7 縦深防御 ◆
7 縦深防御
月代の発言がきっかけとなり、先ほどまで激昂していたレイラは冷静さを取り戻した。
そして、いささか不満げな調子で口を開く。
「貴官の主張はわかった。しかし、我が軍が劣勢であると自覚したところで、何か意味があるのか」
月代は軽く頷く。
「とりあえず現状を踏まえた上で、今の作戦計画を見直しましょう。俺は今の計画をよく知りませんが、恐らく国境線自体を防衛ラインにして真っ向から守り抜く計画を練っていたんじゃないですか? 領土を失いたくないなら、必然的にそうなると思います」
レイラは少し驚いた様子で答える。
「確かに、我が軍は国境線から1km離れたラインに主力陣地を敷設し、更に5km後方に第二陣地を敷設してマルクシア軍の侵入を全面で防ぐ方向で作戦を固めている」
先ほどより縮尺の小さい地図を取り出したレイラは、対マルクシア作戦計画の概要を説明する。
「我が軍の総動員力はおよそ100万人。戦略単位に換算すると50個師団ほどになる。そのうち25個師団を主力陣地に展開させ、第二陣地に15個師団、残り10個師団が予備という内訳だ。対して、マルクシア軍の正面兵力は初動で150万、最大200万と予想されている」
師団とは、1~3万程度の兵士と諸々の兵器で構成される戦略単位のことだ。
大規模な戦争を将棋やチェスに例えるなら、1個師団を1つの〝駒〟として考えると分かりやすい。
そして、将棋やチェスの駒と同じく師団にも能力差がある。
兵士の訓練度や指揮官の能力といった要素で師団の能力は変化するが、それ以上にわかりやすい指標が兵器の質だろう。
より強力な兵器を配備している師団は強い駒となる。
このゲームの開発者である佐藤によると時代設定は第二次世界大戦らしい。
つまり、兵器の技術も1940年前後程度だと考えられる。
月代はその点も考慮し、質問を加えた。
「戦車や航空機の兵力差はどうですか?」
「我が軍の戦車保有数はおよそ500両、航空機は600機。対して、マルクシアは戦車4000両、航空機3000機程度を投入すると予測される。そして、数だけでなく性能面でも我が軍が劣る」
以上を踏まえると、単純な兵力差は1.5~2倍だが戦車や航空機の保有数は5~8倍で性能差を加味すれば更に差をつけられていることになる。
しかし、戦争は基本的に陣地を利用できる防御側が有利なので、レイラは陣地戦で優位を取って兵力差をカバーするつもりなのだろう。
「ちなみに、マルクシアが戦争を始めるとすれば、後どれくらいの猶予がありますか?」
「それも予想の範囲を出ないが、マルクシア軍の動員と集結具合を見るに1カ月以内の開戦は不可能だと考えられる。つまり、猶予は最低1カ月だ。我が軍の動員もほぼ同時期に完了する」
情報が軽く出そろったところで、月代はすぐに考えをまとめた。
「わかりました。とりあえず正直な意見を言うと、この作戦計画では国境線の防衛は不可能だと思います」
作戦計画の責任者であろうレイラは目を細めて月代を睨む。
「根拠を聞こうか」
「まず、主力陣地が敵正面に近すぎます。陣地が敵砲兵の射程に入れば陣地戦の強みは失われます。加えて、航空機や戦車の数で勝る敵は機動力を生かした突破戦を試みてくる可能性が高い。いくら主力陣地が強固でも、一部を突破されれば陣地に残る主力が遊兵化して戦線は切り裂かれます」
「ならば予備部隊を増やせと言うのか? しかし、それでは正面兵力が薄くなり敵の突破が更に容易になる。結果は同じだ」
「俺はさっき言いましたよね。この戦争における最大の戦略目標は、〝マルクシアの侵略意思を挫くこと〟だって。つまり、領土を全て死守する必要はないんです。敵に領土を渡してはならないと考え始めると戦略は硬直化します」
「そうまで言うのならば、貴官の具体的な案を聞こうか」
その言葉に対して月代はニヤリと微笑む。
月代は劣勢下の防御戦において、この時代に適した最良の方法を知っている。
それは、現実世界で過去に有効性が実証された裏付けのある戦略だ。
「とりあえず、防御陣地にもっと〝縦深性〟を持たせるべきです」
利き慣れない言葉に対して、イリスが首をかしげる。
「ジュウシンセイ、じゃと?」
「縦に深く、という意味です。敵に第一線、第二線を突破されることを前提として深く陣地を構え、進撃で疲弊した敵を包むように撃破する方法です」
そう告げた月代は、手近な人間から紙とペンを借りる。
そして、陣地に見立てた〝川〟の字を描いた。
「戦車が開発される以前は、基本的に横一線に連なる陣地を構える方法がスタンダードでした。なぜなら、突撃してくる歩兵や騎兵を迎え撃つには正面火力を充実させるのが最も有効だからです。だけど、線のように細い陣地は強力な突破力を持つ戦車によって無力化されてしまいます」
そう告げた月代は紙を裏返す。
そして、今度は無数の丸を描いてみせた。一見すると〝蜂の巣〟のようだ。
「なので、俺はこのような丸状の陣地を無数に配置する方法を提案します。それも5キロや10キロではなく、国境から30キロ以上……なるべく広範囲に分散させましょう。これなら最前線が砲爆撃に晒されても被害は最小限に抑えられます」
「しかし、これでは防衛線が隙間だらけになる。その隙間を縫って進撃されたらどうする」
「むしろそれが目的です。陣地の隙間を縫って進撃する敵は必然的に隊列が細くなります。対してこちらは両脇の陣地から敵の側面を攻撃できる。最後に尻を塞いでやれば、無理に進撃を続けた敵は勝手に包囲される。そうやって突撃を続ける敵をすり潰し、最終的に侵攻能力を喪失させるのがこの作戦の基本方針です」
そこまで聞いたイリスは、月代の描いたラクガキを掲げて大きな声を出した。
「面白い! 防御陣地の分散展開とは見たこともない作戦じゃ! レイラよ、この案をどう思う?」
イリスに問い掛けられたレイラはしばし沈黙し、そして苦々しく口を開いた。
「確かに、私にはない発想です……が、敵の進撃をあえて受け入れるという方法はいささかリスクが伴う気がします。加えて、陣地を深く構えればそれだけ国土が荒れる。戦線を国境から30kmも後退させれば多くの村落が戦場になります」
月代は尚も冷静に応える。
「逆に国内で戦えば地の利が活かせます。村落のような人工物も陣地として利用できる」
「貴様! 民の資産を何だと思っている!」
「レイラよ落ちつけ。そのくらいの覚悟が無ければ勝てぬとツキヨは言いたいのじゃろう。して、問題はツキヨの案を採用するかどうかじゃ。やると決まれば疎開範囲も広げねばならぬし、何より陣地も作り直さねばならぬ。決断するなら今じゃと余は思う」
イリスの提案に対してオフィスは再び静まりかえる。
そして、意外にも不満げな顔を見せるレイラは即座に反対の声を上げなかった。
その様子を見たイリスは、あえてレイラに問いかけた。
「レイラよ。総軍参謀局局長として、まずそちの意見を聞こうか」
レイラは爪を噛んで顔を伏せる。
そして、大きく息を吐いてから答えを出した。
「正直に言って、私には判断しかねます。私個人は国土の喪失や荒廃はなるべく避けるべきだと考えてますが、そもそも今の作戦計画も退役したジジイ共の残したものを踏襲したにすぎません」
「つまり、今の計画で国土を守り抜く自信があるわけではないのじゃな」
レイラは悔しげに頷く。
「ならばこの場にいる皆に問おう。旧来の作戦計画を踏襲すべきだと思う者は手を挙げよ」
イリスの問いに対して、その場に居合わせる軍人は誰ひとりとして手を挙げなかった。
「ふむ。これ以上は問う必要もあるまい」
そう告げたイリスは、姿勢を改め声を張り上げた。
「余はラトムランド軍最高指揮官として命じる! 対マルクシア作戦計画はツキヨ・ヤルネフェルトの提唱する防御方針に全面転換し、全軍は当該計画に対し前向きかつ全力で取り組むこととする! 異論のある者はおるか!」
その問い掛けに対する答えは、散発的に放たれた弱々しい拍手によって示された。