忠義
震えながら、泣きそうになりながら、それでもさくらは唇を噛みしめ折れそうになる自分の心を支え、奮い立たせた。この状況を覆す方法なんて何も思い付かないし、怖くてまた失禁してしまいそうだし、大声を上げて逃げ出してしまえればどんなにか楽かと思いながらも、自分を見下ろす、冷たい目をした少年を見詰め返していた。
どれくらいそうしていただろう。さくらの感覚からすると丸一日くらいそうしていたような錯覚にさえ囚われるほどの時間だったが、実際にはせいぜい一~二分と言ったところか。
だが、そんな緊張感は、突然、何の前触れもなく解かれた。
「ふん…まあいい。百年ぶりくらいに本気の<忠義>ってものを見せてもらったし、それに免じて命だけは助けてやろう」
少年は肩を竦め、『やれやれ』といった感じで殺気を解き、ソファーへと座り直した。
そして背もたれに深々と体を預け、やはり尊大な態度で彼女を見る。
「まったく。お前は変な奴だな。主君への忠義を是とする騎士をはじめとした臣下とかという連中でさえ、口では忠誠を誓いながら腹の中ではどうやって自分が主君に成り代わろうかと考えている奴が殆どだったというのに、<臣下>でもないお前がどうしてそこまでの忠義を見せられるのか。
お前も確かに、本心ではこの場から逃げ出したいと望んでいた。だが自分が助かる為に己の忠義を捨てるような真似はしなかった。何もかも投げ出してしまいたい己自身を強く律していた。実はこれが難しいのだ。
狂信に基いた自己暗示で恐怖を知覚しないようにするという方法もあるが、それは決して自分を律しているのではない。虫のように機械のように決められた反応しかしないように自我と思考を放棄しているだけだ。それはもはや<人間>とは言えん。
だがお前は、自我を保ちつつ強靭な精神力で自らの恐怖を抑え付けた。それはお前自身の意思の働きによるものだ。
お前の言う<先生>とやらに、俄然、興味が湧いてきたぞ。どのような奴か見てみたい」
そんな少年の言葉に、さくらは、
「それは……」
と声を漏らすのがやっとだった。
すると少年は、「くくく」と笑いを噛み殺しつつ手をひらひらと振ってみせた。
「緊張を解いてやったら安堵してオレの言葉に乗ってくるかとも思ったが、いやはや、なかなかどうして抜け目ない。
いいだろう。そこまでの姿を見せるというのなら、こちらも礼でもって応えよう。
強引なやり方はやめだ。オレは今からお前の信頼を得ることにする。その上で、お前の<先生>とやらにお目通り願おう」