02-18:おじさんの心配事
「ねぇ、おじさん。最近全然帰って来ないけどさ……ボクたちのこと蔑ろにしてない?」
「そうだそうだー。私のご飯食べてよ」
「いやー、あはは」
───時は少し経ち、昼休みの王来山学院。
重厚な作りの学院最深部、悪人共が襲撃してきても滅多なことでは陥落しないそこに、真宵と日葵はアポ無しで突撃した。
保護者である都祁原時成に会いに来たのだ。
鴉娘のこーねを送り届けた後、ふと父との家族愛を思い浮かべた真宵は、思いつきで学院長室に直行し、日葵もなんとな〜くでついて行った。
途中で道を逸れそうになったが、二人は無事到着。
ノックも返答も聞かずに、学院で一番偉くて、一番忙しい父親の元に呑気な顔で訪れていた。
一絆は購買のパンを賭けて井森達と乱闘中である。
詰め寄られる時成は、冷汗をかいて目を逸らした。
「こっち見よーね」
「ぐふぅ」
真宵は両頬に手を添えてグイッと正面に向かせた。
「いてて……ま、待って真宵……今鳴っちゃいけない音が鳴らなかったかい? 鳴ったよね???」
「難聴だよ……はっ! おじさん遂に……?」
「やめんか私はまだ若い! ピチピチの四十代だ!」
「それは若いって言わないと思うな、私」
「う、うちの子たちが酷い……」
悲痛に嘆く養父に向けて、言葉と心の刃を容赦なく突き刺す二人。擬音が付くならグサグサと。
割と本気で帰りを待っている娘たちを、時成は頭を撫でて落ち着かせる。確かにちょっと最近家に帰ってないな〜とか、新しい息子になにか父親らしいというか保護者っぽい事できてないな〜とか思ったりする。
うん、ちょっと休もう。本当にちょっとだけ。
都祁原時成は反省した。
「ちょっとで足りるわけないよ?」
日葵は容易く心を読まないでほしい。色々と怖い。
「そもそも何やってんの最近」
「正直に話せば聖剣ブッパはやめてあげるよ」
「持ってないじゃん今」
「見つけたら即よ即。すぐおとーさんとこ行くから」
「斬新な死刑宣告だなぁ……」
───二人の保護者である時成は、娘たちの正体を知っている。過去の所業も、輝かしい栄光も、仄暗い思い出も、全部全部、話された分だけ知っている。
故に真宵と日葵は気安く前世を話題に出せている。
……この三人が親子関係を築くまでの経緯は、またいつか語るとして。
時成を両脇に挟んで、二人は父を脅し始めた。
「いやぁね、君たち三人の事を思ってだね……」
そんな詰め寄る娘たち二人を前に、言い淀んでいた時成は観念してポツポツと事情を説明し出す。
「まず望橋くん。彼の正体は隠さないと……危うい」
息子として迎えた一絆は、彼の存在そのものが並行世界の在り方を肯定する材料となり、下手すれば何処かの研究所に連れて行かれてもおかしくない。
誰かが守らねばいけない。それも力を持つ大人が。
これに関して時成は適任だった。アルカナにおいて最大規模を誇る学院のトップであり、政治的権力もそれなりに持っている為に。加えて元勇者という破格の護衛付き。ついでに元魔王。最強の布陣である。
突破して来たらもう拍手しか送れないレベルだ。
「……並行世界の証明、ねぇ。攫われる前にドミィに頼んでみる?」
「本末転倒じゃん。ダメに決まってるでしょ」
「ダメかぁ〜」
楽しげに物騒な話を談笑する娘二人を前に、時成は幾度目かの溜息を一つ。
「日葵に関しては特に気にしてないんだけどねぇ」
勇者の転生体。ネームバリューは最も高く、英雄の中では最もメジャーでトップ層の人気を誇る明空。
故に日葵に関してはそこまで心配ではない。
例え勇者バレしたとしても、英雄視されたり持ち上げられたりする程度だ。面倒な事に変わりないが、もう一人と比べればまだ平気な方である。
時成が片付けなければいけない案件は幾つかある。
学院内を限定しても、膨大な時間や人員を消費動員すべき問題がそこら辺に転がっている。
例えば、異能部の新入部員候補生たち四人。
国の安全を守る為の組織だ。彼らの素性は特務局が主導でしっかり調査済みだ。しかし、だからと言って補導歴があれば入部を拒むなんて事はしない。彼らは心を広く持って歓迎する。異能持ちが秩序側にいるだけで万歳三唱なのだ。昨今の異能者は裏社会で自由に猛威を振るう野蛮人が多いのだから。
そう、裏社会で自由に。例えば……真宵のように。
「言っては悪いけど……一番の問題は真宵、君だ」
「ふぁ?」
「成程納得」
洞月真宵。裏社会に君臨する異能結社の内部組織、裏部隊『黒彼岸』の隊長。
バリバリ働いてアルカナの治安を悪化させた娘。
そんな悪人を迎え入れてしまった異能部、及び素性調査を失敗してしまった特務局は無能なのか否か。
答えは否。
勇者と魔王が史上最悪のタッグを組んで偽装作業に励んだ結果、二人にとってなんだか都合のいい具合に進んだのがいけなかった。後は日葵が入ろ〜と軽率に真宵を入部させようとしたのもアウトだった。
入部後に真宵の言動が適当になってきた辺りで、大人たちや先輩たちが「アレこいつ裏社会出身では?」と遅れて気付いたのがせめてもの救いか。
と言っても、要注意人物程度の認識だが……
「もしバレたら、ねぇ」
時成の懸念は、真宵が黒彼岸だと判明すること……ではない。それに関しては、例えバレても良いように裏工作やらはしてある。
……決して、自分は何も知らなかったとシラを切る為のモノではない。娘を守る為、例えその所業がなんであろうと、ささやかな日常を送らせる為の予防策である。
「……ごめんって」
「ま、学校に勇者と魔王がいるとは思わないよね」
「ははは。流石だろう? 私」
「「いや全然」」
「おっとぉ。酷い娘たちだ……」
彼が最も恐れるのは、洞月真宵の前世───魔王とバレること。なんやかんやあったと微妙に誤魔化しを供述していたが、彼女が世界を滅ぼした巨悪なのには変わりなく。
その力は今でも健在、いつでもカオス。
「あー……これでも弱体化はしてるんだよ?」
そんな補足は今いらない。時成は心底そう思った。
「夜な夜な出かけてる件も含めると、役満って話じゃ収まらないんだよね」
「……」
「……真宵ちゃん」
「ごめんって」
裏社会の出身だとバレるとワンアウト、黒彼岸だとバレたらツーアウト、魔王の転生体だとバレれば役満スリーアウトのバッターチェンジだ。
そして現在ワンアウト。詰めが甘い女である。
時成はそんな真宵が心の底から心配なのだ。前世を隠すことに関しては聞く限り上手く行っているのに、異能部と兼ねてやってる掃除屋はあまりにも雑。
覆面すらしていないという。アホか。
……言い訳としては、二つ目の転生特典で目撃者の頭をいじいじして忘れちゃえ〜をすれば最悪バレないのと、前世が仮面魔王だったのもあり、飽きた! というのが覆面なしの理由である。あまりにも理由が雑。
「ま、拾ったぶんしっかり面倒みるさ」
「まるで犬猫みたいな……」
「ごめん、最初は実際そうだったよ。というか今も」
「……確かに日葵は犬だね」
「うそぉ!?」
明るい話題で場を和ませながら、時成は父親として娘たちの未来を憂う。
二人には前世関係なく幸せに生きて欲しい。
なんだったら異能部なんてやめて、黒彼岸なんかもやめてしまって、自由に生きたって良いと時成は思っている。放り捨てて逃げ出して。その全てが二人には許されると、時成は心の底から思っている。
だというのに、二人は今の生活を受け入れている。
いつ崩壊してもおかしくない、束の間の幸福を享受している。
ならばそれを守りたい───なんて思う、そんな親心を時成は抱えている。
故に、男は真宵を引き留める一手を打ち続ける。
「ところでなんだけど、この書類にサインしてくれるかな?」
「? 何……いやいやいやその手には乗らないよ?」
「乗ってくれ。頼むから。後生だから」
「……むぅ」
父親として、学院長として、一人の男として自分ができることを考えて。
考えた末に、彼が手渡したのは一枚の紙切れ。
それを何気なく受け取った真宵は、内容に気付いて渋い顔になり、イヤイヤと首を振った。
「辻褄が合わないよ───潜入任務とか、アホ?」
洞月真宵は都祁原時成の命令で異能結社に潜り込んでいた二重スパイである。要約すればそんな事が書かれている、まるっきり嘘しか無い文章の羅列だ。
拳の中でA4の紙を握り締め、黒い炎で燃やし尽くす真宵は、静かに目を瞑り、溜息を吐く。
時成の想いを噛み締める様に、ゆっくりと。
「いつも言ってるけど……おじさんの立場が悪くならない様に調整はしてある。だから……」
「私がしたいのはそんな話じゃないんだよ、真宵」
「……でも」
「立場なんてどうだっていいんだ。お前が心配すべきなのは、自分自身の事だよ」
「……ボク自身?」
訝しむ真宵を諭すように、父親は優しく告げる。
「そ。まぁ多くは語らないよ。真宵の方が年の功はあるだろうし」
「失礼な……あとこうゆう時だけ年下ズラすんな」
「ははは」
肝心な言葉を誤魔化して、時成は笑う。後は自分で考えろ、という事だ。
定期的に思考を放棄する真宵の為を思ってだろう。
そう当たりをつけた日葵は、不器用に父親を頑張る時成に心の中で感謝して笑顔を浮かべる。こんなにも自分たちを想ってくれる人がいる。その喜びを、感謝の念を時成に抱きながら、日葵は真宵の手を握る。
「ありがとね、おとーさん。真宵ちゃんバカだから」
「あぁ、どういたしまして」
「え、なんでボクの事ディスった???」
空気を明るく染めて、日葵は朗らかに笑った。
「ところで話戻すけど、いつ帰って来るの?」
「……今日、帰るよ。約束する」
「よーし、指切り拳億針億本の〜ます、と」
「待って死ぬ! それは死ぬ! 万と千でも死ねるのに両方億じゃ私死んじゃうよ!!」
「「がんば」」
「ちょっとぉ!!?」
最後まで騒がしい。そんな学院長室でのお昼休み。
◆◇◆◇◆
「……やっぱりダメか。手強ないねぇ、真宵は」
椅子の背もたれに背中を預け、向きを逆にして窓の外を眺める。淹れ直したコーヒーを啜り、学院長室からの景色を楽しむ。
部屋の主、都祁原時成は娘たちの事を想い続ける。
新たに加わった息子もそうだ。見知らぬ土地に来て心寂しいだろうに、暫く放置してしまった。
忙しさを理由に……これは怠慢である。
時成は本気で落ち込んだ。父親として教師としてもアウトである。
「それにしても……大きくなったねぇ」
懐から懐中時計を取り出して、蓋を弄り中を見る。時計盤ではなく、蓋の裏を見れば、そこに貼られているのは幼い頃の娘たちの写真。
笑顔でピースする日葵と、ムスッとした真宵。
見るだけで懐かしいあの日々が思い返せる、そんな思い出の写真。
あの日の雨空が、大きな雨音が脳裏を掠める。
『ぶたさん?』
『こひゅ……ばか? ばかなの?』
『ぅ?』
当時一介の教師に過ぎなかった時成は、気分転換で雨雲に覆われた春の街を歩いていた。
本当に何の目的もなく……雨空の下を、ただ一人。
そんな時に出会ったのが、後に養子として引き取る二人……煤だらけでボロボロの幼女たちであった。
あまりにも酷いその姿を見て、時成は息を飲み……
───ぷるぷるぷる…
携帯が鳴る音で、彼の意識は過去から現実に戻る。我に返った時成は懐中時計を懐にしまい、椅子の向きを正しながら端末を起動した。
そのまま電話の相手を確認し……苦笑いを浮かべて通話ボタンを押した。
あまりにもタイミングが良いと思いながら。
「やぁ、突然なんのようかな? 浮舟くん」
『いやぁ〜お忙しいとこすいません。ちーっとばかし急用で……今お時間空いてますかね?』
「丁度いいタイミングだったよ。図ったかい?」
『そんな能力ないです……あったらもっと円滑に話を進めてますよ、俺』
「確かに」
電話の相手は───異能特務局の局長、浮舟柊真。
『すっごいたわいも無い話なんですけどね』
独り立ちした三人目の養女、燕祇飛鳥が働いている職場の上司にして……時成の社畜仲間である。
仕事辛いねで一緒に酒盛りするぐらい仲がいい。
そして……
『ちゃんと休んでます?』
「君もかい」
『飛鳥がうるさくて……そっちはどーです?』
「こっちもだよ」
『ですよね〜』
真宵を異能部に裏切らせようぜ作戦の相方である。
『あ、洞月くんは……?』
「ははははは」
『笑い事じゃないんだよなぁ』
おじさん達の受難はまだまだ続く。




