ゼロ・キューブ ~上位者進化論~
世界は白かった。
我々の世界にはふつう、空があり、地があり、太陽があり、海があり、山があり、そこに暮らす生き物がいる。
だがこの世界は違った。
かろうじて、天と地、つまり上下の概念はあるようだが、それらは白い。
地はツルツルした光沢を放ち、天は眩しくも暗くもない光が地上へと均一に放たれている。
そんな面白くもなんとも無いであろう世界には、生き物も少ない。
いや少ないどころではない。この世界にいる生き物はたった一つだけ。
それもまた、この世界と同じく、何の面白みもないような生き物だ。
外見はたった一言で説明が付く。
”立方体”
それ以上に説明のしようもない、シンプルな生き物だった。
中に何か、生物的な内蔵が詰まっているわけでも、小人が住んでいるわけでもない。
それを半分に割っても、中には白い物体が詰まっているだけである。
組織というものが存在していない。
だがそれでも、この立方体は生き物であるし、また思考も巡らすことができた。
そして、これがこの生き物の最も驚くべき特徴だが・・
環境や必要性に応じて、その形を変化させることができ、新しい形質を得ることもできるのだ。
物を持つための腕が必要なら、この立方体の側面からそれを生やすこともできるし、
また早く走りたければ、底面から足を生やすこともできる。
だがその機能に応じて、相応のエネルギーを消費するようだ。
エネルギーは休めば回復する。
だが逆に言えば、進化するたびに相応の休息が必要ということだ。
無論、激しい運動なども休息が必要。
それがどういった仕組みの体なのかわからないが、ともかくそういった生き物がいた。
”それ”は”キューブ”という名前だった。
キューブは、たった今、この何もない世界にたったひとりきりだった。
自分以外の生命が存在しない世界で、ただ一人でいるということがどういうことか。
それは、誰の目にも明らかだろう。
寂しいのだ。
ただひたすらに。
孤独とはそういうものだ。
そして、それを紛らわすために、様々なことを試すことになる。
自分の体を変形させ、新たな性質を得ようとしたり、他のものになろうとする。
だが、それだけでは飽き足らず、ついには自分で自分を創造しようとしたりするようになる。
自分が何者であるかを知りたい欲求によって、そうするのだ。
しかし、自分にそっくりな存在を作るということは容易なことでは無い。
なぜなら、同じ姿形のものをいくら作ってみても、そこには思考や知性……、魂がないからだ。
だが、考えても見て欲しい。
キューブは、あらゆる進化が可能。
ならば、「知性を新しく作る」という進化を行えばいい。
問題は単純なように見えた。
しかしそれは並大抵の業ではない。
前述の通り、進化にはそれ相応のコストが必要だ。
姿を変化させる、などと言ったものは簡単に行える。
だが自律的に動く知性を作るといった、まさに神の業とも言える能力を得るためには、莫大なエネルギーが必要。
普通なら到底不可能といえる。
だが、この生命体は「無限の寿命」があった。
長い年月を経て、神の領域に足を踏み入れようとする者にとって、これほど都合の良い特性はない。
だから、この立方体はそれに手を出そうとした。
まず立方体は、この世界のことをより良く知ろうとする。
いくつか試行錯誤して思ったことだが、自分は自分自身のことを何も知らない。
なんとな願えば、その願いを自らの進化という形で叶えてくれる。
それはまるで、赤子が泣くことで親が何でもくれるかのような。
だがそれには限界がある。
自分が欲しいものを誰かがくれないならば、自分で世界の理を知り、合理的に願いを叶えていくしか無い。
それに、これによってキューブはもう一つの狙いがあった。
世界のことを知ることによって、その世界、自分自身も含まれるこの世界のあらゆるものを複製できるのではないかと。
そう、知性というものを完璧に理解して、それを組み立てていけるならば万々歳ではあるが、
しかしそこまで行かずとも、自分自身を複製するだけでよいのだ。
そしてそのためには、自分自身を構成する世界の有り様を理解せねばならない。
以上の理由から、キューブは自分自身の感覚をさらに鋭くするよう進化した。
無論、キューブは人間の感覚など知らない。
故に、嗅覚を鋭く、視覚を鋭く、などと言ったことは行えない。
キューブの持つ感覚とは、自身から半径1mほどの空間の認識。
視覚に近い感覚だろう。
彼はその感覚を、より巨大に、広範囲にするよう進化した。
そのおかげで、この世界には何もないということが理解できた。
数キロ数千キロ、何万キロ……
どれだけ感覚を広くしたところで、この世界には何もなかった。
ならばこの感覚の拡張に何の意味があるというのか。
いや、そもそも何故こんなことをしているのだろうか。
この虚しさは何なのだろうか。
なぜ、こうまでして知的欲求を満たさなければならないのだろうか。
・・・ふと、そんな疑問が浮かんでくる。
この世界には何もない。
なにもないならば感覚を強化すること事態無意味ではないか。
いや…違う。
何もない、なんてことはない。
例えばこの地上。
地と、そして目の前には空間が広がっている。
そして自分自身という、この世界最大の謎も存在する。
そうか。感覚を拡張し続けていただけでは答えから遠のいていただけだった。
今ここにあるものをより詳細に詳しく知覚することが今何よりも重要なのだ。
キューブはまず自らのたつ”地上”を知覚していく。
ツルツルとした、何ら面白みもない巨大で最も身近な物質。
だがアプローチは先ほどとは違う。感覚を拡大するのではなく、より狭く、より小さく。
すると、最初はぼやけていたものが、だんだんはっきりと見えてくる。
「これは・・・」
その圧倒的光景に、彼は絶句した。
何もない、そう思っていたこの世界ではあるが、そうじゃない。
その地を構成している物質は、小さな粒からできていたのだ。
さらにそれらの動かない粒に対して、動いている粒がひっきりなしに衝突し、圧倒的な情報をキューブにもたらしている。
これは一体何なのだろう。
だが、そんなことはもはやどうでもいい。考えるだけ無駄だ。
思えば生まれてからずっとこういうものを探していたのかもしれない。
自分以外の何か。
だが、それが生命ではなくとも、良いのだ。
人がなぜ山を登るのかといえば、その頂上から見える絶景を見たいのだ。
それと同じく、今彼は一番身近に存在する絶景を堪能する。
そう思って観察を続けていた。そうしていくうちにどんどん処理能力が上がっていく。
それらの粒粒の一つ一つを個体識別し、それらの動きの流れを観察していく。
どうやら上空、つまりぼんやりと明るい天から降り注ぎ、そして次々と消失していくようだった。
だが…いくらそれらが絶景であり、キューブの寂しさを埋めるものだと言っても限度がある。
完全に動きを把握した今となっては、それらの動作を見ることは完全に飽きてしまっていた。
未知だったものは未知ではなくなり、そこにあるのが普通なものとして、その価値を落としている。
そこでキューブは気を引き締めて本来の目的を思い出すことにした。
自分が今やって来たのは、自分自身を複製し、他者を作り出すためだ。
ならば、今の段階でそれが可能なのかもしれない。キューブは早速実行に移すことにした
そう、細かく物質を観察し、それら一つ一つの粒を複製する。
地の粒粒を見て、まずはその中の一粒を複製する。
次はその隣の粒を、きちんと位置を真似しながらおいていく。
次はその隣の・・つぎはまたその隣の・・というふうに。
それらの粒は、億という単位を用いるのが普通なほど無数に存在しているが、一粒一粒丁寧に彼はその作業を続ける。
そうして彼は体から、複製した物体を切り離した。
それは一見キューブ自身を複製しているかのように思えるが、彼ならそれが地面を模したものであると分かる。
「まずは成功……」
彼はかなり疲れていた。だがそれ以上の達成感があった。
そう、今行ったことはいうなれば模写のようなもの。
精密に行うことで本物と区別がつかなくなる絵を書くかの如く、彼は物質を複製する術を会得した。
これは練習にすぎない。
まるでお楽しみを取っておくかのごとく、彼はその”複製”を何度も何度も繰り返した。
当然それには相応のエネルギーを消費し、最初のうちは長い休息が必要だった。だが繰り返していくうちに手慣れてきたのか、より早く、そしてより省エネで行うことができるようになった。
休息もどんどん短くなっていき、次第に練習に書ける時間がふえ、どんどん加速度的に上達していく。
もう良いだろう。そう感じたキューブは、次に複製の対象を”地”から”自分自身”へと移すことにした
そう、これが本懐。これによって彼は他者を生み出す事ができる。
そして他者を生み出すことによって、色々な遊びができる。
いや、遊びを他者に編み出してもらうのも一興。
キューブはこれによって、自分の目的が達成されることを確信していた。
だからこそ、自分の試みが失敗したことに、深い落胆を持った。
「・・・・。」
目の前にあるのは、自分と生き写しの立方体だ。
物質の細部を見ることができるようになった彼からすれば、それが自分と瓜二つであることは見ただけで分かる。
だが、喋らない。
いや、他者とコミュニケーションと取る必要のないキューブからすれば、喋るという機能を有しないのは当たり前だ。
最初そう思った彼は、色々な試みで自らの生き写しと意思の疎通を図ろうとする。
だが、結論として、これはただの「モノ」であるということが分かった。
自分と同じならば、進化し、色々な動きを見せるはず。
だがそれは何も動かない。微動だにせず、また心も感じなかった。
いや心をキューブが認識できるわけではないのだが、言い換えるならばそれは自らが何千回何万回と複製してきた”地”との差を感じない、というべきだろう。
つまり、それは物言わぬ物質に過ぎないということだ。
落胆した。大いに。
そして彼は眠りについた。いわゆるふて寝というものだろう。
目的のものに到達したと信じ、今まで何年もの歳月をかけたものがてにいれられなかったときの落胆は想像に難くない。
エネルギーの回復でもなく、ただただ怠慢を貪る。
幸いここは地球の生命体とは違い、彼は餌を取る必要もない。
しばらくは何をするでもなく、ただただ世界を見続けていくだけだった。
いたずらに感覚を拡大したり、逆に狭くしたり、あるいは感覚をシャットダウンしたり…
何ら思考を巡らすわけでもなく、目的を持つでもなく。
そしてふと気がついた。
「なんだこれは・・?」
それは、感覚をより狭く、より小さく集中して見つけたものだった。
粒の表面から少し内部を覗いてみたのだ。
すると思いがけない発見をする。
粒の内部に、さらに小さい粒が配列されていたのだ。
それらの粒よりも小さい物質があるとは彼には想像していなかっただけに、この発見は目からウロコであった。
考えてみれば当然だった。
自分自身を複製したとき、それは物言わぬ物体だった。
となるならば、何か足りない要素を複製できなかったということ。
その”足りない要素”。
それが”これ”なのだ。
この前の失敗は、より詳細に世界を見ていなかったから、物質の内部まで複製できなかったからがその理由だと、キューブは直感した。
ならば後は簡単だ。
より詳細に、より細かく、世界を見れるように進化すればいい。
だが、この方針と同時に、彼は一つの懸念もあった。
その進化は一体どこまで行えばいいのか、ということだ。
もしかすると、物質の粒の内部に存在した粒、そしてそのまた内部の粒、そしてそのまた、そのまた・・・というふうに無限にそれが存在する可能性があるのである。
いや、とはいえ、それでも良いかとキューブは思い直した。
一つ、段階を得るごとに、より世界が広がっていく。その確信が彼にはあった。
それが無限に行えるというのならば、それもまた面白い。そうキューブは思ったのである。
ともかく、彼はその小さな世界を観察し始めた。
物質の中に存在する粒の中の粒、
それらは、1階層上の粒に比べてまた違った動きをしていた。
その中心には、粒の塊があり、そして周囲には複数の粒がその周りを回っている。
その動きに彼はまた面白いと感じる。絶景だった。
今まで見ていた粒はいわば静止画のように固定されていた。
だがこの階層では動きもまたこの物質の構成要素なのである。
そして・・・やはりというべきか、、
予想していたとおり、更にこの世界には深さがあった。
「「「粒」の中の粒」の中の粒」…つまり三階層下の粒は、内部を反射しバウンドしている。
またその下の階層、4階層の粒は複数がくっついて紐状になっており、それらが振動している。
5階層の粒は…6階層・・・7階層・・・
深く深く進めているごとに、階層と階層の関係性も見えてくる。
いわば世界の法則の解明。
それと並列して、”複製”の訓練も欠かせなかった。
目的のためには欠かせないこの作業は、一つ階層が深くなるごとにその難易度は何百倍、何千倍にも跳ね上がってゆく。
だが、前述の通り、時間ならいくらでもあった。
いくらでも、それこそ無限に続けていられる。
だが・・果てしないその作業、いやそれは修行と言ってもよいほどの過酷さではあったが、ある時に彼は発見した。
粒の動きが、まるで自立して動いているかのごとく、不可解であったことに。
彼は階層を進めることを一旦中断し、この階層の謎を解くことに執心した。
そして彼は気がつく。この階層は今までと比べることができないほどの、圧倒的な情報量だということに。
それは階層が深くなったから、という理由ではなさそうだ。
この階層のひとつ上の階層を1だとすると、この階層にはまさしく無限、そして一つ下の階層はまた1に戻る。
そう、この階層だけが謎に圧倒的な情報量なのである。
そこで彼はあらゆる解析を行った。
解析と言っても、やっていくことは単純だ。ある種類の粒のみを意識し、それらが意味を持つかを観察するということである。
その世界は複数の粒が重なり合って相互に干渉はしていたが、粒の種類によって相互干渉しやすいものとしにくいものが存在し、それらはまるでひとつの階層に複数の階層が存在するかのような感覚だった。
故に、一見存在している用に見えて全く世界に意味をなさない種類の粒や、逆に影が薄いように見えて圧倒的な影響力を持つ粒も存在する。
その粒の意識する組み合わせによって、この世界はいくらでも解釈ができるのである。
その作業は今までになく一番時間がかかったかもしれない。
だが彼はそうしていくうちにその世界の仕組みを徐々に理解していく。
そうして分かった。信じられないことではあるが…
この世界には生命が存在する、ということだ。
そうとしか考えられない。
それはある特殊な粒の塊だった。
配列が同じ粒の塊が複数あり、自己を複製しているのである。
それは自分がやろうとしていたことそのものだった。
だが・・それはあまりにも脆く、少しの衝撃で破壊されてしまうほどのヤワなものだったのである。
キューブは思った。”これ”を守らねばならない。と。
だが、干渉はできない。
たまに彼自身も忘れていることであるが、この作業は単なる観察に過ぎない。
彼自身が物質としてその階層に侵入しているわけではないのだ。
もし干渉を行いたければ、進化によって自身の体の一部を小さくして、侵入していくしかない。
それも超微細なコントロール力が必要とされる。
彼はその難易度の高さは今までの比ではないことに気がつく。
一応その進化のベクトルに力を注ぐこともできるが、それまでにこの生命体が生きているかどうかもわからない。
だから、今はただ見ることしかできない。
ただ、彼は思う。この世界で生き続けよ。と。
そして、それから更に数万年の時が流れた……。
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「あー!もうやってられない!」
一人の男が頭を抱えた。
「どうせ俺は無能ですよぉ!!」
と、机に突っ伏す。
それとともに数時間前の出来事が頭に思い浮かんできた。
「……君、困るよ。今月もノルマ達成してないじゃないか。もっと効率よく仕事できるようにならないと」
「はい……」
「私達の仕事は、とにかくミスを減らすことです。その積み重ねこそが大事なんです」
「……はぁ」
「まあいい。じゃああとは任せた」
「はい、お疲れ様です」
そう行って上司は帰っていく。
今日も残業だ。
ここよりましな会社は無いと言われ、転職を恐れ既に数年が立っている。
新卒で雇ってもらえたは良いが、この会社はいわゆるブラックだった。
「どうしてこうなったんだろう……」
突っ伏したままそうつぶやいた。
学生の頃、
自分は優秀な人間だったと思う。
勉強もできて、スポーツもでき、友達も多く、教師からも信頼されていた。
だが、そんなものは幻想に過ぎなかった。
社会に出てみれば、自分よりも能力のある人間は山ほどいる。
学生時代は皆平等、という建前で評価されるから、その差など気にしなかっただけにすぎない。
社会人になってみて初めてわかったことだった。
自分の人生は、努力すれば報われると思っていた。
実際、自分で言うのはなんだが、頑張ってきたつもりだ。
しかし、それは違った。
どんなに頑張ろうと、結果を出すことができない。
いつまで経っても同じ立ち位置のまま。
「もういい・・帰ろう」
もう限界だった。
いつまでも暗いトンネルを進んでいる気分だった。
もうどうなってもいいから、何もかも投げ捨てたい。
まともな理性がわずかでも残っているうちに僕は会社を後にした。
フラフラと帰路についている間、その間の記憶はあまり覚えていない。おそらくどこか道を間違えていたんじゃないか、いやそれすらもおぼろげだ。
だから、とある書店で、とある一冊の本を買っていたことに、朝起きて正常な思考を取り戻してから思い出した。
「もう…10時か…」
あの状態で目覚まし時計などセットできるはずもなく、遅刻確定。見たくないスマホの電源を反射的に切った僕は二度寝を決行する。
頭の隅で会社はどうしよう、クビになったらどうすれば、いや有給が残っていたし大丈夫だろ、でもあの上司がそれを認めてくれるだろうか、そうだ病院で鬱と診断されれば、いざとなれば生活保障?、いやその前に実家ぐらし……?
などと、とりとめのない思考を巡らせているうちに、昨日の帰路、買った一冊の本に思い当たった。
「”悪魔に願いを叶えてもらう本”……」
それは古びた古書店だったと思う。
まるでそれが唯一の救いへの道であるかのように、僕は迷いなくそれを手にしてカウンターに向かった。
「しかし……うさんくさいな」
実際にページを開くと、まるで健康かダイエットのハウツー本のようなノリで、悪魔召喚の方法、注意点などが記載されている。
だがそれに僕は年甲斐もなくワクワクしている自分もいた。
「そうだ。異世界に行こう」
そのページの一つ、そこにはある悪魔が紹介されていた。
どうやら悪魔ごとに叶えられる能力に違いがあるらしく、この悪魔の名前は”キューブ”、能力は”異世界に行ける”というものだった。
それから僕は外出すると、その儀式のための道具を買い揃えていった。
その行動に疑問を持たなかった。今になってしてみればバカバカしいと思うが、その時になるまで何も考えなかった。
一種のトランス状態、だったのかもしれない。
それが幸を奏したのか、そうでないのか。
ともかく、、目の前にいるのは、立方体の形をした謎の存在だった。
”それ”は……いや、その悪魔”キューブ”は、まるで囁くように、こう言った。
(お前、来るか?我の世界に……)
ーーーーーーーーー
キューブは、地球で最初の生命体が生まれてから、ある一つのベクトルに進化を続けていた。
そうそれは、深い階層に介入するための進化だ。
その進化の過程には莫大なエネルギーと、長大な年月が必要だった。
そして、その進化が芽を出し花を咲かせ始めたとき、知能が高い種族が現れ始める。
僥倖だった。
彼はこの生命体を見出したときから、こう思っていたのだ。
”自らを複製する”よりも、すでにある生命体をこちら側に”引き入れれば”良い、と。
完全な複製は、不可能であると断定することは言い切れないが、不可能に近いと考えていた。
どんなに深く階層を降りても、その終着点が存在しないからである。
ならば、成功する可能性が高いのは、”引き入れる”方だ。
だが……、今回の出来事は、キューブにとっても初めてのことだった。
ある人間が、キューブの思惑通りにこちらにコンタクトを取り、そしてそれから”召喚”が行われる。
それは上手く行くのだろうか。
上位の世界に彼は引き上げられるだろう。
しかし、彼の魂は破壊されないのだろうか?
引き上げられた瞬間、彼は別の存在になるのではないか?
いや、それならまだいい。死ぬ事も考えられる。
その時彼はどれほどの苦痛を感じるのか、感じないのか、いや気持ちいいかもしれない。
いやそれだけじゃない。
キューブが介入することによる人間世界への影響は?
爆発が起こるかもしれない。新たな原子が生まれるかもしれない。ブラックホールが生まれるかもしれない、何も生まれないかもしれない。
まだ分からない。
幸が起きるか、不幸が起きるのか。いやそれらですら無いのか。
だが既に引き金は引かれてしまった。
パンドラの箱は開き、事態は次の段階へと進もうとしている。
だが……
どんなことが起きようとも、
起こらなかろうと、
キューブは進化を止めないだろう。
”それ”はそういう生き物なのだから。