序章上・水色って蛍光ペン思い出すよね。
死神ってなんで黒いイメージが先行し過ぎているのだろう。
死が闇を、夜を、想像させるから?
いや、むしろ闇や夜を、死と認識してるから?
だったら試しに鎌を水色にしてみよう。
そんな安直な考えで行き当たりばったりに書かれていきます。
闇が凍み渡った沈黙が場を支配している、セメントと硝子ばかりの日本の都心の夜。
そんな中を一人、息を切らしながらも尚、灰と黒色と、白く朦朧とした幾何かの半透明なナニカの群れが意地悪気に揺蕩う。
そんな日常とほんの少しだけ、しかし明確に違うこの世界から抜け出さんと藻掻き続ける、黒いおさげを揺らす女子がいた。
女子の年頃は十と五つ頃だろうか。近辺の住まいの子なのだろう。ここらに住んでればまず見覚えある、赤と緑のラインで描かれたクリスチャンかの色合いをしたスカートが、一生懸命に足を動かす事で人目を憚る事なく翻っている事からも明瞭であった。
だが近隣の皆々もその服装の所々に明確な切り裂かれた様を目の前にしたなら、善良な市民であれば心配になって声掛けするだろう。
一般的な善良の今頃の勇敢な若人であらば、『まずは撮影しよう』と携帯電話を使い救援を呼ぶでもなく、拡散し周囲に身近な危険を知らせるのを自らの命をも度外視に最も優先するのかもしれないが。
ここには幸いなのか不幸なのか、不自然なまでに誰もおらず、女子は孤独にも懸命に、生きようとしていた。
だが、疲労が溜まっていたのだろう。そのうち足は残酷にもつれ、地面を体が滑り回る。痛々しい擦り傷を多量に抱え、ソバカスある頬にも傷が付いている。だがその程度で立ち止まろう軟弱な心ではそもここまで辿り付けなかったはずだ。しかし、これ以上体がいう事を聞いてくれなかった。
むしろ制服が切り裂かれる時感じた痛みを受けて尚、今の今まで走れただけで、十分に女子は努力をしたのだ。ただ摩耗したせいで、いよいよもってほんの少し折れただけ。
その時。女子にはまだ知覚出来ていない事なのだが。
周囲を漂っていた白いナニカが、突如四方に散ろうとし始めていた。
それを許さないかの如く女子のみが、否。正確には、女子の制服のみが鮮やかな色彩を放っていた世界に。
穏やかな、それでいてどこか冷たい水色が世界に付着した。
水色は白を染め上げて、消し去っていく。まるで、吸い寄せられるように白は水色へと誘いこまれ、次々と塗り潰され、消えていく。
そして、白はいつしか無くなり、無機物の灰と黒を除けば、そこには凡そ赤と緑と水色のみが残った。
流石にこの頃には、女子も水色に気付く。
水色は赤と緑を放つ女子に近づく。
よく見れば水色は稲の命を刈り取る様な、湾曲した刃とそれを支える棒状の所まで。全てが水色一色の。ファッションセンスの欠片もない色合いをした、けれども何故か、綺麗だと感じてしまう不思議な鎌であった。
もっと観察すれば、鎌には持ち主がいるのを今更ながらに女子は気付く。周りの風景と時間に混ざって見えにくいし照り返しもない。夜に溶け込む黒色のコートを着ていたため、仕方がない事なのだけども。
当たり前の話であるのだ。水色のみが白いのを刈ったというならば、鎌が独りでに動き回った事に他ならなくなってしまうのだから。
コートのフードを目深に被った背丈はどう見繕っても少年少女にあたる水色の持ち主は、背丈に見合った幼さ残る高めの声色で呟く。
「――――」
何を言ったかは、痛々しい静寂の中だから、女子は微かに聞き取る事ができた。そして、それが人の言語である所まで察し、意味まできちんと分かった事から同じ日本人である事もわかり、その上でそれを隙と捉え、雑魚が作った時間で余裕のできた赤緑の色の付いた、所謂『色付き』は、久方ぶりに存在ごと切り裂かれた痛みや、力の行使による魂が感じる疲労等を度外視に追い付いてきた追跡者である水色から逃げようとする。
しかし、水色の鎌を持った仮にも死神に、任務の失敗は許されるはずもなく。
先ほどの白い数多の霊を吸い寄せた時と同じように。そして、より一点に注力して。
掲げた左手にある赤い痣は痛々しい程に輝かせる。
途端に掛かる引き寄せられる本能に疲労や痛みがありながらも抗い、懸命に逃げようとする女子の姿をした色付きの霊をしかし。
二度目の逃亡を許す程水色は甘くなかった。
鎌は女子の怨念の魂元を刈り取る。赤緑に水色が浸食し、怨霊は哭きながら吸収されてゆく。
辺りの怨嗟が消え去った事を確認した水色の鎌を持った死神見習いにあたる死介者は、役所に連絡を取る。
「こちら、水色二十八号。溜まり場を清めた。結界の解除を求む」
「こちら東京支店監察課。溜まり場の清浄化。又、赤緑の妄執者の討滅を確認。結界課に三分後解除する旨を伝達したため、至急拠点に戻られたし」
「……了解した。通信を終える」
水色二十八号は念話キットの通信を切ると、まだ寒い冬の星の見えぬ夜空を見上げながら白い吐息を吐く。そして、夜だからと云ってあまりにも色のない幽世が、色を取り戻して『色ある現世』へ染まっていくのを尻目に、その場から溶け込むように消え去るのであった。