幸田露伴「蹄鐡」現代語勝手訳(6)
其 六
歳もまだ若く、背の高い紳士が嬉しそうな様子で近づいて来るのを見て取るや否や、ダンカンと言われた男は不快の色を面に表しながら、同伴の一人の男と共に言葉も発せず黙礼したが、傳五はそんなことには頓着せず、口を極めて声高に、
「異人め、馬鹿め、阿呆め、分からず屋め」と、罵り続けていた。
日本語が少しは分かるのだろう、新たにやって来た外国人は、ほくほくと笑いを含みながら耳を傾けて聞いていたけれど、同じ言葉を繰り返すだけに過ぎず、そうでなくても怒っている者の常として次第に順序もなくなって乱れる言葉は後先も分からなくなり、辻褄も合わず、傳五の喋ることがまったく意味をなさず、もう読み取れるものがなくなったと思ったのか、傳五の袖を無遠慮に引き、異人言葉だと人が言う『てにをは』の抜けた日本語で、
「私は山手の百一番に住むスチヴンソンという者だが、本当にお前が工夫して作ったその新案の鉄沓が好いものだと言い張るのなら、私が好い提案をしてやろう。幸いなことに私には今、特別用もない駿馬を一頭持っている。その馬をお前に貸してやるので、その鉄沓を蹄に貼け、やがて開催される競馬に出て、お前の沓が悪いという人と勝負をしてみればいい。何百ドルでも何千ドルでも賭け金は私が出そう。お前は私の顔を知らないかも知れないが、私はお前をよく知っている。うちの馬丁(*馬の世話をする人)の長吉を尋ねて、我が家に来た時、厩の片隅の日当たりの好いところに敷いてある藁の上で、二人腹ばいになって馬の話をしていたお前を、私は小窓の側にいて、偶然ながらしっかりその話を聞いていたので良く覚えている。その時お前は長吉に、『貴様は好い主人を持って楽に暮らしているが、馬にかけては貴様などより、ずっと苦労を重ねた俺は、今鍛冶をして貧乏な暮らしをしているが、この馬鹿馬鹿しさは本当に堪ったものではない。しかし、これも種々馬を虐め、欺せるだけ人を欺して、悪馬やら悍馬(*気の強い馬)を売りつけた罰かと思えば仕方がないのだろう。もう関東では俺の手からはどんな馬も買う者がいないほど俺が酷いという噂が立ってしまったので、伯楽(*馬や牛の仲買商人)では今、飯が食えない』と、大声で話していたのを私は全部覚えている。その夜、傳五という名前も長吉から聞いていた。つい最近のこと、長吉めが女と逃げてしまったので馬の世話をする者が一人足らなくなったが、その時、傳五という名を思い出した。同じことなら馬にかけては自分よりも兄貴分だと長吉も話していたあのような男が欲しいと胸に浮かんだが、居所までは聞いていなかったので、どうしようもなく他の者を雇ったのだが、しかし今聞いていたら、ダンカン氏とお前との面白い争い、私が後ろ盾となるから是非勝負して争ってみたらどうだ。もし勝てばお前に得た金額の半分を与えて、その上、私がお前を高く雇おう。仮に負けたとしても、お前からは一文、半銭も出させることもない。ダンカン氏とは私も自ら勝負をして、どうしても勝たねばならない事情がある時なので、先方の言うまま、千ドルでも二千ドルでも厭とも、尻込みもせず賭けよう。どうだ、傳五、面白いと思うだけの勇気はお前にはないか。男児とナイフは敵と向かい合った時にこそ値打ちが決まるものではないか」という意を伝えて煽動れば、話を聞きながらにこりにこりと徐々に笑みを湛えてきた傳五は、堪えきれずに両手を振って、
「いよー、異人の親玉ァ、えらいッ、素敵だッ、よし! もうこうなったらこっちのもんだ、やっつけてくれるぞ、この馬鹿ダンカン、覚えていやがれ、その日の競馬では貴様の馬の面に絶対鞭を食らわすぞ。蹄の砂をその高慢ちきな口に蹴込んでやるわ」と、狂喜して勇んでいるのを、通訳をしていたあの髭男も、愉快愉快と呟いて、その旨ダンカンという男に言い告げれば、彼はいよいよ激してスチヴンソンを恨み深い眼で一睨みし、鍛工に向かって、
「よし、お互いに二千ドル賭けよう。その時貴様の沓が悪かったと悟って泣いても遅いぞ」と、なおも大きく毒口を叩いて、双方意地を見せた競馬の約束を互いに牙を噛み噛み取り交わした。
つづく
次回が最終となります。