70 ベッカー
70 ベッカー
レタリア―ラトムランド連合軍がマルクシア首都へ向けて快進撃を続けていたその頃、マルクシア首都近郊の陸軍基地では動員によってかき集められた新兵の訓練と編成が急ピッチで進んでいた。
訓練内容は基礎的なものに留まり、弾薬節約のため実弾訓練は行われていない。
「なんだありゃ。ガキばっかじゃねぇか」
マルクシア陸軍少尉の階級章を掲げるベッカーは、久しく軍服に袖を通して新兵の訓練光景を眺めていた。
ベッカーは、4年前に始まったマルクシア―ラトムランド戦争の終結をきっかけに一度軍を去っていたが、国内の大動員に伴って再徴兵されていた。
本音を言えば軍隊に戻る気などさらさらなかったが、戦時中のマルクシアにとって従軍経験者は貴重な人材だ。そんなベッカーを軍が見逃すはずはなかった。
「少尉殿、お久しぶりです」
ベッカーが訓練場で佇んでいると、4年前にベッカー率いる戦車の無線手を務めていた部下が声をかけてくる。
久しぶりの再会だったが、ベッカーはそっけなく応じた。
「なんだ、お前も俺と同じ隊か。ま、新設される戦車師団の要員となれば経験者が集まるのは当然か」
「また少尉殿の下で働けるのは光栄です」
そんな会話を交わしていると、少佐の階級を掲げる将校が整列をかける。
「注目! 諸君らは、新たに創設される陸軍第15戦車師団、第1戦車大隊の要員としてこれより私の指揮下に入る。諸君らには、これより装備適応訓練過程に入ってもらうが、その前にまずはコイツを見てもらおう」
そう告げた将校が後方に手を振ると、基地の倉庫から一両の戦車が姿を現した。
その戦車は、以前ベッカーが搭乗していたTm-3より一回り大きく、大口径長砲身の主砲を装備している。
その場にいる多くの兵士が初めて見る新型戦車だった。
感嘆の声を漏らす兵士達を前に、少佐は演説を続ける。
「この戦車が、我が第一戦車大隊の主力となるTm-15である。長砲身72mm主砲を搭載したこの車両は、レタリア―ラトムランド連合軍の保有する全ての戦車を1500メートル以上の長距離から撃破する能力を持っている。まさに無敵と言っていいだろう。しかし、その能力を生かすも殺すも諸君らの能力次第だ。誠心誠意、訓練に励んでもらいたい」
話を聞き終えたベッカーは、隣に立つ無線手に耳打ちした。
「俺たちゃツイてるな。新編部隊ならではの新兵器だ。ま、アイツが戦場でどこまで動けるか分からんが、見たところ悪くねぇ戦車だ。今度こそ、アイツでラトムランドの首都を凱旋してやろう」
そう告げるベッカーの目は、4年前の輝きを取り戻していた。
* * *
その頃、渡河作戦を成功させた皇立近衛師団は、確保した橋の修復を待ってマルクシア首都に向けて前進を続けていた。
しかしながら、首都に近づけば近づくほど敵の抵抗は激しくなり、また戦線の前進に伴い補給線が延びきり補給物資の到着も滞るようになっていた。
この日、小さな町を占領した皇立近衛師団は日暮れと共に戦闘を中止して野営の準備を始める。
〝グスタフ2世〟の車長セシリアは、もはや日課になりつつある愛車の整備を進めていた。
「セ、シ、リ、アさん」
すると、砲手の戦友が声をかけてくる。その声色は、どこか浮かれている様子だ。
セシリアはため息を吐いて呆れたように彼女に応じる。
「どうかしましたか」
「その第一ボタン、どうしたんですかぁ? 軍規違反ですよぉ」
砲手の言う通り、セシリア羽織る軍服の第一ボタンはラトムランド軍の正式な物ではなく、別のボタンにすげ変わっていた。
そして、ボタンの中央にはレタリア軍の所属を示す刻印が記されている。
セシリアは、そのボタンを隠すように手を胸にかざした。
「これは、別に……」
「その刻印ってレタリア軍の紋章ですよねぇ。なんでセシリアさんがレタリア軍のボタンをつけてるんですかねぇ」
ニヤニヤと口を歪める砲手は挑発するかのようにセシリアに迫る。
砲手は、セシリアがそのボタンをどこで手に入れたか、概ね見当はついていた。
「そのボタン、例のレタリア人パイロットと交換したんですよね? もう隠さなくってもいいじゃないですかぁ。戦場で離ればなれになる二人が持ち物を交換して互いを想い合う……ラブロマンスですねぇ」
「そ、そんなんじゃありません! こ、これは、レタリアに伝わる言い伝えで、ボタンを交換すると戦場から生きて帰れるという話があって……」
「へぇー」
顔を赤くしたセシリアは適当に思いついた嘘をつく。
しかし、砲手の言っていることは一面の事実だった。
セシリアはブロッコとの別れ際、互いの再開を誓って軍服の第一ボタンを交換した。それが恋心によるものなのかどうか、実際のところセシリアにはあまり自覚がなかったが、周りから見れば冷やかされて当然の行動だ。
そんなやり取りをしていると、砲手の背後から師団長のティナが近づいてくる。
そして、砲手の頭に軽くチョップを下した。
「コラ。私の可愛いセシリアをあまりからかってはいけません」
どうやらティナは、砲手とセシリアの会話を聞いていたらしい。
立ち上がったセシリアはティナに向き直り慌てて取り繕う。
「すいません師団長……軍服の改造が禁止されているのは知っていますが、このボタンは、その、私にとって大事なもので……」
その言葉に、ティナは軽く応じる。
「別に、ボタンのひとつやふたつくらいで目くじらを立てるほど、わたくしも不寛容じゃありませんわ……いいじゃありませんか。想い人がいるというのも結構なことですわ。わたくし達は明日にでも命を失うかもしれない場所にいるんです。恋愛くらいしておきませんと、死に際で後悔しますわよ」
その言葉に、砲手が頬を膨らませて文句を言う。
「えー。軍規じゃ隊内恋愛も現地恋愛も禁止されてるじゃないですかぁー。師団長自らそれ言っちゃいますー? セシリアさんばっかりズルイですよぉ」
「軍規は軍規。人の心まで縛れませんわ」
「そういう師団長は好きな人とかいるんですかぁ?」
「わたくしの恋人は、この〝グスタフ2世〟ですわ。戦車より魅力的な殿方なんてこの世に存在しませんことよ」
「でたぁー! 一生結婚できないやつですよソレ」
「じゃあ、アナタはどうなんですの?」
「私も恋愛したいですけど、カッコイイ男が近くにいないんですもん。軍人の男はむさ苦しい連中ばっかりだし」
「ま、恋愛のことはこの戦争を生き残ってから考えることですわね」
セシリアは、そんなティナと砲手の会話を傍から聞いて笑いをこぼす。
だが、ティナの言うように、この戦場から生きて帰るのはそう簡単なことではないと自覚し、己の第一ボタンを強く握りしめた。




