている。


「お前はどこまで俺を楽しませられる。どれだけ俺の予想する期待に応えられる?」

「……そうッスねぇ〜」


 願望が滲み出たその声色に、涼偉は一度戦いの手を止めて、顎に手をやり首を傾げて……


「ごめんッス。そーゆーのは詳しくないんで。でも、アンタをぶっ潰すぐらいなら……俺でもできるッス」

「!」

「お互い獣の力を身に宿した者同士、仲良く楽しく、貪り喰らおうじゃあないッスか!」


 ニカッと笑って、右の手筋に……牙を突き立てた。


「何を……」

「これから見せるのは俺の一族の奥義。ちーとばかし禁忌に片足突っ込んでるッスけど……そこは気にしないで欲しいッス」


(まだ認められてないッスけど……やるしかない!)


 手首から溢れ出る鮮血。

 その赤い血はただ真下へと滴り落ちるのではなく、模様を描くように線を伸ばして、蠢き、その右の掌に真紅の魔法陣を描き出す。


 右手をベッタリと赤く染めた涼偉は、その手を空に掲げて……


「<血印・解>」


 呪文を唱えた。

 瞬間、右掌の魔法陣から膨大な、それこそ人体には収まりきらない量の風の魔力が吹き出ていく。

 浅緑の魔力が空気を蹂躙し、風の渦を紡ぎ始める。

 涼偉の身体から溢れ出るその風の魔力に圧倒された獣兵衛は、思わず一歩後退りする。


 そう、無意識に。本人にすらわからない……畏怖と興奮を胸にして。


「ッ……良いだろう、その力、俺に魅せてみろ───小僧!!」


 吠える獣兵衛を視界の中央に捉えて、涼偉は脂汗を垂らしながら笑みを深めて。

 竜巻となって顕現したその魔力を一塊に集めて……自分の身長より遥かに大きな、巨大な銀色の狼を作り出す。


「<幻位召転(コール:ファンタズム)>───来いッ、ラオフェン!!」


 それは風の守護者。

 エーテル世界における浄化の風の象徴であり、その気高さと美しさ、そして守護の精神から多くの人々の崇拝の対象にもなった伝説の神獣───ラオフェン。

 美しい銀の毛並みを風に逆立たせた一頭の巨狼が、召喚主である涼偉の背後に立って……勇ましく、天に向かって咆哮した。


 異能の力でラオフェンに限定的に変身できる涼偉が本物のラオフェンを自分の外に顕現させる。

 人狼一族の末裔である涼偉にしかできない、伝説の具象化……神獣の召喚である。

 無論完璧とは言えない、不完全な神獣の召喚だが。


「はぁ……はぁ………来てくれて、ありがとうッス、ラオフェン様……シシシ」

『グルル……』


 ぶっつけ本番、つまり土壇場での神獣召喚は涼偉の身体にえらく負担をかけたのか、魔力の欠乏と消耗で荒い吐息が止まらない。

 それでも涼偉は気丈に振る舞い、背後に従えた……否、渋々と召喚に応じ、手を貸してくれている神獣へ感謝の声を届ける。


 異能部一年の丁嵐涼偉。

 彼は人狼の一族最後の末裔であり、この世界で唯一神獣ラオフェンを幻想の世界から召喚できる血族……未だ信仰対象である銀狼には認められてはいないが、血と魔力を贄に召喚することは許されている、唯一の存在である。


 ……きっと目の前の異能犯罪者を倒したとしても、機嫌の悪いラオフェンの暴力が待っている。


 どうせ後で痛めつけられるのだとわかっていても、涼偉は誰かの為に、異能部の為に、制御できないこの力をこの場で使うと決めた。

 迷惑をかけるのを承知で、それでも勝ちたいのだと言い張って。


「ちーっとばかし一緒に戦って欲しいッス。お叱りは後でたっっっくさん受けるんで……」

『グルル……ガウラッ!!』

「……! シシシ、そーッスよね! それでこそ俺たちのラオフェン様ッス!」

『グラァッ!!』


 神獣の苛立った意思が、涼偉を奮い立たせる。

 ここで死ねば狼の一族の矜恃に傷がつく。そして、死なれてしまっては未熟者であり加勢するに値しない半端者の制裁ができない。

 ラオフェンはそう怒りを混じえて吠える。

 己を敬う最後の血族という存在への憐れみと僅かな慈悲、仮にも契約式を結んでいる……否、結ばされた神獣としては、涼偉へのあたりの強さは当然のこと。

 喚ばれてすぐ殺さないのはかなり良心的であろう。

 風の守護者たるラオフェンは、永年の苛立ちを胸に抱えながら、それでも守護の対象である涼偉を守らねばならないことに憤慨する。


 ……それ以上に、己がここに喚ばれる原因となった目の前の敵への憤怒が沸き上がる。


『ガルル……!』

「コイツは……そうか、それがお前の切り札か……! いいぞ、いいぞ! ここまで強い気配を、神秘を感じたのは初めてだ……!」


 殺意を向けてくる神獣に警戒と興奮、これから幕を開ける戦いに期待を募らせながら、獣兵衛も吠える。


 そう、これから始まるのは獣と獣の原始的な争い。


「まだまだ楽しめそうだな、小僧!!」

「シシシ、そんじゃー2対1の縄張り争い、始めるとしましょーか!」

『ガウラァッ!!!』


 三者三様の咆哮が、空気を裂いて戦場に轟いた。






◆◇◆◇◆






 緩やかに遅く、停まっているかのような体感時間。

 犯罪者、重枷足穂の異能───【古不重黙(スロークアイト)】によりあらゆる動き・思考がスローになり思うように身動きできなくなってしまった弥勒。

 鎌を振るう一閃も、前への踏み込みも、全て全てがゆっくりすぎて戦いにならない。

 異能部を除いても強者に位置する弥勒が、手も足も出せずに負けている。


「ん、……」

「くっ、くくく……アッハッハッハッハッ!! いやぁいい光景! 最っ高な光景だよぉ、異能部の死神ぃ……どれだけ強くてもぼかには勝てないってこと、ここで証明してくれてありがとうねぇ! アハハハハハハ!」

「……ん……ぅる、さ……」


 前進することも後退することもできず、異能の鎌を振るうことすらできず……そんな己の支配下に落ちた弥勒を見て、足穂は笑い声を抑えきれない。

 自分よりも遥かに強い異能者───〈死神〉という怪物が、まんまと己の策に嵌って無様を晒している。

 その現実、優越感に足穂は浸っている。

 嗤って嗤って嗤って、酸欠になるぐらいに嘲笑って足穂は勝者の気持ちに酔いしれていた。


 弥勒は無表情の下で悔しげに顔を顰めている。


「……………ッ…」


 減速して遅くなった思考ではまともに物事や対策を考えることもできない。

 致命的に陥っている弥勒は、無防備を晒している。

 そもそも、足穂の異能の支配下に置かれた時点で、弥勒に勝ち目は無い。


 マークした対象のあらゆる動きを緩やかにし───果てには全ての動きを停止させる足穂の凶悪な異能。

 停止の対象は身体の動きや思考……だけではない。

 そこには、目に見えない心臓も含まれている。

 一度掛かってしまえば最後、外部から誰かが重枷を倒さなければ弥勒は死んでしまう。しかし、この場で他の異能犯罪者と戦っている二人はそれを知らない。目の前に敵を相手するのに手一杯。

 救援に向かっているD班の二人も間に合わない。


 時間が経てば経つほど、弥勒の死は確実なモノへとなっていく……


 故に足穂は余裕な構えを解かない。

 異能を使ってしまえば最後、これ以上は何もせずに嗤っていられる。どんな強者であろうと、この異能で何人もの強敵を屠ってきた余裕がある。

 ジャイアントキリングを何度も繰り返し勝ってきた実績が、足穂にはあるのだから。


 心臓が止まるまでの時間は、異能をかけてから凡そ十三分……


 そして今の弥勒に遺された時間は、たった四十秒。


 残り四十秒の命で、弥勒はその生涯に幕を下ろす。


「ぼかはこーやって勝ってきた。キミみたいな強者を何人も何人も喰い殺した。そうして今、キミもぼかに手も足も出せず……くく、さいっーこじゃんねぇ?」


 最早聞いているかも怪しい弥勒を煽る足穂は、そのニキビだらけの顔を更に喜悦に歪ませる。


 足穂の殺しには銃も刃物もいらない。

 単純に才能がないのもあるが、使わずとも勝てるのだから。わざわざ両手を血に染める必要もなく。

 ただただ目を合わせるだけで相手を殺せる……

 犯罪者の道に走ったことにも後悔はない。何故ならその異能で優越感に何度も浸れたから。表で生きていたら味わえなかった快楽。

 落ちていったことには微塵も後悔を抱いていない。


 このまま順当に行けば、所属している組織の上へ、準幹部へと昇格できる。

 果てには幹部、いずれは総帥の地位へと……

 戦ってきた全ての相手に勝利してきた足穂は、その勢いに乗って乗って乗り続ける。異能が開花してから敗北を知らない男の、身分不相応な野望は止まらない。


「っ……!!」


 弥勒の心臓に───停止の魔力が、手を伸ばす。


「ははッ……さぁさぁおしまいだぁ、異能部の死神! ぼかの愉悦の為に死んでくれぇ!!」


 高らかな勝利宣言が、朽ちたスラムに響き渡った。


 絶望が花開く。悪魔は勝ち進む……いずれ手にする野望が目の前にやってくる。







「ん」







───止められていた死神の“時”が、動かなければ。







「は? ───あ゛、ぎっ!? いだっ、はっ? あっ?あ゛ッ、あ゛ギァッ!?」


 




 刹那、足穂の胴に鋭い一閃が刻まれて……耐え難い激痛が鮮血と共に吹き荒れる。

 膝をつく足穂は己の目を疑った。

 まず最初に、生まれて初めて斬られた事への衝撃。ついで誰に攻撃されたのかの疑問。そしてそれは驚愕に変わり……あっという間に、理解できない存在への恐怖と成る。

 生まれて初めて味わう激痛は、目の前で起きているありえない光景……ありえてはいけない光景に戸惑う足穂を無理矢理現実に引き戻す。

 身体を震わす男は、目の前に立つ───死神に目を奪われる。


 自分の胴体を斜めに滑ったのは、この死神の一閃。

 殺意もない、敵意もない、無為の、無心の一撃。

 ───元の速度を取り戻した弥勒が縮地で近付いて振り下ろした大鎌が、容赦無く足穂を切り刻んだ。


「なん、なんで……なんで!? なんで動けてる!?」


 地面に倒れ込み、悲鳴を漏らしてのたうち回る……立場が逆転した足穂は、恐怖にその身を強ばらせる。

 今までは視界に入れて異能を掛けただけで勝てた。

 マトモな戦闘なんて一度もしたことがない。だって嵌めれば勝てたから。視認対象の肉体を魔力で侵して動きを奪い、心臓さえも止めて一方的に殺す……

 今までその無法がまかり通っていたからこそ、この現実を受け入れてきれない。


 ガタガタ震えて、悠然と佇む弥勒をただ見上げる。


 起死回生を見事に成し遂げた現代の死神は、一切の感情を読め取れないいつもの顔で、鎌一振りで下した敗北者を見下ろしている。

 そして、弥勒は異能を打ち破った方法を口開く。


「ん。なんか動けた」


 ただ一言。なんてことないような軽さのいい加減な答えが、全ての真実だった。

 弥勒は何もわかっていない。

 そもそも思考すらまともにできていなかったのだ。なにか打開策を思案する暇もなかった。

 全身に敵の魔力が染み込んで、その自由を奪われる不快な感触だけはしっかり感じ取れていた。

 ……異能の魔の手が心臓に届いた瞬間、その異常は突如として消え去った。本当に、何の前触れもなく。


 まるで空が晴れるように。


 なにかに消されたように。


 黒く染められ滲むように。


 初めてなのに何処か懐かしい……そんな不可思議でおぞましい、それでいて好感のあるなにかの気配を、身体の自由を取り戻した弥勒は感じ取った。

 己ですら知らない肉体の神秘。

 連綿と繋がる魂の縁、とある上位存在との繋がりが弥勒を助けた。


「ん。よくわからないけど……私の勝ち」


 勝利宣言。

 身体を侵食していた魔力は食い散らかされるように霧散して、残ったのは無傷で自由な弥勒のみ。


 後遺症も何もない。足穂の慢心で生まれた勝利。


 足穂の天上まで膨れ上がった自信を軽く砕き壊した弥勒は、その額に死神の象徴を突きつける。


「……あ、ありえ……な、い……………」


 茫然とした顔で血を吐いても、足穂は認めない。

 理外の存在の干渉を、ありえない現実を、目の前のうら若い少女に……成功者に負けたという事実を。

 ゆっくり、ゆっくり、生まれて初めて味わう激痛に苛まれながら……心がポッキリ折れた足穂は、本当に呆気なく意識を失った。

 最後まで己の不義を悟らず、認めず、男は負けた。


───異能構成員重枷足穂……八十谷弥勒の特異性を見抜けず、敗北。


「ん。……本当に、なんで勝てたんだろう」


 ……ここで敢えて言うことがあるとするなら。


 足穂の異能は確かに強力だった。相手が弥勒でさえなければ、【古不重黙(スロークアイト)】の呪いから逃れられずに命を落としていたはずだ。

 最強と呼ばれる竜殺し神室玲華でも、脳に干渉する枢屋多世でも、聖剣を持たない琴晴日葵でも……

 誰かが手を伸ばさなければ、命を落としただろう。

 本当に、異能部の仲間さえ知らない、弥勒本人さえ知らない秘密の前でなければ勝てていただろう。


 ───そう、弥勒でさえなければ。


 何処ぞの厄災───魔界の女主人の因子を心の臓に埋め込まれた人造の稚児でさえなければ。


 暗い闇に浸る、造られた生命の奇跡がなければ。


 器の失敗作として廃棄された紛い物が、巡り巡って異能部として活動していなければ……


 足穂の異能は、確実に異能部の誰かを殺せていた。


「ん……ほんとに、なんで?」


 その不可解な現象を成した本人ですら何も知らない己の出生。誰かの為に造られ、誰かの為に捨てられた───歪な形の王の系譜。


 その全てが明かされる未来は……今はまだ、ない。



八十谷弥勒

───方舟のとある目的の為、かの王の器を作る為に始まった実験……通称“魔人兵計画”。

 彼女はその唯一の成功例にして失敗作である。

 王の器には成り得ず、王の魂に肉体が耐えられない欠陥品。異能力も王のモノではなく、王の魔法の劣化コピーでしかなかった。

 これでは王の魂を見つけても入れられない。

 欠落した失敗作。無価値というレッテルを貼られた人工の神秘。世界を滅ぼせない不完全な器。


 故に彼女は廃棄された……殺処分された筈だった。


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