66 気持ち
66 気持ち
病院の廊下を進み、ひとつの病室に辿りついたセシリアは中へと足を踏み入れる。
そこにも入院患者が溢れており、ベッドは満杯どころか床にも兵士が寝転んでいた。
セシリアは寝転ぶ傷病兵の体を避け、カーテンで区切られたベッドを一つ一つ覗いていく。
そして、最後に残された窓際のベッドへ目を向けると、そこにはブロンド髪を靡かせる一人の男が起き上がって夜空を眺めていた。
来訪者の存在に気付いたブロッコは、視線をセシリアへ向ける。
「セシリアちゃん! どうしてこんなところに……」
いざブロッコと再開してみると、セシリアは何を話していいか分からなくなった。
口を噤むセシリアの様子に、ブロッコは首を傾げる。
「どうかしたの? その様子だと、なんだか僕に会いにきてくれたって感じじゃなさそうだね」
セシリアはブロッコ目当てで来たとは言いづらくなり、嘘をつく。
「はい。たまたまここに用があって、ブロッコさんが入院していると聞いたので様子を見に来ただけです」
「ま、そうだよねぇ。僕なんかのためにセシリアちゃんがわざわざ来てくれるわけないか」
「体の方はどうですか?」
「銃創は大したことなかったよ。骨にも当たってないし、穴が塞がってからちょっとリハビリすれば、すぐに戦線復帰できるって」
その言葉に、セシリアはある懸念を抱く。
「また、戦場に戻るんですか?」
「逆に聞くけど、セシリアちゃんが僕と同じ立場だったら、体は元気になってもそのまま退役しようと思う?」
「いえ……」
どうして私は、彼の身を案じるんだろう。
セシリアにとってブロッコは顔見知りの戦友だが、言ってしまえば他人も同然だ。好意もなければ、さして仲が良いわけでもない。
それでもセシリアは、彼が戦場に戻るということに不安を抱いた。
「なんだセシリアちゃん、僕のこと心配してくれるの? 嬉しいなぁ」
その言葉に顔を赤くしたセシリアは、必死に否定を示す。
「違います。また戦場で撃墜されて、私達に迷惑がかかったら困ると思っただけです」
「結構酷いこと言うなキミは……」
ブロッコは苦笑いを見せる。
対するセシリアも、少し言いすぎたと思い口を慎んだ。
二人は物静かな病室で沈黙を共有する。
ブロッコの無事が確認できたセシリアは、これ以上ここに留まる理由がなかった。
それでも、何故だかその場に留まり続けてしまった。
しばらくしてから、ブロッコが沈黙を破る。
「正直、セシリアちゃんが来てくれて本当に嬉しいよ。あんな強引な方法でキスまでさせちゃって、僕は嫌われてても仕方ないのにさ」
キス。
それを思い出したセシリアは耳まで赤くする。
「あれは、その場の勢いだったんです。本当にブロッコさんが死んじゃうと思って、可哀そうに思って、つい……」
「まあ、あんな場で要求されれば、たとえセシリアちゃんじゃなくたってキスくらいするさ。誰だって、死に行く戦友が目の前にいれば同情するよ。幸い、僕は助かったわけだけど」
その口ぶりは、強引に迫ろうとする以前のブロッコが見せた態度とはいささか異なる気がした。
「ブロッコさんは、あのとき本気で自分が死ぬかも、と思ったんですか?」
その言葉に、ブロッコは視線を窓に向ける。
「死ぬかも、と言うより、死んでも仕方ない、と思ったね……僕は、あの日の空中戦で戦友を失った。それも全て、僕の責任だ。僕は二人乗り偵察機の操縦手で、戦友は偵察手だった。僕は無謀な戦いに自分の意思で挑み、そして一方的に負けた。それだってのに、死んだのは戦友の方で、僕は生きている。そんな不条理ってあるかい? 死ぬべきなのは、僕の方だったのさ」
その言葉に、セリシアは何と応えていいか分からなかった。
それでも必死に言葉を紡ぐ努力をした。
「戦場というのは、そういう空間です。時として不条理に命が奪われる。それが戦った上での結果なら、仕方のないことだと思います」
「そうかな。死んだ戦友は、僕のことをどう思う? 自分はブロッコという下手クソパイロットのせいで死んだ。きっとそう思ってる。僕はアイツを殺したんだ。一緒に戦ってきた仲間を、この手で殺したんだ」
そう告げたブロッコは、傷口とは反対の手で顔を押さえる。
そして、小さく嗚咽を漏らした。
「何言ってるんだろうな僕は。セシリアちゃんには、関係ないことなのに……」
その様子を見たセシリアは、自然とブロッコの隣に腰掛け、彼の背中を摩る。
「私は、ブロッコさんが生きててくれてよかったと思っています。死んだ方がよかっただなんて、言わないでください」
それは単なる慰めの言葉ではなく、セシリアの本心だった。
「僕は、何で生きてるんだろうな……」
「私が、助けたからですよ……だから、ブロッコさんは、私の為にも生きなきゃいけないんです。たとえ、戦いに戻ろうとも、生きなきゃいけないんです。もし撃墜されても、また私が助けます」
セシリアの言葉に、ブロッコは泣き顔のまま小さく笑いをこぼす。
「まいったな。そんなこと言われたら、当分死ねなくなっちゃうな。それに、セシリアちゃんの方だって死んじゃダメじゃないか。僕を助けに来なきゃいけないんだから」
「そうですね」
そんな風にして二人は笑い合う。
そして、涙を拭ったブロッコは言葉を続けた。
「僕さ、実は夢があるんだ。戦争が終わったら、地元に帰ってカフェが開きたいんだよ。あんまり目立たない場所で、昼間でも酒が飲めるところさ。そこでゆっくりお客さんの話を聞いて、のんびり過ごすんだ。どう、良い考えでしょ?」
「ええ、とっても」
「店を開いたら、是非おいでよ。ああでも、場所はレタリアだからセシリアちゃんは海外旅行になるな。せっかくだから、街の案内もしないと」
目を赤く腫らして楽しげに語るブロッコを前に、セシリアは笑いをこぼす。
「フフ、それってデートのお誘いですか?」
「そうさ。是非、受けてくれるよね? 僕達が死なないための、おまじないさ」
「そうまで言われたら、受けないわけにはいきませんね」
セシリアの返事を聞いたブロッコは、「よっしゃ!」とガッツポーズをとって叫ぶ。
そして、声のトーンを下げて再び口を開いた。
「それともう一つ、レタリアに古くから伝わる戦死しないおまじないがあるんだよ。せっかくだから、重ね掛けしよう」
その言葉に、セシリアは半笑いを浮かべる。
「それって、どんなおまじないなんですか」
「いいかい、まず目を瞑るんだ」
そう告げられたセシリアは、素直に目を瞑る。
その直後、二人の唇は優しく重ねられた。




