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週刊言責は追求せり!  作者: 壱ノ瀬和実
彼と彼女が目指すもの
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 笑顔は美しく、可愛らしく、唯一無二のアイドル性で以て我々にときめきを運ぶ彼女だからこそ、瞳に感情や意思の火を灯した瞬間と言うのは、背筋が凍るものがあった。

 週刊言責編集長、久瀬涼人。その眼光に真っ向から挑む覚悟である。

 録音の許可を得、私は手持ちの刃を振りかざした。

「言責の記者の一人が先日、あなたが男と歩いているところを目撃したと騒ぎましてね」

 焼肉店に他に客はいない。普段の様子を見るに地元人気の高い店ではあるのだろうが、客入りには波があるようで、今日は誰一人客が入ってこない。それだけに声を張ることは憚られる。私はロースターが肉を焼く音に負けない程度に、声を抑えて話した。

「我が大岐斐高校きってのアイドルの熱愛とあらば我々が動かないわけにはいきません。少しばかり尾行をさせて頂きまして」

 私は谷汲華奈が撮りし写真を現像したものを見せる。

「すご。本当に尾行とかしてんだね。しかもこれ、ついこの間じゃん」

「常に新鮮な記事を追い求めております」

「さすが」

 神渕桃子は動揺をしない。特段の困惑も見せない。

「しかしですね。男と歩いていたからと言ってそれが交際相手とは限りません。どうにもあなた方には、恋人同士特有の距離感が存在しなかった。存在すべきでない距離感があった、とでも言いますかね。お二人が必要以上に近付くことがなかったのです。どうにも違和感を覚えまして」

 藤橋姉こと藤橋みなみよりもたらされた情報と、記者二人が危険を冒して掴んだ情報。それらを総合して、私はこう結論づけた。

「彼の名前は加野隆市、芸能事務所ミライギフト企画の代表です。どうやらそこには三組ほど、俗にローカルアイドルと呼ばれるグループが在籍しているようですね。大きな事務所ではなく、従業員は我々の調べでは五名、代表自らマネージャー業務も行っていた。そんな彼とあなたは頻繁に会っている。となるとこう想像せざるを得ません。神渕桃子さん、あなたはもしかすると彼にスカウトされていたのではないですか。ローカルアイドルにならないか、と」

「おおー凄いね、正解!」

 なんと! たじろぎもしないとは!

「お認めになるので?」

「うん、まあ、隠すことじゃないしね。……いや、隠してはいたんだけど、バレたらバレたで別に困らないというか、言責に見つかったらおしまいって言うか。うん。うちでアイドルやらないかって言われてる。結構乗り気。え? もしかしてそれだけ?」

 意外であった。声を掛けた際の慌てっぷりに「急所を衝いた!」と高揚した私にしてみればとんだ拍子抜けである。

 しかし! 私は私の手応えのためにここに来ているわけではない! 秘匿の深淵は往々にして我々の想像を遥かに超えるもの。浅瀬に足を付けた程度で海を知ったなどとほざくなど以ての外! 例え平地に見えたとしてもスコップだけは持っておかねばならない。掘れば掘るだけ底はあるのだ。

「先輩殿はどういった経緯でスカウトされたのですか」

「スカウト、じゃあ、ないんだよね。こっちから連絡したの。少し興味があるって。じゃあ直接会いましょうってなって、そしたら、加野さんも熱心に誘ってくれて」

「ほほう、自ら。それは意外でした」

「うん。やっぱ、アイドル続けたいし」

 神渕は焼けていく肉に目をやりながら、幾らか憂いを帯びた口許で微笑んだ。

 追加注文したカルビとタンが運ばれてくる。私はそれを受け取ると、空いた皿にそれを重ね、神渕桃子に視線を送る。

「アイドル、お好きなのですね」

 彼女が私の目を見た。それはそれは大きな瞳で、男子一人を丸々呑み込んでしまっても平気で笑っていそうな、どこか狂気染みたものさえ感じさせる魅惑の双眸であった。私はふと、今この瞬間彼女にぱくりと食われてしまっても、きっと後悔はしないのだろう、などととち狂ったことを思ってしまった。それは、学校のアイドル部に留まるような器とは一線画すもののように思えた。

「……うん。好きだよ、アイドル。大好き。本当に」

 私は頃合いの肉を皿に取り、空いたロースターに鶏肉を並べた。鶏肉は焼くのに時間が掛かる。同じ肉で埋めるのも良くないと、カルビも数枚、端に置いた。

「ずーっとアイドル、好きだったんだ」

 そうでしょうとも、とは言わなかった。

 神渕桃子がアイドル好きであることは、彼女の中学時代の同級生が証言している。無論その辺りの取材は欠かしていない。スコップである。

「だからさ、高校でアイドル終わるの、嫌だったんだよね」

「アイドルを続けようと」

「うん」

「ローカルアイドルでも、ですか」

「……うん」

 頷きに逡巡が見えた。

 真意は分からぬ。分からぬが、分かりたいと思うような間があった。

 カルビ肉から油が落ち、ロースターから煙が上る。火が強かったのかあっという間に焼けてしまった肉を慌てて取り、タレにつけると焦げ目からじゅうという音が鳴った。やや黒くなってしまったが、これはこれで私好みの焼き加減である。

「食べないので?」

「あー、うん、もらうよ」

 神渕は焦げていく肉を取り、口に運んだ。「おいしいね」と言いはしたが、すぐに汗を掻いたグラスを両手で持ち、ウーロン茶を飲むと、「ちょっと苦かった」と笑う。

 鶏肉は少しずつ焼けていく。神渕は肉を返しながら、

「君、夢とかある?」

 唐突な問いは、今の私にとって嫌に刺さるものであった。咄嗟に答えられるものを、私は有していない。

 返事がないとみるや、彼女は煙の向こう側で微笑を浮かべる。

「私ね、アイドルになるのが夢だったんだ。好きなアイドルグループがあってね。中学生の頃から、姉妹グループも含めるともう何回もオーディション受けててさ。三次審査とかまでは行ったんだよ? だから、どっかで変な自信だけは付いちゃって、わたしアイドルになれるんだーって思ってた。でも、一度も最終審査には行けなかった。数万人規模のオーディションだもん。受かるわけないよね。なのに夢見ちゃってさ。夢だけが、残っちゃってる感じ」

 ロースターの空いたスペースには何も乗せることなく、ぶりぶりした鶏肉が焼けるのを待った。私は、恐らく彼女も、焼き具合などてんで見ていなかった。

「私、退屈が嫌いなの。当たり前にあるものを受け入れるのが、すっごく嫌。普通に就職して、結婚して、とか、そういうの、なんて言うかな、当たり前すぎて面白くない」

 神渕桃子の笑顔が、誰かを恋の穴ボコへ叩き落とす太陽のような笑みから、自嘲めいた下弦の月のような憂いに変わっていく。

「昔ね、アイドルのドキュメンタリーを見たの。ステージの上ではあんなにきらきらしている女の子が、過呼吸になりながら、涙を流しながら、プレッシャーと戦いながら、本当に限界ギリギリでやってるのが分かるんだよね。苦しそうなの。でも、私にはそれさえも綺麗に見えた。ああ、あんな世界に行きたい、って思った。普通じゃ味わえない特別な世界」

 でも。と、神渕は言葉を継ぐ。

「もう高三だからね。オーディションに受かる可能性はどんどん下がっていく。迷ってると、あっという間に手遅れになるから」

 ころころといじっていた鶏肉は随分と焦げていた。私はそれを食すことを躊躇した。

 だが神渕は、下唇を噛みながらロースターの肉を全て取ると、アイドルらしからぬ大口でそれを頬張った。苦かろう。硬かろう。呑み込むこともままなるまい。彼女は噛み続け、最後にはお茶で流し込んだ。

「だから諦めない。アイドルであり続けることが、私が夢を諦めないでいられる、唯一の方法だから」

 神渕桃子は本気である。故に、周辺の取材を重ねようと、彼女の想いはついぞ漏れてこなかった。

 現在所属する21クラップのメンバーでさえ、神渕桃子のこの眼光を見た者はいないだろう。彼女が抱く野望は校内には留まらず、しかし彼女の内に秘められていた。

 我々言責は、その秘匿を暴く。

 友人でもなければ知人でもない。そんな我々だからこそ聞き出せる本心というものもあろう。

 さて、私の手にはスコップがあった。

 神渕桃子の覚悟と、今の私には眩しく見えるその夢に、私は一瞬、そのスコップを大地に突き刺すことを躊躇った。彼女の覚悟が本物であるなら、私が今から突き立てるスコップの先は、彼女の覚悟を幾分揺るがすのではないかと思ったのである。

 しかし、ここで気を使っては週刊言責編集長、久瀬涼人の名が廃る!

 我々が追い求める秘匿は、何も彼女自身の秘匿だけとは限らないのだ。

 私は私の覚悟を以て彼女の大地を掘り起こす。

「それは、ミライギフト企画というステージだったとしても、貴方はそれでも良いと、そういうことなのですか」


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