03-18:影での再会
「以上で展示案内は終わりです。いかがでしたか?」
「とてもためになりました! ね!!」
「うん。忙しいのに、ありがとうございました」
ぐるりとエリアを一周して、エントランスに戻った異能部は、微笑を向けてそう問いかける紫芝万博へと皆が笑顔で頷き、感謝の声を届ける。
その反応に満足気な館長。やる気のない解説係って感じだったけど、わかりやすかったから好印象。あと展示されてたボクのモノとかも大事に扱われてたのが見てわかるぐらい良かったのもポイント高い。
こういうちゃんとした人が出世するんだろうなぁ。
「ありがとうございました、なのです!」
「どういたしまして。これからもご贔屓に……なにか異世界関連のモノがありましたら、私共が鑑定致します。どうぞこき使ってください。仕事は多ければ多いほど良いので、ね」
「本音は?」
「趣味と両立できてなかったらやめてましたよこんな仕事」
「落差が酷い」
まぁ、楽しくなければ仕事は続けられないからね。
続けられのは強迫観念に駆られた人か痛くて苦しい状況に喜ぶ奇人ぐらいだと思う。
「あ、館長さん。ショップ的なの何処にあります?」
「ミュージアムショップでしたら、角を右に曲がったあちらにありますよ」
「あっちだって」
「わーい! 綾辻兄様、お金ー!」
「かしこまりましたお嬢様」
提示された先には確かにミュージアムショップが。記念品やお土産の即売会だ。というかわざわざ館長に聞いてた一絆くんだけど、お土産渡す相手いんの?
あ、クラスメイトたちに? 特に寝住? 彼とそんなに仲良くなったのかキミ。いつの間に……
てかみんな足速い。速いよ置いてかないで。
「お父さんにもお土産買わなきゃ。どれにしよっか。真宵ちゃーん、なにか良いのある?」
「……砂でいいんじゃね? この五万のとかいいよ」
「いやいやいや……って、なーんで銀夜砂漠の氷砂が売ってあるの。危険性考えてないの……?」
「今更でしょ。ボクはもう諦めた」
「諦めないで」
魔界固有の砂の瓶詰とか、ここも大概おかしいな。きっとなんらかの手段方法で安全性は確立してるんだろうけど、関心よりも不安が勝る。
まぁ記念には丁度いいのは確か。否定はしない。
他にも展示品の模造品やそれらを小さくした模型、国旗をモチーフとしたタスペトリー、五英雄や七勇者などのミニフィギュア、販売用に調整された異世界の植物や土、魔王軍のなんやかんや……
多種多様。よくここまで売ろうと思ったものだ。
「───皆様、お求めの品は私共が支払い致します。今回はお嬢様……宝条家の招待ですから」
「そうなのです!」
「荷物持ちも私が致しましょう」
「手伝いましょか?」
「問題ありません。お気になさらず……」
おー、わかったぜ気にしない。やっぱ宝条家最高。流石ですね。取り敢えずショップの端から端まで商品全部掴んで執事……綾辻さんにぶん投げよ。
もうこの段階で品切れに陥れてやる。
嫌がらせ楽し。見知った相手には特に。
容赦なくこれ欲しいあれ欲しいと綾辻何某の両腕に放り込んでいく。本当ならやんないけど、この人にはなにやっても許されるだろうとボクは思っている。
何故かって? 何故こんなことをしてるのかって?
答えは明白。実はこの綾辻って人、ボクからするとすっごい見覚えのある男なのだ。
いつ見たのかって? んーと、前世。つまり……
三百年? ぶりの再会だ。感動も感慨も何もないが、ちょっともう我慢できない。お互い知らんぷりするのも限界がある。
だから嫌がらせで物を乗っけてる。くふくふ。
さっきから頭上に降り注ぐ殺意の目線からは全力で気付かないふりして、……あ、日葵が邪魔しに来た。
「真宵ちゃんこれ以上は社会的に死んじゃうよ。もう手遅れかもだけど!」
「バカッターの気持ちがよくわかる……」
「はい終わり終わり。やめやめ!」
大丈夫。誰の目にもボクの所業は写ってないから。
それにちゃんと買うし。こういうのは在庫あるって事前に確認済だから問題もない。そもそも嫌がらせの為だけにこんなことするわけないだろ。
この魔除けのブレスレットは裏町にいる女友達に、こっちのポーション風サイダーは反社に囲まれてる純粋無垢なクソガキ共に、こっちのミニチュアは……
意外と渡す相手多いな。買い占めじゃ〜。
はい、欲しいモノぜーんぶ入れた。これ全部買ってくださるなんてありがとうございますね。
さて。そろそろ会話しよっか。ね、執事のふりした吸血鬼さん?
嫌がらせを一先ず終え、内から溢れる再会の感情と鞍替えしてる怒りを胸に隠して───ニヤリと笑って綾辻を名乗る旧友の顔を覗き見る。
「………」
「………」
めっちゃ睨まれてた。んふふ、まぁそうだろうね。
改めて綾辻の風貌を見れば、出るは出るはかつての同格の配下(矛盾)と同じすぎて困る。隠す気なさすぎやばこいつと思ってしまう。
病的に白い肌は種族柄。真紅の瞳は血のように濃く鮮やかで、一本結びで背中に流した清潔感のある銀色の美髪と共に彼の人外的美しさを際立たせている。
加えて目鼻も整っていて、高身長なのもイケメン。
顔のいい男はなにしても許されるって言うけどさ、こいつはそれが適応されかねないから困る。
自分の美を前面に出してる姿、見たことないけど。
改めて彼の顔に悪くない感想を抱いていると、その睨み合いを見兼ねた日葵が横槍入れて来た。
「んー、真宵ちゃん。これ傍から見たら目と目が合う瞬間ってやつだよ……ずーっと見つめ合ってると私の心の聖剣が火ぃ吹いちゃうけど良いの?」
「なにそれ」
「あはは、あっ、邪魔しちゃってごめんね綾辻さん。そろそろ真宵ちゃんと話してくれないと……斬るよ」
「大言壮語ですね」
「は?」
「どうどう」
無表情から一転、ニヒルな笑みで素っ気なく返答。これには日葵も青筋が立つ。いつもはボクが制されてる立場だけど、今回はボクが落ち着かせる番だ。
はいどうどうお馬さんどうどう落ち着け落ち着け。
というか日葵も気付いてたのね。ボクの反応を見て確信持ったな? まぁ顔とか気配とかなんも弄ってないからわからないわけないか。
いや気配は人間のモノに近付けてるから違うのか。
ボクにとっては些事だけど……キミにとっては些事じゃないか。
───キミにとっちゃ、剣聖ちゃんの仇だもんね。
でも聖剣で串刺しにしようとするのはやめようか。
「久しぶり。スー」
「えぇ。久しぶりです。闇」
「聞きたいこと話したいことがいっぱいあるんだよ」
「奇遇ですね。私もですよ、闇。まさかこんな再会をするとは思ってもいませんでしたが」
「それはそう」
再会の挨拶は短く簡潔に。そうそうに切り上げる。
そう、彼はかつて魔王軍にいたボクの腹心の一人。吸血鬼を束ねる王でありながら、親衛隊としてボクを守る立ち位置に就いた男。愛称はスー。
どうやら死んではいなかったみたいだが……
なんで綾辻を名乗ってんのか、宝条家に鞍替えしてボクから離れてるのなんでなんでなんでとか聞きたい問い質したいこといっぱいあるけど、今は我慢。
というか日葵のこともわかっている様子。何故。
日葵=リエラって気付けた理由とか知りたいけど、今は我慢。我慢は大事。ぜーんぶ後にしよう。
リムジンで迎えに来た時は思わず口を噤んだけど、内心でも平静を装ってたけど、キミと目線が合う度に確認取りてぇとか衝動に身を任せてぶん殴りてぇとか思ってたけど、もう誤魔化しきれなかった。
嫌がらせはコミュニケーションの一つだから、ついやってしまった。
「今夜集合ね。場所はボクの気配を辿って来ること。来なかったらくるみちゃん殺すから」
「……相変わらずの物騒具合で逆に安心しました」
「物騒で片付けるのもどうなのかな……?」
脅迫もまた正しいコミュニケーションの一つ。まず間違いなく怒られるだろうが。
「綾辻兄様ーー!! お金!!」
「……ふむ。カードは渡した筈なのですが」
「あの床に落ちてんのがそうじゃないの」
「…………………はぁ」
「早く行ってやれよお兄様」
「早く払ってあげてお兄様」
「後で覚えて起きなさい転生コンビ。あぁそれと闇、何故よりにもよってそいつと一緒にいるのか、私にも納得できるよう説明してくださいね」
「考えとくわ。あと闇呼びやめろ」
くるみちゃんに呼ばれたから内緒話は一先ず終了。
それにしても、ホントに懐かれてんな。すさまじい懐かれ具合だ。正直言って不可解。兄様呼びは本当に笑える。もっと言ってやってくるみちゃん。
ボクと日葵の関係性についてはノーコメントを貫き通したい所存でございます。
それにしても、魔王親衛隊の長が宝条家執事とか、バグでしょ。善性の塊の中に悪性混ざってますよ。
「……やっぱり本人だったね」
「復讐する?」
「まさか。戦いの結末に文句は付けないよ。あの子も納得してるだろうし……私は私でやらかしてるしね」
確かにね。今ここでボクと顔を寄せ合ってる時点でもうスリーアウト以上の問題だよ。
スー、いや綾辻に嫌がらせで渡していた商品は全てちゃんとしたカゴの中に入れて、ボクたちのも入れてと列の中に混ざりにいく。
お代は全部くるみちゃんのだからすっげぇ楽。
無駄な出費って言ったら結構問題だけど、宝条家の御令嬢が異能部に入ってくれたのはメリット高いね。
ありがたやありがたや……くるみちゃんを崇めよ。
「綾辻さん、やっぱり持ちましょうか?」
「お構いなく。仕事ですから」
大丈夫だ館長。その吸血鬼全然非力じゃないから。
そんな感じで買い物を終えて、綾辻に大量の紙袋を持たせて───なんやかんや済ませてから、博物館を出る準備を始める。
もう時間は午後。お昼ご飯は館内付属の食堂で軽く済ませた。結構美味しかった。
「それでは皆様、お気をつけてお帰りください。またこちらに用がある場合は、お好きなように私をお呼びください───では」
「はい、ありがとうございました!」
「お世話になりました〜」
かるーく紫芝万博との別れを済ませ、用事があれば異能部をできるだけ優先するとの口約束もされ、色々な収穫を得て帰路に着く。
帰りも宝条家のリムジンだ。運転手さんおまたせ。
「くるみちゃんもありがとね」
「! はいなのです! また招待状もらったら、みんなにお裾分けするのです!」
「あはは、それは楽しみだな」
「やっぱ世の中は金とコネ……あとは愛嬌か……」
これくるみちゃんの実家に出資ねだれば貰えんじゃねぇの?
そんな気持ちで金銭管理をしている廻先輩を見た。
とても渋い顔を返された。……え、もしかしてもう送られて来てる感じ?
「……宝条が入部したその日に」
マジかよ太っ腹だな。流石は大富豪。娘が入るからちゃんと鍛えて守ってくれってこと?
「おかげで部室棟の修理が早く済みそうだよ……」
「それは良かったですね」
もう足向けて寝れないじゃん。神棚でも立てるか?
……ま、そんなわけで。くるみちゃんからの招待で始まった博物館巡りも、思いもよらぬ再会と密会の約束も、無事滞りなく終わったのでした。
夜が楽しみだね。他に何話そっか。考えとこっと。
◆◇◆◇◆
───同日深夜。草木も眠る丑三つ時。闇に塗れた魔都アルカナの裏路地。その最奥の行き止まりにて。
「……で、なに鞍替えしちゃってんの? 年甲斐もなく今ここで泣きわめいてやろうか」
「やめなさい見苦しい。成り行き以外ありませんよ」
「経緯経緯! 妹その三の言うことを聞け!」
「都合のいい時だけ妹面するな」
かつての主従、かつての兄妹、かつての同胞。
意図せずして再会してしまった二つの影が、世界の嫌われ者たちが、楽しげな笑みを浮かべながら、密会と称して集まっていた。
片方は、一本の白いメッシュが特徴的で、惣闇色の真黒な髪を雑なショートカットにした女の子。
洞月真宵の名を持って密かに蘇った、魔王カーラ。
対面するのは、病的なまでに白い肌と腰まで綺麗に伸ばした銀の髪が映える美しき青年。
それは、宝条家に仕えながら正体を隠す人外の者。
かつての魔王の騎士───魔王親衛隊の隊長として彼女に仕えた、世界最古の吸血鬼。
「ホント、スーって意外と自分勝手だよね」
「貴女に言われたら世話ありませんね……生憎、私は闇と違って世界の法則には従ってますよ」
「嫌味か?」
〈斬紅〉と呼ばれし血呑みの王剣───スレイス。
綾辻薫という偽名と戸籍、千年にも及ぶ真の経歴を隠して現代を謳歌する、始まりの吸血鬼である。
「……まぁ、一宿一飯、一飯之恩。対して目的も標も無かったので。余暇を潰すには丁度いいかと」
「ふーん。そう」
宝条家の執事、それも本家直系の令嬢である才女のお守りを任せられているのがスレイスこと綾辻薫の今である。
やろうと思えば本家の乗っ取りが可能だが、過去の出来事で当主に恩義ができた彼は、執事として宝条家に貢献、その恩を返しているのだとか。
その説明をされた真宵は、一応の形で納得した。
「ボクの……」
「……そんな顔できたのか」
「敬語ォ」
「今の小娘な貴女に焚べる敬意はありませんね。まぁ元より持ち合わせてなどいないのですが」
「おい」
魔王軍の数少ない問題事を起こさない男の裏切りに悲しい気持ちでいっぱいの真宵は、珍しく拗ねた顔で綾辻の周りをぽてぽて歩き回る。
とてもウザそうな顰めっ面で綾辻は溜息を吐いた。
気心の知れた相手には見てわかる以上に甘えてくる真宵の滅多に見られない奇行を、綾辻は慣れた様子で片付ける。
「……まさかですが、そのじゃれ付き、あの勇者にもやってたりしませんよね」
「……してない、と思うよ?」
「してますねこれは。はぁ……」
何故、決して和解できぬ筈の宿敵で勇者と仲良く、仲睦まじいと言えるような関係になっているのか……未だに綾辻は理解できていなかった。否、理解などしたくないのだろう。現に彼は終始顰めっ面である。
宝条くるみの執事として、主の安全を確保するのは当然のこと。新天地とも言える異能部の調査を行い、綾辻はあらゆる情報を炙り出した。
無論、宝条家らしく全て合法な手段である。
その結果浮かび上がった、二人の要注意危険人物。調査を終えた綾辻は思わず顔を押えて天を仰いだ。
何故なら、妹分があの宿敵と仲良く肩を組んで、否組まれていたから。それも満更ではなさそうな顔で。
綾辻薫は───スレイスは、宇宙を背負った。
なにがあった。というか転生していたのか。今すぐ蹴り入れて問い質すべきか。いやそれなら近くにいるドミナがなにかしら修正を入れるはず……
そう思って更に調べれば、その輪の中に超絶笑顔で混ざる白い魔女の姿が。
何故に。自分の知らない場所で敵同士が意気投合している……
「どういう経緯を辿り、何をすればあの少女と過分な親密性を築けるのか……本当になにがあったので?」
「当ててみ?」
「……あの決戦で明空の勇者とアナタが消えてから、魔法震災が起きるまでの───100年。そこでなにか貴女たちの間に転機が起こった……私ができる推測はこれぐらいです」
「概ね正解。あ、先に質問潰すね。これ以上は秘密だよ。例えキミであったとしても……ね」
「……さいですか」
会話の最中、真宵の心中は穏やかではなかったが、悟らせることなく話を一つ終える。
内心、時間の流れがおかしいなと失笑しながら。
真宵にとって、カーラにとって。その空白の期間を歩んだ時間は、決して百年などでは片付かない距離なのだから。
「ま、ひまのこと……リエラに関しては気にしすぎなくてもいいよ。別にアイツがなにかやらかすわけじゃないし」
「……確かに。やらかすなら貴女でしょうね」
「断定すんのやめろ」
スレイスからすれば勇者ほど危険な存在はいない。だが、最も命を狙われる立場にいるカーラが現状を良しとするなら、もう何も言うことはない。
……見てわかる程に弱体化している魔王が、勇者にどれだけ抗えるかはわからないが。
内心溜息を吐きながら、綾辻は言葉を飲み込んだ。
「そういやさ、なんでボクがボクだってわかったの? キミにも【否定虚法】、かかってる筈なんだけど」
「ん? ……あぁ、ありましたねそんなものも」
更なる疑問をぶつける。それは洞月真宵とカーラを結びつけないようにする世界規模の認識改変。他にも幾つか起動しているが、これは日葵にも使っている。
この魔王のスキル、転生特典は絶対だ。
カーラ以外には認識できず、対応できず、対策すらできない代物───その絶対性は、今崩れている。
一番崩している者として真っ先に上がるのは、主に二名。
例えば仇白悦ことドミナ・オープレス。なんらかの魔導具を使って感知し、どういう方法をもってか完全対処してくる曲者。最大の敵は味方を体現している。
これに関しては真宵も諦めている。星の数以上あるドミナの魔導具だ。破壊し尽くしても終わりがない。
諦観を浮かべて受け入れるのが心理的にも健康だ。
そして琴晴日葵ことリエラ・スカイハート。彼女は完全に防げているわけではないが、何故か世界改変の効き目がよくない。効きずらいのだ。
これに関しては本人も無自覚。神の加護だろうか。
苛立ち混じりに殴っても解決はしないので、これもまた真宵は諦めている。人生諦めが大事なのだから。
……最近、望橋一絆とかいうイレギュラーも出てきたが、疑惑止まりなので取り敢えず横に置いといて。
今回、スレイスという危険な三人目が追加された。
これには真宵もにっこり。たまったもんじゃない。意を決して兄代わりその2を消し飛ばさねばいけない時が来たかもしれない。
そう物騒な思考を回しながら、真宵は問う。
「で? で? なんで?」
「恐らく例の“補正”のせいでしょう」
「………?」
ここで真宵フリーズ。初耳単語に思わず固まった。
「ほせい? ……補正。なにそれ」
「ドミナの対根源魔術式。万が一貴女が暴走した時に対処できるようにと造られた眉唾物でしたが……」
「初耳学」
「なら後は本人に詳しく聞くことです……丁度そこにいるみたいですし」
「あ? あぁ〜……は?」
そこにいる。何を言っているんだと訝しげに綾辻を見てから、困惑混じりにその視線の先を辿る。
……そこにあるのは錆び付いた古い型の室外機。
目を凝らし影を手繰れば、確かにそこには古くから交友のある親友、仇白悦が室外機の影に隠れていた。
「……は?」
「んへへ」
汚れた白衣と目の下の濃いクマが普段のあまりある狂気度を更に引き上げていた。
思わず真顔になって何度目かの頭痛を感じる真宵。
気配も匂いもなにもかもを完全に遮断する魔導具のせいで直近まで気付けなかった綾辻も、いつも以上に真顔を貫いて、なんなら悦から距離を取っていた。
眠そうな顔のドミナなど、危険以外の何者でもないのだから。
「なんでいんの」
「んん〜〜〜もちろん、出番を!! 感じて!!!」
「うるさ」
「時間帯考えてくれません? 今夜なんですよね。あと私たちの耳にも配慮してください」
「やだ!!!」
「あ、こいつ徹夜ですね」
「おーよしよし」
二人に呼ばれるのを待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべた悦は、くるくると前に躍り出て登場。
愉快に奇声を上げて踊る魔女は、真宵の腕に密着。
ひしっと力強く抱き締め、真宵から離されないよう身体を押さえつける。
その姿はまるで親鳥に縋る雛のよう。
親友の何気ない行動にほっこりした真宵だったが、いやコイツは狂人狂人と我に返って首を振る。
───その感想は、現実となって証明される。
それは突然だった。
同格であるスレイスとの再会を喜ぶわけでもなく、会話もせずに真宵とくっついたままの悦。
どうやら連徹で眠いらしく、彼女の瞳は寝惚け眼。
真宵を探し求めたのは、安心する寝床を求めた故の本能か。
感動の再会よりも微睡みを優先する辺り、ドミナの人間性がどれだけ終わっているのかがわかるだろう。ズルズルと鼻を鳴らしている辺り、風邪気味なのかもしれない。ほんのちょっとだか労わろうかなと思った真宵の想いは、次の瞬間裏切られる。
何故なら、真宵の柔肌に顔をグリグリと押し付けて寝惚けていた悦が、その顔をより力強く押し付けて、そのまま───…
「ブゥー!!!」
「は?」
鼻をかんだのだから。その素肌に直接、勢いよく。
「あ゛ぁ〜、スッキリした」
「は? は? ……は? なんで? なんの嫌がらせ?」
「……帰りますね。まさか鼻紙に生まれ変わったとは思ってもいませんでした」
「おい待て。待って。助けて!」
「人違いでした」
「ふぅぃ……んんぅ、……んゆんゆ」
これ以上頭の悪い空間に居たくない。
そして巻き込まれたくない。その一心でスタスタと無慈悲にも歩き去る綾辻に、真宵は助けを求めるも、その手は無情にも届かなかった。
決して無視されたことに憤りを感じているわけではない。
「……え、本当に帰りやがった。嘘でしょ?」
綾辻は本当に帰った。
数百年ぶりの再会は、十三徹目の魔女の手によっておかしな方向へと舵を切り、変な場所に不時着してしまうのであった……
めでたしめでたし。
「なーんにもめでたくないが?」
「……あぇ、闇ちゃんなんでいんの? てか、なんなのこの腕。すごい汚い。ちゃんとお風呂入ってる?」
「ぶっ殺す」
「ぇ?」
この後、罪のない裏路地は謎の巨大破壊痕を残して無人となった。
◆◇◆◇◆
「こんばんは」
「……次は貴女ですか。聖女神の神子。無手で敵前に現れたことに、なにか理由があるので?」
「んーん。真宵ちゃんのお迎え」
「成程。闇ならあちらで……あぁ、ちょうどあの煙が上がってる辺りにいますよ」
「なーにやってんの???」
薄情にもその場を離れた綾辻を、路地裏の入り口で出迎える少女がいた。そう、日葵である。
無警戒、敵意の一つもない日葵の目的は勿論真宵。
万が一騒動が起きても大事にならないよう、迎えに来たのだが……寝惚けた親友のやらかしにぶちぎれ、騒動なんて比じゃない喧嘩が既に始まっていた。
あまりの展開に頭を抱えた日葵は、そのまま綾辻の横を素通りして路地の奥へと進んでいく。
……二人の間にそれ以上の会話はない。必要ない。
何故なら二人は敵同士。どこまで行っても敵であることに変わりはない。例えリエラとカーラが同衾するほど仲を深めたとしても、無意識に互いを求め合っていたとしても。スレイスとリエラの関係においては、互いが敵であることに変わりは無い。
かといって今、わざわざ死合う必要も意義もなく。
過去の柵に囚われて敵意を向け合うには、お互いが向ける殺意の感情が、互いへの関心が希薄すぎた。
故に、リエラとスレイスは、過度に馴れ合うことも会話することもなく───
「はーい止まって止まって落ち着いて二人とも! 特に真宵ちゃん今改変能力使えないんでしょ! 悦ちゃんも笑ってないで戦うのやめる! 纏めてぶった斬るよ!」
「うるせー!! ボク悪くないもん!!!」
「あひゃあひゃあひゃ! たまにはいーじゃんねェ!」
「はぁ〜。もう制裁で良いよね。うん。私大正義」
「…………………」
……そう、気にしないのだ。絶対に。
背後で巻き起こる大喧嘩ラウンド2から目を背け、振り返ることも見送ることもなく、スレイスは静かに歩みを再会した。
巻き上がる爆炎や響く轟音、立ち上る黒煙の全てを無視して、されど胸を込み上げる感情に流される。
(……まさか、あの程度の騒音に懐かしさを、郷愁を感じてしまうとは……私にも“引き摺る”という感情がまだあったのですね)
吸血鬼の源流、全ての始まりである終わりでもある常夜の眷属───“真祖”であるスレイスは、常人には理解できない悠久の時を生きている。
不老不死の体現であり、不滅の権化とも言える男。
ある時代では血の神などと崇拝された彼は、永遠に近い時間を生きるが故、感情や感動というのはどうしても摩耗していく。
自分たちが起こした楽園戦争で、三人もいる妹分が皆死んだこともあって、それは加速していたかもしれない。
百年ぶりの再会に心が躍ったのは、嘘ではない。
───やはり、彼らが自分を自分たらしめる。その漠然とした確信に笑い、そのどうしようも無さに嫌な感想も抱きながら、スレイスは密かに再会を祝う。
「……どうやら彼女も活動を熱心に続けている様子。ならば権力を振り翳しているあの男も呼んで、次こそちゃんとした再会の場でも設けますか」
懐かしい面子を、己を入れた五人を思い浮かべて、いつかの未来を思い描く。
改めて、己の似合わぬ人間味を嘲笑いながら。
己も存外絆されていると。自分以外の全てどうでも良かったあの時と違って。
───ティロン。
「おや」
胸元に入れていた端末にメッセージが届く。いや、送られてきたのは一枚の写真のみ。非通知の相手から届く写真など普通は開かないが、今回は相手が予想できる為スレイスはなんの躊躇いもなく写真を開いた。
───恐らく魔法的干渉で人の端末に送ってきたのだろう。そう突拍子もないがありえなくはない憶測を胸に開いた写真には、少女たちの笑顔が写っていた。
崩壊した裏路地を背景に、煤だらけの顔で笑い合う三人の少女たち。自分と違って一度死に、再びこの世に生を受けて再会した───仲良くなった宿敵たち。
「ふっ……」
あの戦争の時代では考えられない光景だ。
始めたのは自分たちだが……どうにも微笑ましく、これもまた一つの終着点かと思考する。
「仲良くなりすぎるのも、考えものですがね」
どんな結末を迎えようとも、彼女たちならなんとかできるだろう。
漠然とした、自分らしくもない確信を抱きながら、スレイスは宝条家の執事、綾辻薫の仮面を被り直す。
かつて暴れた夜の王は隠居中。今は極普通の執事。
久方ぶりに顕にした本音を再び隠して、今頃自分が居ないことに気付いて屋敷を駆け回っているお嬢様をベッドに叩き込まねばならない。
苦手なのだが、どうも危なっかしく目が離せない。
あんまりにも明るい少女の笑顔、気配、その存在。彼女の全てが血染めの夜にいる綾辻とは遠く離れた別のモノ。
本来なら関わろうとも思わない、眩しすぎる宝石。
「……あぁ、ほらやっぱり」
屋敷に残していた監視蝙蝠から送られた、枕を抱えて廊下を驀進する宝条くるみの泣き顔が映る。
屋根裏で本邸を監視している蝙蝠たちから送られた共有視界映像を見て、やはりお嬢様の行動は読み易いと頭を抱える。
枕を抱きかかえて廊下を驀進し、涙目で己を探されてはたまったものじゃない。
早急に帰宅して混乱を鎮めなければ。後が面倒だ。
「…………飛びますか」
徒歩での帰還は遅すぎるからと諦め、吸血鬼だからできる方法で本邸を目指す。それは己の肉体を無数の蝙蝠に分解して、同種以外には可視化できない存在となって移動する方法。
生まれもったその力を早速使い、紅い蝙蝠の群れになった綾辻は夜空に溶け込んでいく。
ここから遥か遠方にある宝条家の本邸を目指して。




