6 国際情勢 ◆
6 国際情勢
「とりあえず、俺はちょっと前まで外国にいたので今の国際情勢には疎いです。なので、まずこの国が置かれている状況を説明してもらえませんか」
月代の提案に対して、まずレイラが応える。
「そんなことも知らんのか……まあいい、私から軽く説明しよう。我が軍は現在、隣国マルクシアと開戦する方向で動いている。事の発端は三カ月前だ。近年、怒涛の勢いで軍事力を拡大しつつある隣国マルクシアは、高慢にも我が国との国境線を引き直そうと提案してきた。事実上の領土要求だな」
そう告げたレイラは大きな縮尺の地図を広げる。
どうやら、ラトムランドもマルクシアも典型的な大陸国らしい。
両国は南北に伸びる200kmほどの国境で陸続きになっている。国境線の北側は海洋に至り、南側は山間部で別の国に繋がっていた。
そして地図を見れば一目瞭然だが、マルクシアの方が国土が大きい。三倍くらいは差があるだろう。
月代は地図に書かれていない情報を聞き出す。
「当然、マルクシアの方が人口も多いんですよね?」
「我が国の人口は4000万に満たないがマルクシアは8000万近い。そのくらい常識だぞ」
そこにイリスが割って入った。
「まあ基本に立ち返るのも悪くはなかろうて。とにかく、マルクシアは人口だけでなく国土も豊かじゃ。我が国は食糧に限らず石炭や鉄鉱石といった資源をマルクシアから輸入しておる。それが我が国の弱みになってしもうたがな」
要は隣の大国に目をつけられ恫喝されている、という話らしい。
「それじゃあ、イリスは領土を脅し取られるくらいなら開戦も辞さない気でいるんだね」
「無論じゃ。そもそも、マルクシアは数年前に起きた大飢饉以来、国内が不安定になっておる。少し領土を与えたところできゃつらは満足せんじゃろう。それに加え、現マルクシア皇帝ゴブロフは我が国との開戦をむしろ望んでおる。戦争になれば国内の不満も誤魔化すことができるからの。周辺国もとばっちりを嫌がってダンマリを決め込んでおる」
月代は過去の歴史からそのような国の事例をよく知っている。
マルクシアの陥っている状況は、俗に言う〝鬱屈した帝国主義〟のドグマだろう。
不況などで国内不満が高まった場合、他国の侵略という手段でその場をしのぐやり方は支配者にとって魅力的に見える。
なぜなら、国民の不満を敵対国への憎悪に置き換えることができるし、戦勝すれば領土や賠償金などの戦果で一時的に国内を豊かにすることができる。
そんな手軽な手段に魅了された支配者は、敗戦を期すか経済が破綻するまで周辺国に戦争をふっかけ続けるという寸法だ。
そう考えると、今突き付けられている領土要求を飲んだところで暴走するマルクシアが満足しないという話は納得できる。
むしろ恫喝が利くと分かれば際限なく脅し続けられ、いずれ属国になれと要求してくることだろう。
「つまり、隣国マルクシアが健在である限り、ラトムランドは常に軍事的脅威に晒される……」
「その通りじゃ。戦いを避け続けたところで延命措置にしかならぬ。ならば立ち向かうまでじゃろうて。民も同じ意思と考えてよい」
国情をおおよそ把握した月代は話をまとめる。
「それじゃあ、いずれ起きる対マルクシア戦争での最上級戦略目標は〝マルクシアの侵略意思を挫くこと〟でいいかな」
「あたりまえじゃ。確認するまでもない」
いや、そうとも限らない。
「イリス。悪いけど、俺が提示した戦略目標に〝領土を渡さない〟という条件はついてない。つまり、マルクシアの侵略意思が大きく削がれたなら、一部領土を明渡してでも講和を模索すべきだと俺は考えてる」
月代の発言に対して、オフィス全体がざわめく。
それもそうだ。軍事顧問として召喚された人間が、いきなり「結果的に領土を渡してもいい」と発言すれば周囲も当惑する。
そして、月代の言葉を最初に拒絶したのはレイラだった。
「貴様、今自分が何を言ったかわかっているのか! まさかマルクシアで拘束された折にスパイとして洗脳されたのではなかろうな。殿下、このような者の戯言に耳を貸してはなりません」
月代は冷静に反論する。
「待ってください。レイラさんは本当にマルクシアと真っ向勝負で勝てると思いますか? 人口が二倍の相手なら、正面兵力もおよそ二倍でしょう。全面戦争になれば善戦できても後退は必然です。その事実はわかっているはずだ」
「それは端から敗北を認めたのと同じではないか!」
「違います。戦争とは〝相手に己の意思を押し付けるための手段〟です。恐らくマルクシアは、最終的にラトムランドの属国化を目論んでいる。今はその意思を頓挫させ、最善の範囲で国益を守るべきでしょう。もしも、こちらが〝領土を一切譲らない〟という目標を掲げてしまえば、戦争の落とし所は不明瞭になる。結果的に、全面敗北に至るまで負けを引きずる可能性だってある」
「それは負け犬の考え方だ! 後退する前提で勝てる戦などない! 窮地に立たされた我々に必要なものは一歩も引かぬ決意だ!」
「待つのじゃレイラ」
激昂するレイラをイリスが静止する。
「ツキヨよ。はっきり言って、余もそちの意見には賛同しかねる。じゃが、情けないことに、余はそちの意見に反論できんのじゃ。いや、この場にいる誰もが、そちの意見に反論できんじゃろう。たとえ声を挙げた者がいたとしても、その者の言葉は気休めにしか聞こえんはずじゃ。皆の者、どう思う」
イリスの呼びかけに応える者はいない。
「そうじゃろう。ここにいる者達は、余も含めて絶対的な劣勢という今の状況に向き合っていない。一歩も引かぬ決意だけで勝てれば、総軍参謀局などという組織はいらんのじゃ。ツキヨはそのことを余に気付かせてくれた」
レイラは尚も食い下がる。
「ですが殿下、それでは国土を切り捨てることになりかねません。郷土や資産を失った民はどうなるのですか」
月代は言葉を続ける。
「戦争をするという決断を下した時点で、国土は荒れ人は死にます。それに、こちらが明渡してもいい領土を事前に決めておけば、住民の避難や移住も計画的にできます。避けるべき唯一の結果は、全面敗北によるラトムランドの崩壊……つまり属国化です。違いますか?」
「ツキヨの言う通りじゃ。民の命を守るだけであれば、マルクシアの配下に加わるという選択肢もある。じゃが、民はそれを望んでおらぬ。何故だかわかる者はおるか?」
先ほどまでざわめいていたオフィスは静まりかえる。
その中心に立つイリスは、大きく息を吸い、胸を張って言葉を続けた。
「民はな、このラトムランドという故郷を愛しておるのじゃ。今と変わらぬ平穏な暮らしを続けていたいと願っておるのじゃ。誰も戦争など望んではおらぬ。じゃが、迫りくる脅威を振り払わねば明日はないと覚悟した。だからこそ、ある者は震える手で銃を握り、ある者は体を痛めて壕を掘り、またある者は己の身を切って国債を買っておる。民はな、その身を我らに託したのじゃ。その我々が冷静でいられなくてどうする」
イリスの言葉はその場にいる軍人達の胸に重くのしかかる。そして現実の厳しさを再認識させた。
もはや状況を楽観視する者や現実逃避する者はいない。
そして、月代はこの空気を望んでいた。
基本的に戦争とは衝動的な現象だ。
国民の熱狂や指導者の意地が冷静さを損なわせ、結果的に誰もが無益だと理解している戦いが継続される。
最も重要な目標を見失わず、現状を受け入れる冷静さが無ければまともな戦争指導などすることはできない。
月代はそれを踏まえた上で発言を再開する。
「劣勢下の戦争において最も重要なのは己の弱さを自覚することです。だけど、俺も易々と領土を明渡す気はありません。これから最小限の被害で戦争を切りぬける具体的な方法を考えていきましょう」
その言葉に反論できる者は誰もいなかった。