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言責、並びにこの私は万年金欠に悩まされている。しかしここはファストフード店。欲望と節制のせめぎ合い。戦いは苛烈を極め、焦土と化した大地に咲いたのは、一輪の食欲の花であった。
「腹が減っては戦が出来ぬ!」を免罪符にハンバーガーとポテトとコーラを味わいながら、後々バニラシェイクを注文することになるだろうなどと考えながら私は、客が自由に繋ぐことのできる店のネット環境をお借りしつつ、片手にスマホ、目の前にはノートパソコンを開き、広漠としたネットの海に全てを託す準備をしていた。
ガラス窓に接した席には私一人であり、客も中学生らしき一団がいるのみで非常に静かなものだった。
数分と経たずに次々と写真が送られてくる。これは本来、ありがたやありがたやと天を仰ぐほどには大変に価値のあるものであるが、何せ肝心要の男の情報ときたら、顔と背格好だけで新たな材料たり得るものは何一つない。
では情報は皆無であるか。そんなことは断じてない! そこに写る全ては秘匿を釣り上げる竿と餌なり!
神渕桃子と男は駅を出ることなく、構内のレストランエリアにあるドーナツチェーン店に入った。男はトングとトレイを手にし、神渕桃子はドーナツを指差しさながら笑う。その姿は太陽のように眩しい。これぞ青春といった光景をこれでもかと見せつけてくるようであった。
覗き見ているのはこちらだ、彼女らに罪はない。が、私はこれ一つで以て公然青春物陳列罪で彼女らを起訴すべきと考えた。すぐさま校内裁判の開廷を求める署名活動に従事したいと思う。羨ましさと共にどこか背徳じみたものを感じるのは恐らく、女子高生と如何にも怪しげな男との禁断の逢い引きのように思えるからなのだろう。それ即ち、本当の裁判沙汰である。
だが何故だ。私はどうにも、この胸に詰まった妙な違和感を拭えずにいた。
恐らくこの写真を撮っているのは華奈だ。それを雫のスマホに転送してこちらに送っている。であれば、その場に流れる華々しき青春の甘美な匂いは、華奈の素晴らしき技術によって一枚の画の中に見事なまでに写し出されるはずである。だが、これらの写真からはそれが感じられない。華奈が写せぬと言うなら、それはそこに存在しないとみるべきなのだ。
であるなら、
「彼女らは一体……」
ポロン、とスマホが音を鳴らす。次なる写真か? と思い開くと、とある中学教師からの謝罪メールであった。
『申し訳ないが、力にはなれそうもない』と一行。
「またか」独りごちて、私は荒々しくポテトを口に運んだ。ふて腐れていよいよチキンナゲットまで注文しに行きそうな勢いであった。
神渕桃子の隣を陣取る男について姿形以外の情報が皆無である今、私にできることは、彼のことを知る何者かに情報提供を求めることのみであった。
問題は誰に訊ねるかであるが、情報を持つ者の選別さえもできない段階では人海戦術しかあるまい。協力関係にある人物にはのべつ幕なしに情報の有無を問うた。方法は単純。男の写真を数十人の人間にばら撒いたのだ。無論、神渕桃子が写っている部分は切り取ったが、結果は芳しくなかった。
彼に関する情報は皆無である、と告げてきたのは、軽薄な謝罪を含めるとこれで六人目。ポテトはすっかり冷めていた。
かつての私は、冷えたフライドポテトなんぞ人の食うものに非ず! と叫ぶ愚か者であった。だがどうだろうか。近頃、熱々のポテトと冷えたポテトは別物として楽しめる余裕というものを獲得した私は、今この瞬間に口の中の水分を奪っていくそれを美味いと感じる人間になっているではないか。それは成長であり、またこの時間を味なものと感じられる大人になった確かな証拠である。だがその実、それは洗脳の類いに過ぎないのであろう、とも勘繰るのが私のいけない癖というものだ。
冷めたポテトを美味いと感じるよう長年かけて脳みそを騙し続けてきた結果、私はむしろ冷めたポテトが好きなのではと感じるところまで洗脳しきったと言う可能性も捨てきれないではないか。
即ち、今この瞬間の焦燥も、初めは兎角ストレスフルなものであっただろうに、今は冷めたポテトと、後々食すことになるであろうチキンナゲットを思うことで落ち着いていられるくらいには、ついに慣れてしまったのだ。
湯之島誠吾の件もある。別段、この件を急ぐ必要はない。期限という制約がない今は、ほどよい焦りである。
外は暮れ初め、オレンジがかった空の色は店内にまで届いて少々眩しい。
トレイの上のものは食べ尽くされ、いよいよナゲットとシェイクを追加で頼みに行こうとしたときに、またもスマートフォンがバイブレーションと共に鳴った。今度は電話である。相手は藤橋姉こと、藤橋みなみ。私は期待を込めて着信を受け取る。
「お待ちしておりましたお姉さん!」
『ごめんごめん。何人かに聞いて回ってたら遅くなっちゃった』
「どうでしたか。男の情報は手に入りましたか」
『うーん、ゴメン。期待には添えないかな』
「駄目でしたか」
『名前だけしか分からなかった』
「さすがの一言!」
それさえ分かれば何とかなるものである!
「一番知りたい情報でありますよお姉さん!」
『そう? じゃあ良かった』
私は開いたパソコンの検索窓にカーソルを合わせた。
『名字はカノ、名前はリュウイチ。漢字は分からないけど、同じ大学だったって人がいたの。県内の経済大学』
「なんという偶然!」
『あんまり仲は深くなかったみたいで、どんな字を書くかまでは分からなかった。ゴメンね、これくらいしか分かんなくて』
「僅かであってもありがたいのが情報というものです。とりわけ今回はパサパサポテトのおかげで水一滴さえ欲していた状況でしたので」
『ほんと? なら良かった』
「毎度のことながらお手間を取らせて申し訳ない」
『良いのさ。恩返し恩返し』
そう言って、藤橋姉は電話を切った。いつものことであるが、実に気持ちのいい人である。
しかしこれしかあるまいと打って出た人海戦術も、藤橋姉の人脈一つには敵わないとはなんたることか。他がどうこうではない。藤橋姉が異常なのだ。
「ありがたきアブノーマル!」
私は叫び、溢れ出る情熱を、退屈そうに待ちぼうけを食らっていたキーボードに強く叩きつけるのだった。