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「それから、私は何度か七崎麗奈と会った。他愛ない話をするためだ。無論、他にも理由はあった。何をしでかすか分からない彼女から目を離すべきではないとも思っていたし、何より目を離す時間を惜しいとさえ思っていたのだ。相当な時間を割いたと自信を持って言おう。同時に反省もしているが」
「確かにあの頃の久瀬くん、抱えていた案件の割りに妙に外に行くなあとは思ってたんだよね。そんなことがあったとは知らなかったな」
本当に知らなかったのか藤橋まいか、と言いたくなるほど、彼女は私の全てを見透かしたような目で私を見つめていた。
「だからこそ、私は七崎麗奈が落書き事件の犯人だとは思わない。信じたくないとか、そんなはずはないとかそう言うのでもないのだろう。絶対に違うと確信を持って言ってもいい」
「机は蹴るのに?」余計な横槍をすることに関してはプロ級の藤橋である。
「だが隠れては蹴らない。堂々と蹴る。それが七崎麗奈だ」
きっと彼女は、知らない場所で「七崎麗奈とはこうなのだ!」などと話されていることを心底嫌がることだろう。
旧文芸部部室に僅かばかりの静寂が生まれた。狂信的ともとれる私の言いっぷりに嫌気がさした者もあるかもしれない。
そんな中で、今回の回想を強要した張本人足る春日雫は、ぶっすーと唇を尖らせた。
「まあ、今の話聞けば、疑いたくないっていう久瀬先輩の気持ちも分かります。分かりますけど、それでもウチは、七崎麗奈を容疑者リストから外したくはないです。だって絶対怪しいじゃないっすか。動機は十分です。素行不良です。普通に考えれば、七崎麗奈は容疑者として最有力の候補ですよ」
――普通に考えれば。
雫の言うことは尤もである。
だが。
「常識が通用しない人間に、自らの常識で以て相対することも時に必要だ。しかし、常識が通用しないから悪と決めつけるのもまた愚かである。しかし雫よ、我々は一人で活動しているわけではない。つまり、君の考えは間違っていないのだ。答えはまだ出ていないのだから、我々の中に意見の食い違いや差異はあっても良い、寧ろなければ面白くない。君が間違っていない以上、私が正しいということもないのだ。君は君の視点を持つべきで有り、私の意見を聞いた程度で翻すべきでもない。君が疑わしいと感じたのなら調べるがいいさ。それができるのが週刊言責編集部である! 君は君であって、私の傀儡などではないのだ」
ぶっすーとした唇はそのままに、雫はぶーっと息を吐く。
「じゃあ、そうさせてもらいます。ウチはウチで調べるんで」
ムキになったようにも思えるが問題はなかろう。春日雫の復権は既に成されたものと考える。
私は、ぱんっ、と手を叩いた。仕切り直しである。
「兎角、調べねばならないことは分かっているのだ。なにゆえ蜂屋は七崎麗奈を疑ったのか、落書き事件の犯人は誰なのか、それらを突き止めない限りは記事にすることもままならぬ」
「あ、そのことなんだけどね」と、プロ横槍選手の藤橋が口を挟む。「少し蜂屋先生の娘さんのこと調べてみたの」
「なんと!」
良い横槍もあるではないか!
「久瀬くんがアンナ先生から聞いた話では、蜂屋先生の娘さんは最近帰りが遅くて、あまり良くない集団と遊んでいるんじゃないかって心配しているってことだけど」
「うむ」
「蜂屋先生の自宅から考えると、たぶん娘さんは南中学校に通ってるんじゃないかなって思って、南中の知り合いに聞いてみたの。そうしたら、二年生に蜂屋って名字の女の子がいたらしくてね」
「なんと! 蜂屋の自宅を何故知っているのかという点には目を瞑って訊ねよう。 それで?」
「名前は蜂屋凜果。至って普通の子、って話だった。学校での態度も悪くなくて、比較的大人しいグループに属しているから目立つ存在じゃないらしいの」
「つまり蜂屋新太郎の心配は杞憂である、と。であれば、何故娘は親に黙って夜遊びなんぞ」
「だあ! もう! 鈍いんだから先輩は! 中学生っすよ? 女子っすよ? 色恋に決まってんじゃないっすか! 彼氏が出来たんですって絶対」
雫が身を乗り出した。この手の話題にはすぐさま乗っかってくるのが春日雫という生き物である。
「なるほど。その彼氏というのが問題児という可能性もあるな……」
これはこれで面白いトピックである。すぐにでも調べたいところではあるが、私自身がここで動いてしまえば落書き事件の犯人を突き止めるという役目を後輩に任せることになってしまうのは本意ではない。
ならば仕方なかろう。
「雫、どうだい、君に調査を任せたいのだが」
「勿論っすよ! 蜂屋の娘の彼氏を暴くんすよね? こういうの得意っすよウチ!」
「やり過ぎそうで不安だが」
「大丈夫っすよ、弁えてますって」
「ところで、七崎麗奈については良いのかい。調べるつもりなのだろう」
「同時進行っすね!」
春日雫がそこまで器用だとは思わぬが。
「まあ良かろう。君に任せる」
「いやあ、ウチ燃えてきました」
「燃え尽きそうじゃあないか」
「どんだけでも薪をくべていきますよ」
先に薪が底を突きそうである。
さすがに全て雫に一任というのは落ち着かない。私の取材活動に影響を及ぼすようでは本末転倒。
「華奈も雫を手伝ってもらえるかい?」
華奈はこくりと頷く。
「ならば百人力だ」
「ウチ一人では足りないと」
何度やらかしていると思っているのだ! とは言わないでおいてやろう。編集長の優しさである。
「で、当の久瀬くんは何を調べるの?」藤橋は微笑みの仮面を被って問う。
「私は落書き事件だ。先程ペダルを漕いで現場を見てきたが、少なくともここ数日近隣を騒がせている落書きは同一犯の仕業と見ていいだろう。それらの犯人を突き止めることは即ち、校内へ侵入し落書きをした人物を割り出すことに繋がると私は考える」
「危なくないっすか?」
「問題ない。用心棒にお願いしてある」
「またお姉ちゃんに頼んだんだね」
「週刊言責の外部リーサルウェポンだからな!」
「ま、わたしには関係ないからいいけどね」飄々《ひょうひょう》と藤橋は言う。
姉妹というのも分からないものだ。すこぶる仲良く見えるときもあれば敵と見紛うほど険悪な時もある。藤橋も、微妙な関係なのだろう。
「ところで藤橋。実はこの件で君にもやってもらいたいことがある。とは言え、ただの勘に基づくものでどうにも想像の域を出ないのだが、勘を無視して真実が遠退いたのでは意味がない。君にしか出来ないことだ。良いかね?」
「うん。内容次第」
「であろうな」
抜け目ない副編集長殿である。頼もしいやら恐ろしいやら。
「我々は週刊言責編集部。我が校に於けるありとあらゆる事象を白日の下にさらす者。あらゆる可能性を見捨てはしないのだ。全ては、生徒らの青春を鮮やかにするために!」