69 秘策
69 秘策
開戦から4週間が経過し、マルクシア中部での渡河を成功させたレタリア―ラトムランド連合軍は、いよいよ敵の首都に迫ろうとしていた。
幸いにして現地の航空優勢は未だレタリア空軍が保持していたため、航空偵察や支援爆撃には事欠かいていない。
しかし、それによって判明した事実に月代は頭を悩ませていた。
総軍参謀本部のオフィスで、月代はじっと作戦図を眺めながら頭を抱える。
その様子を見たレイラは、月代にコーヒーを差し出して話しかけてきた。
「首都攻略の作戦を考えているのか」
コーヒーを受け取った月代は、疲労した目頭を押さえながら応える。
「ええ、まあ……敵は、首都前面に強固な防御陣地を設営している。こればっかりは、迂回するというわけにもいきませんからね」
レタリア空軍の航空偵察により、マルクシア軍はレタリア―ラトムランド連合軍を首都前面で迎え撃つ方針でいることは明らかになっていた。
しかし、その方針が分かっていたとしても、敵首都の攻略を目指す以上は真っ向勝負以外の選択肢が取りづらかった。
月代は、レタリア空軍から提供された敵防御陣地の航空写真を眺めながら口を開く。
「この防御陣地は、前のマルクシア―ラトムランド戦争でこっちが使った縦深防御そのものです。全周防御陣地を幾重にも重ねて、突破を試みた部隊をすり潰せるようにできている。当然ながら対戦車兵器も充実しているでしょうね」
縦深防御は、強力な突破力を持つ戦車部隊を迎え撃つのに適した戦術だ。
第二次大戦における旧ソ連軍は、クルスクの戦いにおいて縦深防御に加えて対戦車障害と対戦車兵器を大量に付与した〝パックフロント〟と呼ばれる防御陣地を形成し、精鋭のドイツ装甲部隊を撃退している。
月代と同じA.W.Wプレイヤーの茜がいるマルクシア軍が、そうした合理的な方法を用いてくるのは必然だった。
目先の障害に悩む月代に対し、レイラが助言をする。
「先のマルクシア軍が用いたように、我が軍も作戦機動群のような独立した突破部隊を編成し、レタリア空軍の空挺部隊と協調して一点突破させてはどうだ」
その方法は月代も考えた。
しかし、前回の戦争でマルクシア軍がそれを行えたのは、圧倒的な数的有利があったからだ。
「戦力比が対等なら、防御側が有利なことに変わりはありません。たとえ一部の部隊が突破に成功しても、首都攻略ができるほど戦力が残るかどうか……」
「工夫が足りないということか……加えて、反撃のチャンスを待つ敵は確実に我が軍への逆包囲を試みるだろうしな。突破点に戦力を集中させればさせるほど、両翼は手薄になる。首都前面で主力が包囲されれば、この戦争は敗北も同然だ」
月代にとって最大のネックは、こちらの戦略目標が敵の首都だということが自他共に明白だという点にあった。
マルクシア側にしてみれば、守るべき目標が明確ならば防御を固めるだけで十分なのだ。なぜなら、攻撃側がいかに工夫をこらしたとしても、最終的にはその目標に迫る必要があるからだ。
だとすれば、発想の転換が必要になる。
そう考えた月代は、戦争の基本に立ち帰って考える。
とにかく戦いでモノを言うのは数だ。
それは軍事力の優劣という意味だけでなく、決戦の発生する場所にいかに多くの戦力を集中できるか、という局地的な場面にも言える。
例えば、100匹のバッファローの群れに10匹の虎が襲いかかったとして、バッファロー側は100匹集まって虎に挑めば簡単に追い返すことができる。
しかし、虎の襲撃に驚いたバッファローが散り散りになってしまえば、虎は簡単に数匹の獲物を捕えることができる。
つまり、いかに軍事力があったとしても、戦力が集中できなければ勝利は得られない。
ならば、今回の首都攻略において一番やってはならないのは、敵の逆包囲を恐れて左右前面全てに広く戦力を分散させてしまうことだ。
そんなことをすれば、正面兵力は少なくなり確実に突破力が不足する。
戦力の集中は大前提だ。
問題は、それをどうやって使うか。セオリーで考えれば一点突破だが、それでも突破に成功する見込みは薄く、確実に逆包囲される。
「逆包囲か……」
そこまで考えたとこで、月代はあることに思い至った。
「そうか、敵は確実に逆包囲をしてくるんだ。いや、こちらの両翼がガラ空きだとわかれば、誰だって飛びこんでくる。その考え方も、硬直しているんだ」
「弱点を突くのは戦いの基本だろう」
レイラの言葉に、月代はニヤリと口を歪める。
「基本だからこそ、やってしまうんですよ。反撃に向けて周到な準備をしている敵は、弱点を晒すこちらに対して逆包囲をしないなんて選択肢はとれない。そこに付け入るスキが生まれる」
「ほう……ようやくいつもの顔が戻ってきたな」
そう告げたレイラは、不敵な笑みを浮かべて続く月代の言葉を待った。
* * *
その日イリスは、総軍参謀本局の中央オフィスを離れ、建屋の脇にある庭に出てた。
総軍参謀本部は軍の施設だが、庭には小さな花壇が設けられていた。
どうやら、軍属の女性スタッフが交代で世話をしているらしい。
青く晴れ渡る晴天の下、イリスは腰をかがめて一輪の白い花を眺める。
色とりどりの花に囲まれて咲くその花は、どこか周囲から浮いているように見えた。
「そちは、余に似ておるな」
イリスは、ふとそんな独り言を告げる。
すると、背中から聞き覚えのある声が届いた。
「イリス。こんなところにいたんだ」
「ツキヨか。余の秘密の場所が見つかってしもうたな」
イリスは、振り返らずとも声をかけてきた相手が月代だとはっきり分かっていた。
それでもイリスは、月代に構わず花を眺め続ける。
「花は良い。争いをせんからな」
月代にとって、イリスの言葉はいささか皮肉じみて聞こえた。
だからこそ、月代は気の利いた返しを思いつかなかった。
押し黙る月代に対して、イリスは言葉を続ける。
「ツキヨ。どうして人は争うのかのう。誰だって戦争はしたくない。そう口を揃えて言っておきながら、なぜ戦おうとするのかのう」
それは、とても難しい質問だ。
人類の歴史は、争いの歴史でもある。群れと群れの縄張り争いから始まった戦争は、人類の発展と共に変遷しつつ現在まで継続されている。
はっきり言って、戦争が起きる根源的な理由は一言で説明できない。
戦争にはその時その時の発生原因があり、人間の動物的な闘争本能や利益の衝突といった理由は、常に一面的なものでしかない。
月代は、己の趣味で培った知識からそれをよく知っていた。
それでも月代は、イリスの疑問に一つの答えを告げた。
「人は、命をかけて誰かを守りたいと思うから戦うんだ。相手が憎いから戦いに赴くわけじゃない」
イリスは月代の言葉に背中を向けて応える。
「その結果、誰かの大切な人を殺すことになったとしても、か……皮肉と言うより悲劇じゃな。例えばツキヨは、余を守るためなら誰かの大切な人を殺してもよいと思っておるのか?」
それは残酷な質問だと思った。
大切な人を守るためなら殺しが許されるのか――そう問われて「他人を殺すことなどできない」と答えるのは簡単だ。
しかし、実際にそういった立場に立たされたとき、多くの人は大切な人を守る道を選択するだろう。なぜなら、比較されるのは〝大事な人の命〟と〝他人の命〟だからだ。
もちろん、命に優劣はつけられないという答えもある。
だが、目の前にかけがえのない存在を見いだしている月代は、そうは考えなかった。
月代は、己の答えをはっきり告げようと口を開く。
だが、言葉を発する前にイリスが先んじて声を放った。
「すまん。さっきの言葉は忘れてくれ。余は最低の人間じゃ」
そう告げたイリスは立ち上がり、ツキヨに顔を見せず走り去って行く。
その姿を見送る月代は、戦争指導という行為の抱える大きな罪に、強く心を締め付けられた。




