61 画策
61 画策
開戦から10日が経つと、レタリア―ラトムランド連合軍の一部はマルクシア中部の河川に到達しつつあった。
レタリア空軍のピンポイント爆撃により、河川にかかる橋は既に9割以上が破壊されている。
その影響で河川西部に取り残されたマルクシア軍は、川沿いに形成された都市を中心に戦線を形成し、必死に防衛戦を展開しながら艀による渡河撤退を続けていた。
そんな中、マルクシア南部に建設された巨大ダムの脇で、月明りに照らされうごめく人影があった。
黒い制服に身を包み軽武装する彼らは、少数のグループに別れ人目を避けて行動してる。
彼らの制服には階級章も所属章もなく、誰がどんな立場にあるのか、更にいえば国籍すらも傍目からは認識できなかった。
そんな彼らは、ダム湖にほど近い小山の上で何らかの機材を展開している。
工作が完了すると、責任者らしい男が背中に担ぐ無線機で仲間と交信した。
「こちら黒の4、点火準備よし」
『こちら黒の1了解。……全グループ準備よし。点火用意』
そう告げられた男は、機材に据え付けられたスイッチを握る。
そして、続く指示を待った。
『点火5秒前。4、3、2、1、点火』
その言葉と同時に、男がスイッチを捻るとすさまじい爆音と閃光がダムを包み込む。
続いて、低い轟音が徐々に音量を増して大地を揺らした。
彼らの目の前に広がるダム湖は一挙に水位を減らし、位置エネルギーを失った水は鉄砲水となって下流に流れ込む。
その勢いは、もはや人間の手に追えるような規模ではない。
すさまじい速さで突き進む鉄砲水は下流に存在するありとあらゆるものを飲み込みながら突き進んでいった。
その様子を平然と眺める黒の集団は、目の前の惨状に満足し、小山の奥へと消えていった。
* * *
「第3快速師団と第20歩兵師団が壊滅だと! 一体何があった!」
朝日に照らされた総督府の中で、下着一枚の寝起き姿でいるドルチェは電話を握りしめながら叫んだ。
当惑するドルチェの問いかけに対し、電話越しから陸軍参謀総長の弱々しい返事が放たれる。
『それが、マルクシア南部で敵を包囲中の両部隊は、昨晩のうちに、その、洪水に巻きこまれたようでして……幸い、人的被害は少ないそうですが、装備の多くを喪失し、現在は部隊機能がほぼ失われた状態にあります』
その言葉にドルチェは耳を疑う。
「洪水? 洪水だと? マルクシアは今、悪天候なのか?」
『いえ、恐らくですが、マルクシア軍が意図的に上流のダムを破壊したと考えられます』
ドルチェは、電話を握りしめながら言葉を失った。
マルクシア軍が焦土作戦を展開していることは既に報告を受けていたが、今回の事件はあまりに度が過ぎていると感じた。
意図的にダムを決壊させれば、当然ながら下流に存在する都市や村落は甚大な被害を受ける。
2個師団を壊滅させられたのは事実だが、その対価としてマルクシア国民が被る損害と死者は計り知れない。
そして、参謀総長は絶句するドルチェに言葉を付け加えた。
『またこの事件に関して、マルクシアは未明のラジオ放送にてダムを破壊したのはレタリア軍の爆撃機だと喧伝しており、一部で波紋を呼びつつあります』
その言葉に、ドルチェは顔を赤くして激昂する。
「バカな! 自作自演じゃないか! 私はこれから対抗宣伝の準備を進める。貴官は早急に状況を収拾し、戦線の立て直しに尽力しろ」
『しかしながら、マルクシアに対する都市爆撃を継続する我が軍は国際的な信用を失いつつあります。その我々が真実を告げたとしても、どこまで聞く耳を持たれるか……』
ドルチェは、愚痴ともとれる参謀総長の言葉に一層顔を赤らめる。
「だからなんだと言うんだ! 貴様は今すぐ都市爆撃を停止すべきだとでも言いたいのか!? それで国際的な信用が取り戻せるというのか!? 立場をわきまえろ! 貴官の任務は敵野戦軍の撃滅だ! その肩についてる階級章を取り上げられたくなければ余計なことを考えるな!」
『……承知いたしました』
通話を終えたドルチェは乱暴に電話を置き、頭をかきむしる。
そして、苛立たしげに葉巻を咥えて呟いた。
「マルクシアめ。やつらの方がよっぽど外道だ。そんなに国民の命が惜しくないなら、思い知らせてやろうじゃないか。おい、パトリア! 起きろ!」
その言葉に、ドルチェのベッドで眠っていたパトリアは目を擦って起き上がる。
ドルチェと同じく下着姿の彼女は、大きなあくびをして間の抜けた表情で応えた。
「もう、朝からなんなのよ……」
「もう我慢の限界だ。私は、今この時よりお前に無差別都市爆撃の許可を下す。奴らに我が軍の恐ろしさを思い知らせてやれ」
状況の分からないパトリアは寝ぼけた頭でドルチェの言葉を反芻する。
そして、頭が覚醒していくにつれ、己が告げられた言葉の意味を理解し不敵な笑みを浮かべ始めた。
「あら、ようやくその気になりました? 焦らされすぎて待ちくたびれちゃったわ。お義父様がお望みなら、明日にでも首都大空襲を実行可能です。でも、大義名分はどうなさるの?」
「これは総力戦だ。総動員を行い、この戦争に協力しているマルクシア国民は、全て敵だ。その敵を抹殺するのに理由など必要ない」
パトリアはクスクスと笑いをこぼす。
「お義父様も、ようやく戦争の本質がお分かりになってきたようですね。いいでしょう。私は、明日にでもマルクシアの首都を火の海にしてみせますわ。そして、恐れ慄いたマルクシア国民は、すぐに白旗を上げるでしょう」
その言葉に、いささか機嫌を取り戻したドルチェは満足げに葉巻の煙を吐いた。




