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――週刊言責十四号、『実録! 優等生の真実!』冒頭部分から抜粋。
一番好きなおにぎりの具は何ですかと問われたらば迷うことなく、「ツナマヨこそ唯一にして頂点なり!」と答えるわんぱく少年だった筆者であるが、私が日々家で食していた缶詰に書かれていたシーチ◯ンという文字が、必ずしもツナを意味していると言うわけではないことに気付いたのは、制服姿も漸く様になってきた頃の話であった。
ツナとはマグロの英訳である。常識と言って良いだろう。しかしシー◯キンはツナであるとの先入観に囚われた私が、缶詰に括弧書きで「カツオ」と記されていることを知ったとき、私にとっての常識が爆破解体されるビルのように崩壊した。
私が愛した我が家のツナマヨとはシ◯チキンマヨネーズであり、唯一にして頂点と思っていたツナマヨは私にとって唯一でもなければツナですらなかった。
だが私は叫んだ。何の問題があるか!
私が美味いと小躍りしていたツナマヨは確かにツナではなかったが、シーチキ◯と名を変えただけでその味は変わらない。
私はツナマヨという名前が好きだったのではない。シー◯キンマヨの味が、存在が好きだったのだ!
概念が根底から覆されたとしても、私がそれを好きであった事実までは覆せまい。
本質を見誤ってはいけないのだ。何を愛していたのか。何を想っていたのか。