第1話
ヒュアラン。
豊かな大地を持つこの国は他国との争いもなく、平和で静かな時を過ごしていた。
強き瞳を持つ第一王女ラシャンは気さくな人柄からランの愛称で親しまれ、また、姫騎士の名の通り、民を護る為の武を極めていた。
無論、年頃の姫として、日々婚約者候補が列を成すのだが、ランは「弱い男は嫌い」と一蹴するばかり。
舞踏会を開いても、友情を深める会話を交わすばかりだった。
業を煮やした父王は、婚約者を選定する宴を開いた。
王位をランに譲る父王は、伴侶のいない王がどれ程軽んじられるかというのを知っていたからだ。
ランの前で、まるで何かの面接のように次々と貴族の子息が現れる。
適当にあしらいつつ、王女って自由がないなどと溜息を心の中でついていた、その時だった。
「我も名乗りを上げて良いか」
その声は呼ばれた誰とも付かない、否、誰であるかは分からないのに、誰もが知っている声。
空気に馴染むようにして、漆黒の髪が流れ、ふわりと舞った。
何も読み取らせようとしないその瞳の色は、真紅。
ずっとその場に立っていたように、突如現れたのは1人の青年だった。
神話の中に記されていた、闇の魔王。
英雄に滅ぼされた筈の魔王そのものの姿だ…。
その末裔が辺境に生きているという噂はあったが…。
流れるような足取りで、青年は悲鳴を上げて道を開ける貴族の子息達に視線もくれず、やってきた。
「我が名は、ヴォルカン。闇の流れを汲む者。
ヒュアランの姫騎士に結婚を申し込みたい」
向けられる剣。槍。魔法。
いずれも見えてなどいないように、彼は、ヴォルカンは言った。
ランは、自分を見つめてくるその視線を真っ向から見据える。
真紅のその色は、自分をどこか懐かしいように見つめている。
魔王の末裔だと言うには、余りにも澄んでいるようにも見えた。
「1ヶ月だ」
ランは、短く言い放った。
静寂に、緊張の糸でピンと伸びたような、そんな空気が流れる。
唖然としている周囲を他所に、ランは言葉を続けた。
「1ヶ月、私が所有している中で、空いている離宮の一つを貸す。
その期間において、言葉のみ、私に触れず、私に危害を加えず、私に魔を掛けず、私を口説くことが出来れば、私はあんたの嫁になってやろう」
「出来なかったら?」
静かな表情で、ヴォルカンが問う。
不敵な笑みをランは浮かべ、剣をヴォルカンに向けた。
「魔王の血を持つ者として、私に討たれるんだね」
さあ、どうする?
そう言わんばかりのランに、静かだがしっかりとした言葉が空間に響いた。
「1ヶ月だな」
それは、事実上の申し出受け入れの言葉だった。
予想外にアッサリと受け入れ、ランは内心驚いた。
(それだけ、自信があるってこと?)
その間に、自分のことを愛するようになるという絶対の自信の現われだと言うのだろうか。
「驚くことではないだろう。我は、その為に来た。その為に必要なことをするだけだ」
静かで静かな真紅の瞳にランは、何故か思った。
(こいつは、私を知っている。
私も、こいつを知っている)
だが、記憶の糸を手繰り寄せても、何も思い出せなかった。
そして、運命の1ヶ月が始まった。




