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週刊言責は追求せり!  作者: 壱ノ瀬和実
彼と彼女が目指すもの
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3-4

 端緒を得たり! と叫ぶべきは今だったのだろう。

 検索窓に打ち込んだのは馬鹿正直に平仮名や片仮名などではなく、適当に当てはめた漢字表記でのカノリュウイチであった。鹿野竜一、鹿野隆一、狩野龍一、狩野隆一。様々なパターンで検索をかけてみる。今時は本名を平気でSNSに書き込む阿呆が大勢いることから幾つかはヒットをするが、馬鹿正直に顔写真までセットで掲載している大馬鹿者はそうそういないことから、簡単に特定することはできなかった。

 時間を要するだろう。根気と、店員の冷たい目線との勝負である。

 私はナゲットが食べたくなった。しかし注文する時間が惜しかった。シェイクも飲みたい。だがここを離れる訳にはいかない。私はこの店のメニューを楽しみたいと願う客である前に一人の記者である。情報収集に割く時間こそが何より大切なのであって、己が欲望を食に向けては本懐を成すことはできない。

 そして私は、揚げたてのナゲットを頬張った。熱々のナゲットは冷たいバニラシェイクと相性抜群である。期間限定の桃味に惹かれもしたが、オーソドックスこそが至高であると悟る私は本日、冒険心というものを捨てて安パイに走り、そして見事な満足を得た。

 誰に叱責を受ける謂われはないが、藤橋辺りには何が何でも知られたくないので、密告はしないようお願いしたい。

 狩野、鹿野、加埜、香野、幾らでも可能性はあった。一体何通りあるか、計算が苦手な私は考えることもしなかったが、日本語が持つ無限の可能性と、名付けに想像も付かないような漢字を用いるとんでもない大人達の傍若無人っぷりのおかげで、どこを向けば正解に辿り着けるのかも分からないままでいた。

 東京出身と書かれた香野龍一がそうであるはずはなく、白髭を蓄えたバイク乗りの鹿野隆一がそうであったなら天地がひっくり返る。

 だが、さほどヒットする件数はない。

「思っているよりもカノリュウイチは多くないのか?」

 そもそも、私は少々凝り固まった検索方法を取っていた。

 今のSNS時代、ネットに記載する名前が漢字表記ばかりであるはずはない。漢字なんぞは分からずとも良いのだ。

 私は写真投稿をメインとしたSNSを開き、ローマ字表記で、『kano_ryuichi』と検索した。

 似たようなアカウント名も含めて数件ヒットする。

 腕の筋肉がぴくっと動いた。

 私は遂に、覚えのある顔を見つけ出したのである。雫らから送られてきた写真と見比べ、私は確信を得た。彼である。間違いない。何より、怪しい好青年のようなファッションセンスが明らかに同一人物である。

 頻繁に更新している訳ではないが、エナジードリンクをこちらが心配になるレベルで愛飲していることが分かる彼のアカウントには、律儀かつ愚かなことに彼の実名がしっかりと記載されていた。

 加野隆市。いちを『市』と書くパターンを想像していなかった私は虚を衝かれた思いである。分かるわけがなかろう! と足をバタつかせながら、改めて検索窓にその名を打ち込む。

 すると、

「なんということだ……」

 私は、彼の正体を知った。いや、正体とするのはまだ早い。しかし彼が何をし、何を掲げて生きている人物であるかは分かった。なるほどそういうことかと思いもした。

 彼の正体を曝していたのは当人ではなく、いや無論、当人承知の上であるのだろうが、地元新聞の電子版であった。彼を持て囃すような記事が存在していたのだ。内容をじっくり読めば分かることであるが、あの胡散臭い爽やかさの理由までも垣間見たような気分である。

 と、その時であった。

 久しく鳴っていなかった私のスマートフォンが写真を受信した。差出人は春日雫であった。

 ふと我に返ると、驚くなかれ既に外は夜と言えるほど暗くなっており、時刻は十九時を回っていた。そういえばあれから雫らからの写真が届いていない。ドーナツ店で状況が膠着していたからであろうか。であっても、楽しげに話す写真くらいは送ってきても良いものだが。

 そろそろ帰って来いと返信することも念頭に置きながら写真を開くと、そこには夜の街を歩く加野隆市の写真と共にこのような文言が書かれていた。

『二人は解散。神渕桃子は家に帰るだけだろうから放置。男は書店に入った。折角なんで最後まで尾行します』

 その瞬間、私は我を忘れて店内に嫌な音を響かせてしまった。親子連れがハンバーガーを頬張っているにもかかわらず、机をバンと叩いたのだ。

「……馬鹿者!」

 私が慌てて電話をかけたが応答せず、かなり強い表現で帰還命令を送りつけるも既読が付かない。雫も、華奈もである。対象を決して見失うまいと集中しているのだろう。反省を踏まえた素晴らしい心がけである、と言いたいところであるが、こればかりは手放しで褒めるわけにはいかない。

 私は立ち上がり、トレイの上に乗った欲望の残骸をダストボックスへ落とすと、大慌てで店を飛び出し自転車に跨がった。

 これ以上ない焦りであった。常日頃から口を酸っぱくして言っておくべきだったのだ。深追いすべきときと、そうでないときがあると。

 加野隆市が直帰してくれるならそれで良い。だがそうはならない可能性もある。そうならなかった場合のことを考えると私は焦らずにはいられなかった。

 自転車のペダルを勢いよく踏む。それしかできないので、私はそれに懸命になる。

 私は週刊言責編集部の長として、後輩記者がのびのびと取材活動を行えるようにすることは重大な責務であるが、しかしその最たるものとして、私が常に胸に秘めておらねばならないことが一つあった。

 如何なるスクープが落ちていようとも。

 自らの命に勝るものなどない、ということである。


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