将棋と書いてアイデンティティと読む
さて、私の好きなものでも語ろうか。そう思い立って自分の人生を振り返ると、趣味と呼べるものは将棋とアニメや漫画などの2次元媒体、雑学や論理的なクイズが思い浮かんだ。この並びを見ると、私がどういう人間かの一端は想像できるのではないか。
今回は将棋について語ることにする。将棋と出会ったのは、というかルールを覚えたのは小学生のころだった。たまたま買っていた「小学五年生」という雑誌に載っていた、「風の棋士ショウ」という漫画に色々とルールや戦法が書かれていたのを読んだからだ。そのタイミングでは、周りに相手がいなかったり、そこまでの情熱を抱いていなかったりしたので、数局だけやってマイブームは終了したのだった。
そのブームが再燃したのは高校生の頃。私はとにかく疲れることが嫌だったので、運動部などもっての他、文化部だって音楽系は練習が必要ということで却下、とどんどん候補を切り捨てていった。そうして残ったのが将棋や囲碁などのゲーム系の部活、文学や数学の研究や科学実験をやっている学問系の部活の2ジャンルだった。その中でも楽しいものをと、将棋部に入ることにした。
実際に部室を訪れてみると、当時の将棋部員は先輩2人だけで、同級生はおらず私1人。当然ながら、大丈夫かよこの先と思ってしまった。一抹の不安を覚えた私は、ちゃっかり数学研究会の部室も覗いて、逃げ道を作っておいた。このことがきっかけで私は将棋部と数学研究会を行ったり来たりしながら高校ライフを送ることとなる。この数研での話はいつか語るとしよう。
ところで将棋部の部活というのは、他の部活から見たらぬるま湯もぬるま湯だと思う。強豪校なら厳しい先輩や顧問がいるんだろうが、うちはたった2人、顧問だって普段はいなかった。そうなると将棋やっててもメンバーが変わらないわけで、次第に飽きてくる。そうしたときにやっていたのがトランプだ。大富豪やポーカーを主にやっていたのだが、我々のは一風変わっていた。ポイント制を導入することで、1回のゲームの結果というよりは、その日1日のゲームの結果を重視する戦略ゲームにしたのだ。例えば大富豪には、大富豪以外の人が1番に上がると大富豪は強制的に大貧民決定という「都落ち」なるルールがある。これにより、落とされてポイントが低くなるリスクを背負うよりは、落とされずされど高得点という2番手の富豪を狙う方がいいのではないか、という計算を全員がするようになる。その結果、相手のポイントを見て、あえて上がらなかったり、大富豪を落とす役目を誰かに押し付けたりという高度な読み合いが始まった。本職の将棋そっちのけでやっていた時期もあったのだが、あまりに毎日やりすぎて、そちらにも飽きてしまったことを機にやらなくなった。
ここまで読んでトランプ部かと勘違いされてはつらいので、言い訳させていただくと、私とて、ちょこちょこ大会に出たり部室で将棋を指したりはしていた。高校1年の時点で初心者からスタートしているので、大した成績というものは残していない。そんな私でも、高校3年になる頃には初段クラスにまでは成長していた。少しばかりは才能があったかとも思ったが、顧問によれば、「真面目に1年やれば初心者でも初段になれる」らしいので、むしろ遅すぎだったようだ。トランプばっかりやって、真面目ではなかったので仕方ない…。
さて、ここまで将棋部、将棋部と言ってはきたが、実は当時は将棋部というものはなかった。というのも、人数が少なくて部になれず、将棋同好会という扱いだったからだ。同好会には部室というものは与えられていない。そこで、顧問が社会科の教員だった事もあって、社会科の資料室を部室代わりに使っていた。そこには我々だけではなく、同じような境遇の囲碁同好会もいたのだ。相部屋ならぬ相部室という奇妙な関係のこの2つの同好会だが、互いに仲が良く、お互いのゲームをお互いの部員に教え合ったり、合宿を一緒に行ったりするなど良好な関係を築いていた。トランプのメンバーでもあったので、誰も囲碁将棋をやっていないなどザラであった。そんな交流の中で私も囲碁のルールを覚えたり、人数合わせで囲碁大会に出場したりした。戦法などは全く知らないので、みんな何をやっているのかワケわからん世界ではあったが。
そうこうしているうちに私も部活を引退することになった。その頃にはなぜか後輩が何人か入ってきていて、やたらと部室が狭かったのを覚えている。また人数が増えた影響で、私が卒業した翌年に将棋同好会は晴れて将棋部に昇格した。なぜ私が卒業してから世間のブームがやってくるのか…と悲しくなった。今では部室はどんなことになっているのか、お前らトランプやってないやろな?と気になるところではある。
さて、私は高校を卒業して1年浪人しているのだが、意外なことにその期間が1番将棋の実力が伸びた期間なのだ。というのも、勉強そのものに対しても、予備校の教師に対してもストレスがたまっており、その捌け口として将棋アプリに没頭したからなのである。実戦が自分に合っていたのか、ひたすら数をこなすことで急成長をとげ、三段クラスにまでレベルアップしたのである。未だに自分でもびっくりするぐらいあのときは勝てた。
そんな将棋生活を続けながらも、私は大学に合格した。そしてまたサークル選びの時間がやって来た。今回は自分の意志で、消去法でなく明確にここに入りたいと思って、将棋部を選んだ。その証拠と言ってはなんだが、他のサークルとは一切兼部していない。
ここまで長々と将棋遍歴について喋ったが、ここからが本番だ。私にとって将棋とは、日本語に次ぐ第2の言語、コミュニケーションツールである。私はあまり自分から話しかけにいくタイプではない。そんなとき、このゲームは私にきっかけを与えてくれた。話すよりも先に駒を動かし始めたことも数えきれない。盤を挟むことによって増えた友達も、先輩後輩も、繋がりもいくらでもある。余談だが、高校将棋部で一緒だった先輩2人は、示し合わせたように大学将棋部でも一緒になり、不思議な縁を感じたものだ。
このように私のアイデンティティの一端を担う将棋だが、世間にも浸透してほしいと常々思っている。最近は、藤井聡太先生や加藤一二三先生らプロ棋士に憧れや興味を抱く方が増えて、様々な角度から将棋を楽しむ人が現れ始めたと思う。見る専門や対局風景を撮る専門、驚いたことにルールは知らないけどテレビのNHK杯はよく見ますという人もいらっしゃった。将棋の裾野というか、可能性はいくらでも広げられるのだなと感心した。私は指すことから入ったので、ルールを知らずに面白いのかとか、いろいろ邪推してしまうのだが、本人たちが面白いのに文句をつけるほど野暮じゃない。水を差すぐらいなら将棋指しとけって話だ。
世間からのイメージとして、将棋はおじさんっぽいとか、賢そうとか、陰キャのゲームとかいうのを耳にしたことがある。まず1つめ、将棋はおじさんのゲームというのは言い過ぎだ。老若男女みんなが楽しめる、そういう仕様だからおじさん「も」やるし我々若い世代もやるだけのことだ。そもそもプロ棋士は少年少女の頃から将棋にどっぷり浸ってるわけだから。青春時代すらも将棋に捧げて、なおプロになれない可能性もあるのだから、尊敬の念しかない。次に2つめだが、はっきり言っておく、頭がいいヤツは何やっても頭いいんだよ。将棋やってなくても頭いいやつは頭いいし。東大生は全員将棋やってるのかという話だ。ルールを覚えることさえできれば将棋はできる。頭がいい必要はない。どんなものにも言えることだ。最後に3つめ、陰キャのゲームというのは正解だ。よく分かったな。ただ正確に言うと、陰キャのというよりは陰キャの割合が多いゲームということだと思う。やはり屋内ゲームであるから、外に出ていきたい活発な人よりは、家でゆっくりしていたい人の方が将棋をやるのではないか、そういう人たちは世間でいうところの陰キャに属しやすいのではないか、と勝手に思っている。まあぶっちゃけ、私の周りにいる将棋指し仲間は大体陰キャだ。髪染めてる人間も何人かいるが、その実陰キャだ。それから私の身の周りだけなのかもしれないが、やたらとメガネ率が高い。私は裸眼なのだが逆に浮いてしまうぐらいにメガネばっかりだ。そういう見た目も若干の影響があるのか、と思っている。私も陰キャだから人のことは到底言えないのだが。
最後は本音を語ったこともあって少し言葉が荒くなったが、本音を語るくらいでないとこれを書いている意味がないので勘弁願いたい。