幸田露伴「蹄鐡」現代語勝手訳(2)
其 二
近づきながら、何事かと見れば、低い軒の家の前に並んだ二人の英国人と、その通訳と思われる者との三人を相手に、主人らしい大男が片肌を脱ぎ、赤銅色の胸を突き出して、肘を怒らせ、まん丸眼に炎立たせて言い争い、罵り叫んでいる。それを隣家の者らしいのがしきりに宥めすかすが、周りで野次馬らしいのが煽動喚きしているようだった。
外国人を見さえすれば、頭を下げて儲けようとするのは横浜あたりの賤しい者の風習であるが、どうしてか怒って縮れ髪の頭を上げ、口を尖らせ、唾を飛ばし、耳朶まで真っ赤にして争っているのは珍しく、なおもよく様子を伺っていると、家の中の土間を照らしている吊洋燈が、夜の仕事のためであろう、貧家の割には大変大きく明るい光を放っている。その光を受けて立っている一人の西洋人は、同伴の一人である穏やかな顔つきをした人物とは対照的に、激昂している様子で、
「そっちが約束を忘れて、こんなものを製ったために、こちらは千ドルも損をするだけではなく、名誉までも失うことにもなり兼ねん。こんな悪いことをしたにもかかわらず、その上に私まで罵るとはけしからん。お前に財産があるなら、そっちに対して賠償を求めてやるところだが、そんな力も無いだろうという思いから、許してやるというのに、なおも私に工賃を求めるなどとは不届千万な奴だ。分からなければ仕様をよく聞いてから作ればいいものを早合点に合点して、こんなものを作りおって、これが何の役に立つか! 馬鹿め、たわけめ、道理知らずめ。お前のために又これから急いで鍛冶屋に頼まねばならん。普通の値段よりも高い賃金を払ってでも、明後日の朝七時までに新しく作らさねばならなくなったわ、ええ、この馬鹿者め」と、地面を蹴って怒れば、通訳はそこのところをうまく繕って鍛冶屋に伝えるけれど、こちらも相手の様子を見て取り、なかなか心の角を丸めず、
「そっちの誂えようが悪くて、やり損ないの下図を寄越したのを棚に上げて、こっちばかりを鍛冶の基本も知らないように言うとは承知できん。三日や四日の手間賃を、貧乏をしたとしても無理矢理欲しがるということはないが、馬を見たことがあるか? 馬は駈けるものだ、などと、漸く喋れる日本語で我を嘲笑しくさった奴の銭は取らずには置けん。何のこの異人め、奥州生まれの俺様だわ。馬は犬よりも軽く扱って、九歳十歳の頃から玩具にしているものをつかまえて馬の講釈。憚りながら臍が茶を沸かすわ。この鉄沓の寸法がそっちの注文したのよりも大きいとか、小さいとかならこっちが悪くもあろうが、蹄面に関してはこっちに五分も過失はない。端に勾配を付けようが、付けまいが、それはお互いに言わなかったのがお互いの手脱け。付けるのが好いのか、付けない方が好いのか。そっちは勾配はない方が好いと言えば、こっちは勾配がある方が好いと言う。どっちの方が好いのかは、まだ児童のてめえ等に何で分かるものか。折角、好いが上にも好かれと我が作ってやった沓が気に入らないなら置いて行け。ただし、手間賃はお前が払って行け。この馬鹿異人めが。ケチ異人が。人の手間を潰した上に汚名を被せて行こうとは図太い野郎だ。許すものか。まごまごしてると叩き折るぞ」と、罵る。仲に入ったのが身の不幸の通訳は、あちらとこちらの言葉を互いに優しく取りなして、何とか無事に収めようと鍛冶屋の言葉もそのまま取り次がず、又西洋人の言葉も言うがまま取り次がないので、双方の気持ちは尚通じることがない。こちらはあちらの怒色を見、あちらはこちらの怒色を見て、気持ちの咬み合わないところで腹を立て合い、最後は暴力沙汰にもなり兼ねない勢いであったが、そこへ、人を掻き分け掻き分けして、二人の仲に立ち入ったのは例の洋服姿の大男であった。
つづく