第4話
夜が更けてもランは寝られなかった。
セレストの言葉が頭に焼き付いていた。
何故、セレストはそう考えることが出来る。
忌むべき魔王。
その血を持った者を何故受け入れる。
ランがヴォルカンに心を奪われる、ということは、この国の未来の女王の夫が魔王になるということ。
隣国の王家に連なり、将軍の地位を持つセレストは、恐怖を隣人にすることを許容すると言うのか。
その為に、戦が起きないよう奔走しているのか。
(分からない)
セレストは、血で魔王になるのではないと言う。
リスクを冒してランの前に現れ、その力を行使せず、条件を呑んだということを指摘し、魔王に心を許してはならないと思うランに別の見方を示す。
(何故)
ランには、分からなかった。
(一体、何を話しているのだろう。
何の言葉を交わしているのだろう)
そう思うと、眠れなかった。
「空気、入れ替えに行こう…」
ランはベットから抜け出すと、マントを羽織った。
満月の夜は美しい、とランは思う。
どこか神秘的で、どこか安らぐように思えるからだ。
(昼はあんなに生き生きとした世界なのに)
ランは心の中で呟く。
庭園をそうして歩いていると、ランは風の中に声が混じっていることに気づいた。
そして、それは確認するまでもなく、ヴォルカンのものだった。
思考が頭から過ぎ去り、不安でランはその声の方角へ走った。
ヴォルカンは庭園の東屋にいた。
ヴォルカンの周囲には、人前には滅多に姿を現さないという精霊がいた。
彼は、精霊と会話をしていたのだ。
「我のことなら心配はいらない。大丈夫だ。
それよりも、怪我の具合はどうか?」
良かった、と微笑う表情は声と同じで、とても優しかった。
何らかの理由で怪我をした精霊に治癒の魔法をかけていたのだろう。
心優しくなければ、それは出来ないし、精霊も彼を思い、ここまでは来ないだろう。
セレストがどんな言葉を交わしているのか、どこまでヴォルカンを解かっているのかは分からない。
だが、この優しさに気づいたのだとランは思い、こんな光景見なければ良かったと即座に後悔した。
魔王であれば、国の為と憎むことも出来る。
どんなに得難い人物だと感じていても、国を護る為に剣を向けることも出来る。
だが。
(こいつは、魔ではない)
ヴォルカンを、最早魔王の末裔として見ることは出来ない。
ヴォルカンは、魔王にはならない。
そう、解ってしまった。
「ラン?」
その声でランは我に返った。
気がつけば、精霊は夜の空に舞っており、東屋にはヴォルカンしかいなかった。
ランは、自分がどんな表情をしているのか、分からない。
ヴォルカンが優しく苦笑する。
「すまないな、離宮は騎士が多くて精霊が怯える」
ヴォルカンが身を置いている離宮には監視役として騎士団が何十人と常駐している。ヴォルカンならば彼らを掻い潜って外出することなど訳はないのだろう。実力で彼らを屈服させ、外出などする訳がない。
魔王の末裔であっても、魔王などではないのだから。
黙っていたからか、ヴォルカンはその苦笑を深めた。
「心配しなくとも、もう戻るつもりだ」
「そうじゃない」
ランはその言葉を遮った。
驚くヴォルカンの瞳を真っ向から見つめる。
倒すべき相手としてではなく見つめたのは、この瞬間が初めての筈だったけれど、そうではないような気もした。
「何をしたら、セレストはあんたの味方になる」
口から出た言葉は存外に強くて、それも自分の意図とは微妙にずれていたけれど、ヴォルカンはそれに気づいた様子もなく、きょとんとした表情を浮かべた。
「セレストか?特別なことはしてない。強いて言うなら、友達になった、ということだな」
「何でよ」
ランは苛立った。
「何で、そうなのよ」
ヴォルカンは流石にランの様子がいつもと違うことに気付いたらしい。
それが表情に走っていた。
無理に問おうとしない。
それにもランは苛立った。
「あんたは、魔王の末裔だ。
皆から恐れられて生きる魔王の血を持っている筈だ。
なのに、何であいつは、あんたを恐れないのよ。
どうして、私に魔王の末裔だと思わせないのよ。
私はあんたを討たなければならないのにっ!!
何で、何であんたは魔王になろうとしないのよっ!!」
一息で言った言葉の後、ランは歪んだ視界の中に古ぼけた布切れを見つけた。
それに、見覚えがあった。
誕生日に貰った、癒しの魔力を持ったハンカチ。
そんな魔力が宿っていることよりも、シンプルだが価値があるということよりも、亡き母が素敵な騎士様の第一歩よ、と病床であったのにランの為に自ら選んで買ってくれたということが嬉しかった。
だけど、どこかで無くしてしまって……
(違う、そうじゃなかった)
ランは忘れていた情景を蘇らせる。
あのハンカチは、傷ついた、同い年ぐらいの男の子を癒した。
魔力は尽きたけど、止血する布には役立つだろうとその男の子に、あげた。
騎士ならば、そうしたから。
ぼやけていたそれは、急速に鮮烈な色を帯びた。
「まさか」
だが、思い出してみれば確かにその面影をこの人物は持っている。
「そうだ、ラン。
我は子供の頃、あなたに命を救われた。
あの時のお礼がずっと言いたかった」
ヴォルカンはそう言い、静かに微笑んだ。
「ありがとう」
その一言は、優しく、けれど、残酷にランを打ちのめした。




