幸田露伴「蹄鐡」現代語勝手訳(3)
其 三
「まあまあ、しばらく怒りを鎮めて、一度よくこの鍛工の言うことをお聞きになれば良い。私は別段関わり合いの無い者であるが、通りかかってこの場の様子を見たところ、通訳の者が充分に貴殿等の気持ちを伝えているとは思えず、鍛工の言うこともまた、あなた方に伝えていないため、お互いの思惑がハッキリしないので、自然と話がもつれているようだ。見るに見かねて、余計なことかも知れないが、私が双方の間に入って、少しばかり口を利こうと思っている。まずは待ちたまえ、悪いようにはしない。妄りに怒って、紳士として自らの誇りに傷つけることはなさらないように」と、自在に英語でもって話をする。人柄と言い、筋道の通った言葉といい、無下に退けることもないと感じて、最初から温和な顔つきをした人物が怒っているもう一人を推し宥めて、
「とにかく、この紳士の言葉に従おうではないか」と言うと、本人も顔を和らげて、
「それなら紳士に私の気持ちを話そう。元はと言えば些細な事ながら、事の初めはこういう訳である。私の同国人の仲間内において、各自自分が持っている馬の自慢話から、競馬をしようではないかと去る日の会合で話が出て、それからその話が他にも知られて広がっていき、この横浜にいる亜米利加、仏蘭西、独逸等の各国紳士で、馬を持っている者まで、その日の競馬に参加したいと言って来た。こうして名誉ある競馬の会がほとんど成立の運びとなった。人は皆指を折りながらその日がくるのを待ち受け、女性達も噂し合うようになったのだが、自分の馬の沓が気に入らないので、この鍛冶屋に蹄鉄を作らせようと注文をし、かつ又、良い細工をさせようと普通以上の工賃を出そうとまで約束したのに、期限だった今日来て見れば、不都合極まる勾配のついた沓を作って得意顔をしているだけでなく、その不都合を責めれば、これで不都合はないと役に立たない強情を張って謝りもしないのだ。私はスチヴンソンという紳士を馬のことでは絶対負けられぬ相手としているので、是が非でも彼には勝たねばならず、一千ドルの賭金もたいしたことではないし、この鍛工に払おうという金も極めて些細なものではあるけれども、彼に負けることだけは口惜しい。日も余りない今日になって、こんなおかしな沓を作った上に、これで充分であるなどと私に抵抗し、私を罵り、嘲笑して、なおも工賃を得ようとするため、日本紳士のあなたを前にして、恥ずかしいことだが、取るに足らない者を相手に怒ることになった。それほどややこしいことでもないので、別にあなたを煩わすこともない。工賃だけを支払って、沓は他で新しく作らせる。ご親切は有り難いが」と、言いながら懐に手を差し入れて金を出そうとするので、『ちょっと』と、押さえて、
「待ちたまえ、あなたの言う通りなら、鍛冶屋は新たに不都合のない沓を作り、その後にあなたから約束の金をもらうというのが筋で、今すぐあなたから工賃を受け取るのは良いとは思えない」と言いながら、今度は首を鍛工の方に回して、
「鍛冶屋、お前の言いたいことを一応俺に聞かせてみろ。取るべき銭ならこの異人を謝罪らした上、必ず俺が取ってやるわ」
つづく