48 対話
48 対話
イリスと月代は、揃って月代の私室に足を踏み入れる。
室内に椅子はひとつしかなかったため、その席をイリスに譲った月代はベッドに腰を下ろした。
手狭な室内で二人きりになった月代とイリスは、何を話すでもなくしばらく沈黙を共有する。
そして、最初に口を開いたのはイリスだった。
「その、余の方から話しがしたいと言っておいて何じゃが、正直何から話していいのかわからんのじゃ。変なことを言ってすまん」
その気持ちは、月代も同じだった。
昼間の会議で意見を対立させた二人ではあるが、仲違をしたわけではない。
つかず離れずといった状態にある月代とイリスは、互いに分かりあいたいという気持ちを察している。
そんな状況を自覚した月代は、なんだかおかしくなって笑いをこぼす。
対するイリスは、月代の笑いの意味が理解できず狼狽した。
「ど、どうしたのじゃ急に」
「いや、俺も同じだと思ったんだよ。イリスとしっかり話し合いたいと思ってるけど、何を話していいかわからないんだ。こんなの初めてで、何だかおかしくなっちゃって」
その言葉を聞いたイリスは、月代につられてクスクスと笑いを漏らす。
「なんじゃ、ツキヨもか。不思議なものじゃのう。つまるところ、余とツキヨは、互いに分かりあえないことを、分かりあっているのじゃな。それでは、言葉にできんわけじゃ」
「分かりあえないけど、分かりあってる、か。そうかもしれないね……」
イリスの告げた言葉は、人間関係の本質であると月代は思った。
育ってきた環境も性格も異なる人と人は、根本的なところで価値観や考え方を合致させることができない。だからこそ、時に対立し、争いが生まれる。
それは、国と国の関係においても同じことが言える。
人間は本質的に〝幸せ〟を望んでいる。それはスケールの大きくなった国という共同体で見ても同じだ。
しかし、その〝幸せ〟を目指すためのアプローチがそれぞれ異なるからこそ、時に戦争という選択肢が出てきてしまうのだ。それはあまりに悲劇的な事実だ。
だからこそ、人と人は互いが異なる存在であることを理解し、そして互いを認める必要がある。
イリスと月代は、そう言った意味で、今この瞬間に互いが異なる考えを持つ者同士であることを認め合っていた。
たとえ二人が、共にラトムランドの平和を願っていたとしても、そこに至る考え方が違うのは当然だ。
だからこそ月代は、今思う正直な気持ちを告げる。
「レタリアとの同盟は、確かにイリスにとって受け入れ難い決断だったかもしれない。だけど、俺は俺なりにラトムランドのことを考えて、この同盟が正しいと思った。イリスにこの考えを理解してもらおうとは思わない。だけど、俺のラトムランドに対する想いだけは信じて欲しい」
その言葉に、イリスは小さく頷く。
「言わずとも分かっておる。しかし、余は皇女として侵略という行為が正しいと認めることはできん。たとえ、将来どんな結末になろうと、今回の決断が全面的に正しいことであったと、余は思うことができんじゃろう。余は、仕方なく決断を下したなどと言い訳するつもりは毛頭ない。決断を下した以上は、その選択を一生悔い続けるじゃろうな」
「うん、ごめん。イリス」
イリスにその決断を迫った自覚のある月代は頭を下げる。
対するイリスは、静かな口調で月代に言葉をかける。
「頭を上げよ。ツキヨも余と同じ悩みを持っているのであれば、余に謝るのは筋違いじゃ。ツキヨは己の選んだ道を信ずればそれで良い。今は、共に先のことを考えよう。後悔するのは、その後でもよい」
そう告げたイリスは、椅子から立ち上がり月代の隣に腰を下ろす。
そして、頭を下げる月代の手を優しく握った。
「心配せずとも、余は月代のことを信じておる。たとえ考えは違えど、余はツキヨという一人の男を信頼していることに変わりはない。だから、ツキヨが謝る必要などないのじゃ」
そう告げられた月代は、ゆっくりと顔を上げてイリスと目を合わせる。
その優しげな微笑みはどこまでも慈悲深く、透き通る大きな瞳は吸いこまれそうになるほどの深みを持っていた。
月代はそんなイリスに見惚れ、言葉を失う。
手から伝わる温もりは月代の心を優しく温めた。
――余は月代のことを信じておる。
それは、月代にとって心の底から嬉しいと思える言葉だった。
今までにも似たような言葉をかけられたことはある。
だが、互いに意見を対立させても尚、自分を信じてくれると告げたイリスに月代は心を打たれた。
そして月代は、不意に涙を流しそうになる。
それが何を意味する涙なのか、月代自身にもわからなかった。
男として情けない泣き顔を見られたくなかった月代は、顔を伏せてイリスに告げる。
「そろそろ寝なきゃ。明日もやることはたくさんあるよ」
イリスは、言葉尻で月代が静かに鼻をすすったのを聞き逃さなかった。
だからこそ、イリスは月代の言葉に応じてこの場を去ることにした。
それはイリスなりの気遣いだ。
「そうじゃな。十分な休息も仕事の一部じゃ。今日は、余の話を聞いてくれてありがとう。おやすみツキヨ」
そう言い終えたイリスは、なるべく月代の姿を見ないよう、背を向けて部屋を後にする。
そして、一人になった月代は大きく鼻をすすり苦笑した。
「なんだ、泣いてるのバレちゃったかな」
イリスに気を遣われたことを察した月代は、今のイリスが以前と比べて身も心も大きく成長していることを改めて実感した。
それは、天真爛漫だった頃のイリスを知る月代にとって、少し寂しく思える気もした。
だが、そんな感情を差し引いても、慈愛に満ちどこか落ち着いた今のイリスは以前にも増して魅力的になったと思えた。
一人になった月代は、無意識に己の身を縛りつける腕輪に触れる。
そして、己の心が張り裂けそうになるほど締め付けられていることに気付いた。




