01-06:黒彼岸の花束を
───世界繁栄の裏には、相反する影というモノが蠢いている。これはどの時代でも当たり前のこと。
ボクらが生きる魔都にも、そんな闇が蠢いている。
「はっ、はっ……た、助け…誰か助けて……!」
暗い路地裏を独り歩く。己の前を必死に走る、男の荒れた息と足音を聴きながら、ボクは悠々と歩く。
散歩するように、鼻唄を歌いながら距離を詰める。
命乞いなど聞かず、標的に向かって影を刺す。
「───<暗寧の一刺し>」
「ぐ、ギャアッ!?」
異能結社『メーヴィスの方舟』───その影響力は全世界に及び、殺す対象も馬鹿にならない程多い。
今、ボクが右足を切断した男も、その一人。
組織に従いながら、金を無断で横流しした愚か者。こうしてボクが派遣されるまで、無事生き延びた悪運の持ち主でもある。
まぁ、今日でそれも終わりなのだが。
「こんばんは。そしてさようなら」
「ま、待っ───」
ザシュっという音を契機に、男の身体から頭が滑り落ちる。死体の影を沼のように変質させて、崩れゆく死体ごと地に落ちた頭を沈めていく。
底無しの黒へと沈んでいく、死に恐怖する顔のまま表情が固まった首を一瞥してから、天を仰ぐ。
今日もまた、人を殺した。
雲一つない満天の星空の下、月明かりの届かぬ影でボクは人を殺す。罪を重ねるのは慣れたものだ。
死を願われた人を殺して、自分たちの安寧を得る。
それが今のボク。世界を滅ぼした者の末路。
己で選んだ道とはいえ、こう、心にくるものがないわけではない。
昔はこんなにヤワじゃなかったのにね。
そっと一息ついて、少し伸びをしてから、組織用の携帯端末を懐から取り出して、起動。
ボク個人に暗殺任務を命じた依頼主へと繋げる。
そのまま、相手側からの反応を待つことなく任務の達成を告げる。
「───こちら〈黒彼岸〉……任務完了」
部隊の名を名乗りながら、任務を終える。
返事はない。だから、こちら側から要件を一方的に伝えて、返事を待たずに通信を切る。
会話なんて時間の無駄。まだまだ忙しいのだから。
携帯端末のメモ機能を開いて、ボクが率いる部隊の集合場所を確認する。
……ここから十キロか。遠いな。
面倒だし、影伝いに移動するか。迷うのも嫌だし。
今度は自分自身の影を操り、ボクを包み込むように伸ばして、花が閉じる様な形で己を閉じ込める。
暗い視界の中、身体が沈んでいく不思議な感覚。
息苦しさ等は感じないが、あまり良いとは言えない影の中。前世からの付き合いが故に慣れたとはいえ、目を閉じてしまえば意識ごと飲み込まれそうな妄想は今も消えない。できるなら他の色で彩りたい。
黒一色の世界も白一色の世界もどっちも嫌いだ。
まぁ、魔王時代に異世界の空を黒く染めた奴が何を言ってんだって話になるけど。
影を使った移動は非常に楽だ。なにせ、目的地までオートで運んでくれる。疲れないから重宝している。
精神的にくるものがあるという欠点を除けば。
全く、もう少し身と心に優しい能力が欲しかった。
あと、この方法だと迷子にならない。
……ボクの影、というか異能……本体よりもすごくねって度々思っては負けた気分になる。
ボクは迷い子じゃない……
そう愚痴っている時に、懐にしまった携帯端末からアラートが鳴り出した。
鼓膜を劈く雑音で耳がやられそうになった。
うるせぇ。これは緊急時アラートだ。主に、組織が何かしらやべー時の。
なにかあったのかな?
「まったく、なになに………あ゛ぁ?」
こんなド深夜に仕事増やすんじゃねぇよボケェ!!
◆◇◆◇◆
───廃ビルが建ち並ぶ、魔都近海の海の上。
その中でも、まるで時が止まったかの様に、斜めに傾いたまま形を保っている巨大な廃ビル。
屋内はこれまた歪で、何故か斜めになっていない。
空間そのものが異空間と化している、闇の魔窟。
明滅する灯りの下を歩き、現在組織が多用している拠点の中を、ボクは無言で歩く。
否、苛立ちを込め、音を立てて歩いていく。
本当なら、もう今日は顔合わせと生存報告で終わる予定だったのに。
無駄に長い廊下を歩いていると、近くの扉の向こう側から人の気配を察知。
……あぁ、ここ今日の集合場所だ。
良かった、無事に辿り着けた。
“第三会議室”と書かれたボロボロに錆びたプレートを横目に、ボクはノックもなく扉を押し開ける。
瞬間、百人近い人間の視線が突き刺さる。
……その殆どが、何の感情も抱かない、廃人たちの視線であった。
「やぁ、お人形諸君。遅れて申し訳ない」
反応を返すのはたったの二人。片手を挙げてボクに挨拶を返せるのは、確かな自我を持つ者だけ。
他の面々は、人形のように静かで、虚無そのもの。
彼らは『メーヴィスの方舟』が実施した非道な人体実験によって、異能を用いない身体能力を手に入れることに成功した者たち。
その代償に、言葉と感情、考える力を失い、組織の命令に従順な廃人と化してしまっている。
この捨てられた会議室に集まっている廃人たちは、全員が『方舟』によって人生を壊された有象無象。
たった三人を除いて、全員が非異能力者且つ廃人。
各国要人や邪魔者の暗殺や諜報、空想生物の乱獲、組織の活動の後始末などを行う特殊部隊。
時には、強大な敵組織すらも喰い殺す狂犬たち。
その裏部隊の名は、『黒彼岸』───方舟が有する掃除屋である。異能結社だけでなく、政府上層部も時には依頼を出してくる、世界最悪の廃人集団である。
ご存知の通り、ボクが隊長をしている。えっへん。
……別に誇れることじゃないよね、これ。履歴書に書けるもんじゃないし。
ホント、なんでこんなのやってんだろね、ボク。
まぁ、幼少期に受けた人体実験を唯一無事にクリアして、今も平気ってのが大きいんだろうけど。
あの程度で廃人になってたまるか。ボクは勝つぞ。
「よっ。今日は迷子にならなかったんだな」
と、ボクが脳内で麻薬投薬機と格闘してリベンジを仕掛けている時に、今世で最も使える男が、苦笑いを隠さずに話しかけてきた。
右目を隠した灰髪と、赤色の瞳が特徴的な青年。
ボクよりも一つ上の歳でありながら、外国の内戦に参加して戦禍を広げた若き青年傭兵。
新参で人体実験に無関係ながら、部隊に入った男。
「蓮儀くん、それを聞くのは野暮だよ」
「……それもそうだな。悪かった」
「うん。キミのそういう所、嫌いじゃないよ」
夜鷹蓮儀。ボクが知る中で、最強の遠距離狙撃手。ライフルなどの銃器を用いることなく、異能によって超遠距離から対象を狙撃する、裏部隊の副隊長。
任務達成率は脅威の100%。『方舟』から見れば新参者だが、幹部クラスの実力と功績を持つ男。
聞き分けも良く、命令をしっかり聞く。
なんなら、プライベートの話をしても怒らないし、耳を傾けてくれる度量がある。他のゴミ共とは大違いの人間である。
あと、素直に謝ってくるのも好感度が高い理由だ。
なんでコイツ異能犯罪者やってんの?
「あっは♡♡♡ ねぇねぇ、早く始めようよぉ♡♡♡ 私、もう我慢できないのぉ♡♡♡」
「はいはい。わかったよ斬音ちゃん」
「約束だよぉ、リーダーぁ♡♡♡」
次に話しかけてきたのは、頭の緩そうな媚び媚びな言動で近寄ってきた、裏部隊のナンバー3。
血がこびり付く黒髪を外ハネボブにしている少女。
名を黒伏斬音。『方舟』の教育によって育てられた快楽殺人鬼。人を斬り殺す事に快感を覚えた異常者。
前述の人体実験とは別ベクトルにヤバい洗脳教育を受けた結果、こんな風にねじ曲がったやべーやつ。
このふしだらそうに聞こえる言動も、ただ単に早く人を斬り殺したい衝動から生まれているらしい。
本音を言うと関わりたくない。うん、はよ死ね。
……と、言った具合に、この部隊の上位陣は総じて未成年なのである。
故によく舐められる。舐めた相手はもういないが。
隊内の構成員もボクと蓮儀と斬音を除けば、全員が未来を壊された廃人だし、『方舟』とは別方向でボクに従うよう書き換えてるから、裏切りの心配もない。
心配するなら平常な部下。具体的に言うと斬音。
「ねぇー♡♡♡ こいつら斬っていい? いい?」
「だーめ。捨てる時ならいいけど、今はまだダメ」
「ん〜もー! うぅ〜……仕方ないなぁ♡♡♡」
これ、日本刀をボクの首に当てながら言ってる。
なんで凶器を首筋に当てながら、目の前のゴミ共を殺して良いか聞くんだよ。脅しのつもりか?
……いや、斬音の場合だと狂気的に純粋なコミュニケーションの範疇になるのか。なにそれ怖い。
あぁ、命を狙われている鳥肌が。日葵なら良いけどお前はダメだ。約束? なんのことですかね。
契約書とか書いてください。口約束なんぞ知らん。
これ、どんな世界でも常識だから。
はぁ……早く終わらせて家に帰ろう。蓮儀くんはともかく、他のゴミ共とは同じ空気を吸いたくない。
特に斬音。有用性が無ければ早急に抹消するのに。
それぐらいボクはコイツが苦手である。
さて、それは兎も角。血腥い任務のお時間だ。
構成員の大半が廃人で、命令通りの事しかできない無能ではあるが、聞く耳はあるので一応聞かせる。
どっちかと言うと、二人に対しての言葉になるね。
「今から10分前、我らが『方舟』が有する研究所が敵組織に襲撃された。大半は殲滅したらしいが、少しばかり逃走を許してしまった、らしい。
つまり、これから我々が行うのは……残党処理。
いつものルーティンだ。幹部共が討ち漏らした生き残りを、一人残らず殲滅する」
どうやら、『方舟』の研究部門トップの奮闘により襲撃者共の大半は殺せたらしい。
が、生き残りがそれなりの数出てしまった。
今回の追加任務はこれだ。全く、襲撃するにしても日時を考えて欲しい。いや休日にやられたらもっとブチ切れる自信があるけれど。
それにしても流石だな。襲われた研究所の幹部様は損害を出してしまったとはいえ、相手側に一切の研究情報を渡すことなく死守に成功したのだから。
やはり元魔王軍の幹部、末席とはいえ強いな……
それに、これでボクの人選に間違いがなかったことが、改めて証明されたわけだ。
マッドサイエンティストだって世界を殺せるのだ。
……おっと、賞賛しすぎたな。かつての配下を自慢するのは悪いことではないと思うけど、度が過ぎるのも良くないな。
時間も押している。早急に終わらせよう。
「後は敵組織の裏で糸を引いていた愚臣も殺す。そちらについては既に炙り出しが済んでいる。ただ殺せ」
政府上層部に連なる人間が起こした問題だなんて、考えたくもないよね。
ほんと、世界って後ろめたいことばかりだ。
「全ては『方舟』の為に───心してかかれ」
心にも思っていないことを軽々しく演説しながら、足元の影を広げて会議室を包み込む。壁を、床を、天井を、魔王の闇で覆い尽くす。
そして、闇が晴れた後には───
塵一つない、空っぽの部屋が残されるのだった。




