02-04:盥回しのその先に
「───はじめまして。私は燕祇飛鳥、異能特務局の捜査官よ。よろしくね望橋くん」
「も、望橋一絆です。よろしくお願いします」
異能部応接室、机を挟んで迎え会う二人の男女。
部員の大半が追い出されたこの応接室で、こっそり居残っていたボクと日葵は静かにそれを見守る。
これから始まるのは、望橋一絆という青年の人権を保証したり、保護したりと、この世界を生きてもらう為の様々な手続き作業である。
初対面ばっかりの一絆くんは、目の前に座る特務局の若き主任に緊張した目線を向けながら、神妙な面持ちで会話する。
「災難だったわね。ま、人生そういうこともあるわ」
「あるんすか……?」
「流石に貴方みたいな前例はいないけど、あちら側の世界に迷い込んだ人がいないわけじゃないわ。大抵は助からずに死ぬか、そこで永住し続けるか、とかね」
「えぇ……こっわ……」
あっ、それ話すんだ。恐怖心倍増させるだけよ?
過って《洞哭門》に入ってしまい、二度とアルカナの地を踏めずに帰れなくなった人が居た。
そのまま被害者は行方不明。もう百年は前の話だ。
あの門は人為的に開けられるもんじゃない。
今は廻先輩がいるから出現をある程度感知できているけど、一昔前までは突発的な開門、街の蹂躙が当たり前だった。最近は未然防止だからそれなりに平和。
前々世よりも技術が進歩している新世界だけど、未だ《洞哭門》を開く技術は確立できていない。
若干一名、悦って奴は“できる”んだろうけど。
ボクがそう思考している内に、話は進んでいく。
「じゃ、早速で悪いけどこれが貴方に必要な書類よ。書ける所だけ書いてもらって構わないわ。あと、生年月日は……望橋くんがいた世界の基準で書きなさい」
「わ、わかりました」
机の上に並べられた紙に、渡されたペンで丁寧に自分の情報を書き連ねる一絆くん。
望橋一絆がアルカナで暮らす為の、第一歩。
初日で全部やらせるのは酷だけど、彼の身の安全の為にも早急に進める必要があるからね。
危険いっぱい罪いっぱい、ここはそんな世界なのだから。
時々ペンが止まったり、考え込んだり、書類相手に奮闘する一絆くんをボクたちは眺める。
更に彼を眺める、特務局から派遣されたOL風味。
「飛鳥姉さん、暇なの?」
「なわけないでしょ……何言ってんのよ日葵」
「人選ミスを疑ってる」
「叩き落とすわよ」
日葵の頭に浮かせたペンを容赦なく突き刺して昏倒させたのは、ボクたちにとっての姉代わり。
赤茶色の髪をボブカットにして、黒いスーツを着た高圧的な態度を見せる異能特務局捜査官。
二十歳前半なのに割と良い立場にいるボクらの姉。
燕祇飛鳥。浮遊と加速を操る異能の持ち主であり、特務局では若手でありながら、入る前と入った後の戦績と勤務態度などから局長の補佐をも任せられるまでになった若き女傑。なんでか知らんけど主任。
高圧的な態度をとるズボラポンコツおねーさんだ。
「まーよーいー?」
「どったの鳥姉」
「誰が鳥よ、誰が! 私は人よ! あと姉でもない!」
「異能名……」
「やめて、否定できなくなったじゃない……」
煽るとすぐ乗っかるから面白い。本当になんでこの人が局長の右腕やれてんだろ。
家政婦でもしてんの? ……してそーだな、うん。
局長が残業バンザイ過労おじさんだもん。世話好き飛鳥ちゃんが動かないわけがない。
……あれ、やっぱり補佐ってそーゆーこと?
「こら。ちゃんとした私の功績に決まってるでしょ。真宵、アンタ私を虐めてそんなに楽しい?」
「「楽しい」」
「日葵には聞いてないわよ」
二十四で処女でおじ専でいじられキャラの癖に……
「ちょっと!!やめなさいって言ってるでしょう!? 初対面のガキに私のイメージを壊させないで!」
「できる女オーラは無意味だよ。後で剥げる」
「特務局も異能部も、ロクな女がいないよね」
「自分で言うんじゃないわよ……はぁ、やっぱり疲れるわこの子たち」
叩けば叩くほど鳴くボクらの玩具。ボクの仮の住処である都祁原邸に前住んでいたのもあって、ボクと日葵は必要以上にこの姉を揶揄う。揶揄うのが大好き。
その度に噛み付いて来るから、とても楽しいのだ。
からかいがいのある大人は大切なのだ。
「……大変ですね、子守り」
「るっさいわよ早く書きなさい……!」
「あい」
一絆くんも労いに見せかけた煽りしてて草。
◆◇◆◇◆
すーぐ噛み付く狂犬アスカは飛んで帰って行った。
「鳥なのか犬なのかわかんないよそれ」
「局長全肯定じゃんあの人」
「……確かに。裏でそーゆープレイしてそう」
「俺の前でそういう話やめてくんね?」
「「思春期かよ」」
「そーですけど???」
一絆くんに必要な書類は一時間ほどで書き終わり、受け取った飛鳥は特務局にとんぼ帰りしてしまった。
書類受領とか早めにやった方がいいもんね。
そんなわけで、一絆くんは今一応自由になった。
待っている時間途中で飽きて異能部の皆と暇を潰す為に遊んでいた。楽しかった。罰ゲームで多世先輩が推しじゃないキャラに貢げと命じられて絶望した顔になったのは特に面白かった。可哀想で可愛かった。
途中で煩いって飛鳥に叱られたけど。
「お疲れ様望橋くん。はい、お茶」
「あ、あざっす……うま」
「実家から送られた茶葉を使ってるんだ」
「……神室家って茶農家だっけ?」
「違うわ。園芸よ多分」
それ、園芸の一環で実家に茶畑持ってるってこと? やっぱり金持ちがやることは違ぇや。
……ん? 実家? 実家……家………あっ。
「一絆くん、キミ家どーすんの?」
「「「あっ」」」
異能部全員、そして当人すらも忘れていた大案件。望橋一絆くん家無し問題。
やばくね? 根無し草ってことでしょ?
「なんも考えてなかった……俺って移住したけど何の準備もしてない無計画野郎だったの忘れてた……」
「卑屈すぎない?」
「やーい野宿野宿〜」
「真宵ちゃんダメだよ。橋の下って言ってあげて」
「そ、そそれってホームレスってことじゃ……あっ、会話に混ざってすいません……」
「こっちも卑屈だわ」
「どうする、今からホテルを手配しても、間に合うかわからんぞ」
「あぁ……いや、ホテルは不味いな。守りきれない」
「ん。どんまい」
「……慰めないでください」
真面目に考えてくれる人が部長副部長の二人しかいないせいで、絶望に暮れる一絆くん。その横で、ボクたちはやいのやいのと隠すことなく望橋ホームレス化計画を進める。
目指せ橋の下、物乞い異世界人を作ろう!
「やめろ」
「いったい! キミ女にも容赦ないのな!」
「神を殴った俺に敵はいない」
「確かに」
そういやコイツ、あの邪神サマを殴って手を痛めた猛者だったわ。
その一点だけは尊敬する。愚行だけど素晴らしい。
周りが責めてもボクは褒めるよ。もっと殴れ。
それはそれとしてボクの頭を叩いたことは許さん。
「ふぅ……あー、あの。ホテルはダメってどういう理由なんすか?」
頭を掴んで握り潰そうとするボクの魔の手を全力で避け続けた彼は、ふと疑問に思ったことを玲華部長と廻先輩に問う。
確かに、なんでダメなんだろ。別に良くね?
守りきれないって……あぁ、成程。真宵納得。
「うむ、これは大事だから伝えておこう。可能性の話だが、君の存在が裏社会にバレたとするだろう?」
「はぁ……」
「で、君は別の地球から来たわけだ」
「……誘拐コース?」
「からの人体実験ドーン、だね」
「日葵が言う通りのことになる」
「誰か泊めてください」
最悪を妄想した彼は、瞬時に土下座の態勢になってボクたちに居場所を甲鉄城の乞うて来た。
必死すぎてわろた。大草原をここに生やそう。
そんな一絆くんを見て、哀れんだ男たちは……
「僕ん家は無理だよ」
「すまん。他人を入れる余裕がない」
異能部たった二人の男は、家の事情や個人的理由で居候先になるのを却下した。
一絆くんは無惨にも崩れ落ちた。
そして、ここですかさず女性陣が声を上げる。
「わ、私は……む、無理でずぅ……うぅ〜……」
「ん。お化けがでる神社で良ければ」
「うちは……ダメだな。母親が許さんだろう」
「納屋でも居れたくないって言いそうよね……」
多世先輩の枢屋家はサーバーいっぱいのゴミ屋敷と化しているからワンアウト。秘匿情報の山だからツーアウト。更に先輩の性格的にスリーアウト。
弥勒先輩……ノーコメント。一絆くんも無視した。
神室姉妹の実家は、もうお分かりの通りだと思うが母親が男性不信を極めている為オールアウト。
うん、軒並み行ける場所がない。
……あれ、この流れは不味くないか?
ボクは日葵と目を合わせる。目が合った。どうやらあっちと考えていることは同じらしい。
ボクと日葵が住んでいる家、都祁原邸。
学院から近くて、敷地面積は広くて、三階建てで、元がつくけど勇者と魔王がいて、いざとなったら彼を制圧できて、養父が学院のトップで?
異能犯罪者が一名潜んでいる疑惑があるけど?
全体的に鑑みて安全性が高い……あぁ〜。
「あー、私たちのい「ダメだね、無理だよ」ぇって真宵ちゃん!?」
「いやだいやだ! いやだよボクは!」
「……あー、おまえらもしかして同居してんの?」
「養父の家にね」
「ホームシェアだよ!」
なんで構わないと思ってんだよお前。おかしいだろ男が入る隙間なんて1ミクロンもないぞ。
おじさんは別だ。子供の頃から世話になってるし。
だが一絆、てめーはダメだ。
気に入った人間とはいえ、ね。
「……で、どうすんの?」
「あー、百合の園に入るのはちょっと……俺まだ死にたくないもん。流石に遠慮するわ」
「咲いてないぞ勘違いするな」
「はいはいそうだな。俺が間違ってた」
「手馴れ始めた……」
勘違いは正せたようで何より。あんな花粉飛ばして鼻と目を虐めてくるだけの花なんて咲かせないよ。
二つの意味で咲かせない。咲かせてたまるか。
ボクは抵抗するぞ! 頑張って日葵から逃げ続ける。
「はぁ……まじで、なんとかなりませんかね」
「学生寮は?」
「空いてるかわからん」
「もう面倒臭いから部室で良いんじゃないかな?」
「えぇ……いや、それはそれで……」
「一理あるな……」
ほら、廻先輩も共感してる。ここの部室で寝泊まりすれば良いと思うよ!
安全だし! なんの問題も無いと思うよ!!
そうボクが抗議して、満足できたと思ったら……
壁に取り付けられているスピーカーから、声が鳴り響く。
『ピーンポーンパーンポーン。二年二組、洞月さん、琴晴さん。三年一組、神室さん。学院長がお呼びです。至急、転入生を連れて、本校舎二階、学院長室までお越しください。繰り返します───』
放送を聴いた瞬間、ボクの怒り袋は破裂した。
「んでだよ! 展開よめたぞこれ!!!」
「あはは……良かったね、一絆くん」
「な、何が? つか早く行った方がいいんじゃ……」
「無視!」
「ダメだろう。諦めろ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜〜!!!!」
「発狂してやがる……」
い、嫌な予感がプンプンするぞぉ〜!
学院長のお呼び出しとか、普通は緊張とか困惑するんだろうけど、ボクと日葵は例外。
今、育ての親にとんでもない殺意を抱いている。
この殺意、ぶつけないのは失礼に値するよね。
ボクの心の底からの鬱憤を聞いても、日葵と部長は諦めろって言うだけだし。一絆くんは理解できずに首を傾げるだけだし。
あぁ最悪だ。あの人、ボクたち二人の正体を知ってるから丁度いいと言わんばかりに住まわせる気だ。
今いい感じに話を逸らせたのに……クソが。
学院長のくせに、無意味な権力持ちやがって……!
家主だからって良い気にさせてたまるか! ボクは抵抗するぞ!! 拳で!
ボクの予測が正しければ……そんなバカなことを、あの人はするかなぁ……
するわ。
「絶対に阻止してやる……!」
「……早めに昏倒させよ」
「後で文句言われるんじゃないか?」
「平気ですよ。私が相手だから」
「豚も! 望橋一絆も! ぜーいんぶっころす!!!」
「俺もかよ!?」
望橋一絆、お前は絶対に家の中に居れてやらん……絶対、絶対にだ……!
そしておじさん、いや学院長。おめーは殺す。
◆◇◆◇◆
そんなこんなで学院長室。扉に向けて真宵キック!
「おら何考えてんだハゲデブこらぁ!!」
「ごほっ! ごほっごほっ……ま、真宵!?」
「ちょ、真宵ちゃ……!」
品行とか礼儀とかの一切を無視して、怒りを灯して学院長室に繋がる扉を蹴り破る。
どうせ能力で直すのだ。幾ら壊しても無問題。
学院長室に飛び込んだボクは、日葵の静止の叫びを無視して特攻した。大暴走するボクを見て、学院長は飲んでいた紅茶を勢いよく吹き出す。
うわっ、汚。あの絨毯に乗るのは金輪際やめよう。
取り敢えず、今は彼を仕留める事だけを考える。
「おいガチかよ、気狂いかよおめーは!」
「……薄々こうなるとは思っていた。頑張れ学院長」
「や、部長も止めよーぜ!?」
「親子喧嘩に口を挟むのはなぁ……」
「……えっ、親子?」
後ろの部長と異邦人の声は無視。さぁいくぞ!
「ボクと日葵の間に厄ネタを入り込ませようとするのやめてくれない? 何考えてんの? 死ぬ? 死ぬ?」
「や、いや待って! そう、話せばわかる!」
「ワカラナイ」
「おおお落ち着くんだ真宵! 頼む、ぱぱぱ、パパの話を聞いてくれ!?」
「うるさいうるさいうるさーい!」
「あ、これ止まらないやつ……辞世の句読も……」
何かを察して諦観し始めた学院長。その諦めが無ければあと六十年は生きれたかもしれないのに……
いやそしたら百超えるわ。草。
……集中が途切れる! これが罠か!!
まぁいい。勇者と魔王という本来相容れない奴らが仲良く生を謳歌できている絶対領域に、望橋とかいう部外者を入れようとする罪は重いぞ! 地獄行きだ!
おめーの罪は何色だ、都祁原ァァァ!!!
「真宵ちゃん……///」
「そ、そこ! 惚れてないで助けて! ひまりー!!」
「養父だからって気安くひまちゃんのこと呼ばないで頂けます???」
「真宵ちゃん///」
「あー、ダメだこの百合ップル……」
「無意識、なんだろうなぁ……」
一絆くんも玲華部長も何の話だ。入り口で立ち止まってないでキミらも参加しなよ。
……つか、日葵はなんで惚けてんの???
……あぁ、もういいや。考えるのをやめよう。
兎に角、このまま行くとボクが安心して血を流せる環境が壊れてしまう。それだけは絶対に阻止せねば。気楽に自殺できる場所が無くなるのは辛い。
絶対、絶対に……“望橋一絆の入居”だけは止めねばならない!
その為にも、このデブを倒す。
自分の秘密を知る者のみで構成された家に、何も知らない部外者を入れたく無いから。
物理で止めるのだ。無理だとしても、怒ってますよアピールが大事なのだ。
「いやぁ、流石に勘づかれたねぇ……でも、そう簡単に私は負けないよぉ!!」
「あっ、ステーキ700g」
「どこぉ!?」
大方、この先の展開は読める。ボクを誰だと思っているんだ。こいつの思考なんざ読んでやるさ。
拳を強く握り、怒りを溜めて……
肉という妄言に釣られて斜め後ろを見た後、ハッと嘘だと気付いて振り向いた“おじさん”。
彼の視線を拳に移動に向いた瞬間、足を繰り出す。
真っ直ぐ伸ばした右脚を、そのまーるい太ったお腹に叩き込む。
「ぶごぉ!?」
豚の如き悲鳴を上げながら、おじさんは鞠みたいに吹っ飛んだ。
やっぱお腹は柔らかかった。ねぇ時成、痩せなよ。
コロコロと部屋の中を転がり、無駄に高そうで何か偉そうな学院長の机に頭をぶつけて、大豚は昏倒。
圧勝したボクはコロンビアして振り向いた。
ボクに向けて、殺意が篭った手刀が振るわれた。
「えっ」
「シィッ───」
「やば」
息を吐き、一足で接近してきた暗殺者ヒマリはボクを沈黙させようと不意打ちを仕掛けてきたのだ。
ガチで殺す目だあれは。
いやこれ戯れの範疇じゃん。これぐらいはしてきて良いよって言ってたのおじさんの方じゃん!
で、今回は完全におじさんのせいだよ!?
あー、あーダメだ。問答無用で狙ってきてやがる。
……そんなに、そんなに日葵の中では、このデブが大切な人って扱いなのか? ボクの想いよりも?
それはそれ、これはこれってやつ?
というか、学院長室で戦うなよ(どの面フレンズ)!
「取り敢えず寝てて」
「やだね!」
無論避けた。逃げた先にいた一絆くんも避け……
あれ、捕まった。
そのまま彼はボクが認識すらできない謎スピードで身体を締め上げて……
ん? ん、今ボク何され、てかどうなっ…
「ジャーマンスープレックス!!!」
「ぎゃふ!!?」
名前だけしか聞いたことない技が綺麗に決まって、ボクは頭を強打。
その結果、ボクの意識はゆっくり落ちていく。
「きゅぅ……」
キミ、素質あるよ……色々、と……
◆◇◆◇◆
「悪は去った。俺の勝ち。なんで負けたか考えとけ」
「大惨事、だな」
「おとーさん、起きてー」
「ぐ、ぐふ……」
床に倒れる二つの屍。黒髪白メッシュの女性遺体は望橋一絆がソファに寝転がせ、禿頭で肥満体型の男性遺体は、琴晴日葵が起き上がらせて蘇生した。
愛娘から憤怒の一撃を食らった学院長は、呻き声を上げながら日葵を支えに起き上がる。
神室玲華は紅茶の汚れを綺麗に拭き始めた。
「おとーさん大丈夫?」
「あ、あぁ……大丈夫だとも。真宵の突飛な暴力には慣れてるからねぇ……」
「……………お父さん、ねぇ……」
学院長が日葵に父親と呼ばれたのを改めて、一絆はまさかなぁと思いながら隣の部長を見る。
静観していた玲華は、一絆の視線に無言で頷いた。
それを見て一絆は更に気付く。日葵と真宵が同居していること、そして学院長が父親……
「こいつ躊躇いがねぇな」
安らかな気絶顔を晒し、なんなら寝息を立てている真宵を見て、そう呆れた声で呟いた。
暴力こそ正義とかを誰かに教わったのだろうか。
「……っていうか、この人が学院長??? えっ?」
いそいそと学院長用の黒革椅子に座りに行く肥満の王道を行く太った男を見て、今更一絆は思った。
この人が? え、どう見ても種○けおじさん……
この世界はエロゲだった? いやいやまさか……
絶句する一絆は、もう一度学院長を眺める。
太り過ぎている為か、パツンパツンに膨れた茶色のスーツを身に纏う、肥満で禿頭の中年男性。
身長が高いせいで、ほんの少しだけ感じる威圧感。
そして、額を流れる脂汗。見るからに不快感を煽る風貌をしているが、愛嬌のある笑みと誠実な行動でなんとかバランスを保っていそうな男。
実際、彼は見た目は兎も角として、多くの人々から慕われている教育者だ。
脂汗を拭きながら、この学院の最高位の役職に就く日葵と真宵の“おじさん”は、新たに学院に迎え入れた生徒を、そして新しい“息子”を前に、柔らかな笑みを見せて挨拶を返した。
「んんん。見苦しい姿を見せたねぇ……君が望橋一絆くんだね?」
「は、はい。一絆です……」
「そうか。なら自己紹介をしよう。私は都祁原時成。この王来山学院の学院長を勤めている。そして、今そこで伸びている暴力娘と、隣にいる清楚のフリをする変態娘の父親をしている者だ」
「今なんで私まで侮辱したの???」
「待って待って死ぬ死ぬ死ぬ」
学習しないのかアホなのか、学院長、都祁原時成は今度は日葵に首を締められている。肉で見えない首を綺麗に締め上げる日葵はプロか何かなのだろうか。
仕方なく、善意で一絆は日葵を止めた。
話が一向に進まないからという理由で止めたわけではない。
「いやはや、真宵ならすぐに気付くだろうなぁ、とは思ったけど……実力行使が思ったより早かったねぇ」
「想定が甘いよ」
「そうだったみたいだねぇ……やれやれ……」
玲華、一絆の二人を、真宵が寝ていない空いているソファに座るよう促して、学院長は話を切り出す。
日葵はいつの間にか真宵を膝枕している。
「まずは、玲華さん。報告書は見させてもらったよ。君の予測通り、色々と動きが見えた」
「! ……では、手筈通りに?」
「あぁ。ま、その話は後でしようか」
「わかりました」
会話の内容は聞けても、その概要はわからない。
何の話なのか一絆は気になったが、まぁ野暮だなと思って口を噤んだ。彼が応接室にいる間、玲華たちは一絆襲来後の世界情勢や裏社会の動向を調べて、目立たしい変化や動きが無いか調べていた。
結果は灰色。円卓会の騒ぎに機敏な反応を示した組織が複数あったが、学院周辺に不穏な動きはなかったらしい。
時成は改めて円卓会使えないなと思った。
「ふぅ……さて、一絆くん」
「っ、はい」
「これから君は我が学院に通ってもらうわけだが……今の所、住む場所が決まっていないようだね?」
「はい。このままだとホームレスですね」
軽口を叩きながら、しかし不安そうに一絆は後頭部を掻く。このまま家なき子になるのか、いや流石にそれは無いだろうとは希望的観測で思っているのだが。
不安は不安なので、学院長の言葉に耳を傾ける。
「うちの学生寮は現在満員。生憎だが君を学院内に住まわせる事はできない。本当なら、こっちの方が都合も良かったんだけどねぇ……」
「じゃあ……?」
「ってなわけで、悪いけど私の家に住んでもらうよ」
「……は?」
爆弾発言。先程までの真宵の拒絶反応を想起して、更に真宵が学院長にブチ切れた理由を理解して……
最悪を知った一絆の脳は死んだ。
やばい事になると、理解したくないことを理解してしまった。
「えっ、ちょ……いや、そ……えぇ……」
困惑と煩悩で脳がバグった一絆を余所に、愛娘二人にとっても酷なことを言った時成は、呑気な顔で淹れ直した紅茶を啜っている。
何一つ問題視していない様子の養父に向けて、真宵を介抱する日葵は疑問を投げる。
「ねぇ、一絆くんを住まわせるメリットがあるの?」
真宵の嫌がりようを見たことで敢えて口には出さなかったが、日葵は別に望橋一絆という“男”の入居を認めていないわけではない。なんなら歓迎している。
何故なら全ては真宵の為。
闇に居続ける真宵を縛る“情”という名の鎖を増やす為ならば、日葵は躊躇わずに一絆との同居を受け入れる。そもそも、そこら辺の性問題に日葵は無頓着だ。
勇者時代に男たちと雑魚寝したのが悪い。
納得していても、愛する同居人の為に日葵は聞く。
「あぁ、あるとも。一つは私の家に住まわせることで彼の横取りや政治的利用から遠ざけることができる。二つ目はおまえたち、日葵と真宵の二人がいれば彼を守ることは容易い……そうだろう?」
「……うん、否定はしないよ」
「それに、これは二人の為でもあるからね」
「え?」
最後に呟いた一言は、あまりにも小さな声量だったが、耳聡い日葵はその発言をしっかり聞いて、なんの事か時成に追求する。
しかし、時成は時成で答える気はないようで、全力で首を振るって追求を跳ね除けていた。
結局、根負けした日葵が不貞腐れながら真宵の頭を撫でる愛撫に戻った。
「ふぅ……さて、話は聞いていたね、一絆くん」
「……あっ、はい。正気ですか?」
「なにがだい?」
「百合の園に横入りとか、俺死にますよ多分」
「大丈夫大丈夫」
「なんでそんな楽観的なの……?」
邪神の手で異世界に来て早々に、一絆は地獄を見る予感がして堪らない。
都祁原邸に住む、それ即ち日葵と真宵と共に住む。
端的に言って地獄である。異性への耐性は人並みにあるものの、同性恋愛に発展していそうな女子たちと同じ屋根の下で暮らすだなんて、思春期真っ只中にはレベルが高すぎる。
加えて、同棲している女子と住むなど、彼にとって処刑案件に等しい。百合の間に挟まる男扱いされてもおかしくないレベルの重罪である。
今、一絆の脳内はそんな悲観的思考でいっぱいだ。
あとここで賛同したら真宵に殺される。
「……真宵、起きているんだろう?」
「えっ」
「………………ふんっ」
そんな時、この騒動の元凶である時成が、気絶した真宵がとっくの昔に起きていたことを指摘する。
恐る恐る一絆が斜め前を見れば、日葵に膝枕をされながら、感情の灯っていない虚無の紫瞳が、まっすぐ一絆の首元を狙っていた。
殺す気である。目が合った瞬間に逸らされたが。
「ボクは納得してないぞ」
「……具体的にどこから聞いてたんだ?」
「こいつ躊躇いがねぇな、から」
「ほぼ最初っからじゃねぇか」
真宵が気絶したのはたった数秒。すぐに意識を取り戻したが敢えて動かずにいた彼女は、ジト目で養父と異邦人の会話や、日葵の疑問を聞いていたのだ。
それで利点は理解できたが、納得はできていない。
苛立ちを隠して、日葵の膝枕や頭撫でにされるがままだったのも、全ては静観する為である。
依然、殺意は胸に秘めたままである。
「一絆くん」
「ん? なんだ、琴晴さん」
「勝手に話進めてるけど一絆くんはどう考えてるの? もう決定してる雰囲気だけど、聞いとこうかなって」
「あー……安心安全ならどこでも、って感じ」
「じゃあうちが一番かなぁ……かなぁ?」
「ボクを見ないで言わないでもらえます?」
一応、日葵から質問されたものの、一絆に拒否権は無いに等しい。なにせ、今の彼は何も持っていない、何の力も後ろ盾もない人間にすぎない。
それをわかっているからこそ、強く拒絶はしない。
その決定事項に、ちょっとだけ忌避感があるだけである。
「ぶっちゃけ、さっきの利点は公的なヤツじゃん」
「うん、そうだねぇ?」
「じゃあ私的理由は? おじさんはなんで一絆を家族に迎え入れようなんて考えてるの?」
もう一絆を家に迎え入れる心構えはできている日葵を余所に、もう無駄に言い募っても変わんないんだろうなと思いながら真宵は父に問う。
しっかりと、娘が納得できる答えが欲しいから。
それを受けて、時成は恥ずかしそうに頬を掻きながら、ボソッと小さく呟いた。
「……息子が欲しくなったんだよねぇ」
ヒュっと誰かが息を飲む。一絆が周りを見れば、顔を青ざめた日葵と真宵、我我関せずといった仏頂面をしながらも冷や汗をかく玲華がいた。
三人の反応に疑問を持ち、首を傾げた。その瞬間。
「仲良くしようね、一絆くん!」
「ようこそ一絆。歓迎するよ!」
「えっ。えっえっえっ?」
目を離した隙に、一絆の両隣に日葵と真宵が座って肩を掴んで、満面の笑みで彼を歓迎していた。
玲華はすごいものを見た目で二人を見つめていた。
一絆の頭の上にはクエスチョンマークが百個ぐらい浮かんでいるだろう。
なにせ、さっきまで邪険にされていたのに、いきなり肩を組まれればそうなる。不信感が湧くに決まっている。
「言っておくけど……おじさんの為だから、ね?」
「あっ、はい」
真宵たちはいきなり息子が欲しいと言われ、一絆は遠回しに息子になれと言われ、時成にだいぶ振り回されながらも、彼の入居先が決定した。
……都祁原時成は、家に娘が二人いることを理由に妻を娶ろうとはしなかった。容姿も理由になりそうだが、それらを度外視して子供たちだけを優先してここ十年を過ごしてきた。それを知っているからこそ、二人は惑う。精神は成熟しまくった老人とは言え、己らのせいで時成の人生の幅を狭めていることをしっかり理解している。だからこそ、二人は拒めない。
いつも欲望を言わない父親の願いを、自分たちのくだらない想いで無下にはできないと思っているから。
「……いいよ、守ればいいんでしょ、守れば」
「女に守られる弱い男ですまん。すんません」
「あはは、いいよいいよ。これから強くするから」
「……あ、“する”前提なのね?」
「「当たり前でしょ?」」
「ワー、ヨロシクオネガイシマース」
元勇者と元魔王、世界で最も危険で安全で、どこをどう考えても安心とは程遠い場所。
前までは浮遊と加速を操る異能者もいた止り木で、更には時間停止能力者が家主という異能の魔窟。
養父は滅多に帰ってこないとは言え、娘の片割れが定期的に闇堕ちするとは言え、過剰戦力が揃っていることは事実。
そこに並行世界からの異邦人が追加される。
なんと不可思議な家系だろうか。
「じゃあ、みんな仲良く……これからもよろしくね」
新たに長男を迎えた大家長、時成の言葉を締めに、望橋一絆の家なし問題は終息する。
「おめでとう」と言って拍手する玲華と、諦観した表情で一絆を眺める真宵、まぁいっかとこれからの生活に思いを馳せる日葵たちを見て───
空笑いを上げた望橋一絆は、心の中でこう呟いた。
(……百合を眺める壁になれば、地獄に堕ちることはないかなぁ……ないと良いなぁ……)
あまりにも同性愛、百合過激派に怯えていた。
現在、その二人に物理的に挟まれて座っている事を忘れてはならない。
……そも。付き合ってもいない女子と同棲できる時点で彼は狩られる側の裏切り者であり、嫉妬に狂わされた現地民にとって排斥対象になりかねない事実を、混乱している一絆は忘れていた。
俗に言う、地獄行き不可避と言うヤツである。
一絆は自衛を覚えないと、本当に命が危ないかもしれない。
異邦人、望橋一絆の受難は始まったばかりである。




