第3話
時間は、緩やかに、けれど早足で過ぎ去っていく。
魔王の末裔であるヴォルカンは、穏やかにランだけを見つめていた。
媚びることもへつらうことも、ヴォルカンはしなかった。
無論、魔王の末裔にそんな論理などないと思うが、それでもランは自分の周囲にいかにそういった人間が多かったことに改めて気付かされた。
言葉はそう多くないが、穏やかに的確に話すヴォルカンの空気は、心地良かった。
少しずつではあったが、ランは魔王ではない、ヴォルカンと話すようになっていった。
「でも、あんた、変わり者だね」
「そうか?」
「変わってるわよ。話したこともない女と結婚したいなんてさ」
ランがそう言うと、ヴォルカンは少し優しく苦笑する。
何故か、ランはその表情がいいなと思った。
心惹かれてはいけない相手ではあるし、猶予が終わったら倒す相手だが、他人に感じない何かを感じるのも事実だった。
毎日のように、ヴォルカンのいない場所でランは、国王や宰相、将軍から魔王の末裔に心を許してはならない。一ヵ月後に魔王の末裔を討伐し、国の平和を取り戻せと言い含められている。
その言い分は、自分にも分かる。
王女として、魔王の末裔を討つのは当然のこと。
だが、違和感を感じるのも事実だった。
魔王=悪、それはそう思うが、思っていたような邪気も感じなかった。
それは、彼が彼の話す通り、魔王の末裔にしか過ぎないからだろうか。
そこまで考え、ランは首を振った。
意識してはいけない。
あれは、魔王の末裔、魔王の血を持っているのだ。
ならば、魔王になる可能性がある。
姫騎士として、国を護る為に倒さなければならない。
その為の時間なのだから。
「ラン?」
ヴォルカンの声でランは我に返った。
先程まで歴史書を読んでいたヴォルカンがそこに立っていた。
そうだった、ヴォルカンの願いで書庫を案内し、監視役として留まっていたのだった。
ランはヴォルカンを見、ずっと思考を巡らせていた自分を恥じた。
だが、ヴォルカンはそれに気づいた様子もなく、静かに微笑んだ。
「やはり国の書庫は良いな。我が読んだこともない本が沢山ある」
興味深い、と言うヴォルカンは読書を好んでいるのだろう。
何気なく本のタイトルを追っていたが、歴史書が殆どで、意外なことに童話のような本も幾つかあった。
「そーいうの、好きなの?」
「おかしいか?」
「いや、意外だって思ったから」
何気なく聞いたことに苦笑され、ランは軽く肩を竦めた。
確かに、と呟くようにヴォルカンは言う。
「童話のような話は、夢があっていい。
特に、楽園エリュシオンの話は好きだ。
我も行ってみたいと何度も思う」
自分も好きだ、とは口が裂けても言いたくなかった。
彼と同質に感じられてしまうから。
だが、穏やかな風が吹く楽園に思いを馳せる姿を見て、この世のどこにもヴォルカンの居場所がないのだと…何となく分かった。
魔王の血を引いている、その事実が今までどんな道を歩ませていたのだろう。
顔も知らぬ先祖の為に、どれ程…。
ランは短く舌を打つ。
だから、考えてはダメだ。
危うく傾きそうになった自分を戒め、きつくヴォルカンを睨みつける。
「そんな楽園は御伽噺だね。
大体、魔王の末裔であるあんたが楽園に行ける訳がない。
あんたが行くのは地獄だ」
吐き捨てて、ランは後悔した。
ヴォルカンは怒る訳でも泣く訳でもなく、寂しそうに微笑しただけだった。
罵ってくれれば、そんな気持ちも起きなかったのに。
そんな優しさを向けないで欲しかった。
今、自分が何を感じているのか。
今、自分が何を考えているのか。
ランは、分からなかった。
分からなくなってしまった。
その晩、ランの元をセレストが訊ねて来た。
あの日からセレストは数日毎に訪れ、ランだけではなくヴォルカンとも取り留めのない話をし、ひと時を過ごしていた。
無論、それは王家の一員で将軍である彼の任務なのだろうが、隣国の暴発を防ぐ為に奔走していることもランは宰相を通じて、知っていた。
そして、攻め込むという案を何とか封じようとしている彼に内部からも危険視する声も多く、逆賊として討つべきだと言う声も出ているということも。
本人もそのことを知っていたが、変えようとはしない。
「戦場でもない、戦士でもない、魔の意識に奪われている訳でもない、そんな人間を討つのは騎士のすることではないからな」
ランがそれを尋ねた時、セレストは事も無げにそう言った。
その意識の所為か、ヴォルカンとも普通に話し、俗に言う“男同士の話”もしているらしい。
こうしてランを訪れ、兄弟子として話をしていく日というのも勿論あるが…。
「何かあったのか?」
セレストはランを見るなりそう言った。
顔に出てしまっているのだろう、ランは特に偽ることもせず淡々と今まで抱いてきた感想をセレストに話した。
変化が訪れていると自分がする話の中でランは何となくそう思った。
魔王の血を持っている=悪、その方程式を持ちながら、否定したがっている自分がいるのだと思う。
それがセレストにも伝わったのだろうか、セレストはただ、ただ、穏やかに聞いていた。
話し終わった所で、セレストは口を開いた。
「ヴォルカンは、何故、お前の元に現れたと思う?」
「…分かんない」
「人前、それも姫騎士と名高いお前の前に現れることは、かなりの危険が伴う。それを彼が分かっていただろうというのは分かるよな?」
「…うん」
あの場で戦闘が起きても、何の不思議もなかった。
「今の状況も危険、それも分かっているだろうというのも分かるな?」
「…うん」
約束の時が来れば殺される、否、今も殺される危険がある。
それは、ランにも良く分かる。
「ヴォルカンは、力ずくでお前を攫おうとしなかった。
無論、お前は強い。簡単にはいかないだろうが、魔王の末裔としての魔力は強大、魔法を使えば造作もなかった筈。
だが、ヴォルカンはその手を使わず、お前の提示した条件を呑んだ。
どういう意味なんだろうな、それは」
そこまで言うと、セレストは腰掛けていたソファから立ち上がった。
「ヒントはここまで。
後は自分で考えろ。
ラン、魔王ってのは、血筋じゃないと俺は思うぞ?」
ひらひらと手を振って、セレストは後にする。
ランは鼻に皺を寄せ、残っていた紅茶を一気に飲み干す。
「そんな考え、あんただけだよ」
でも、何故だろう。
その考えに頷く自分がいた。