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38 失踪

38 失踪


 その日、イリスは総軍参謀局で局長のレイラと会合していた。

 今は平時であるが、二人の詰めるオフィスの中はどこか真剣な空気に包まれている。


 そんな中で、レイラは声を大にしてイリスに迫っていた。


「殿下にもおわかりでしょう。内戦に突入したマルクシアは今や見る影もない。これは我が国にとって千載一遇のチャンスです」


 レイラの告げる通り、あの戦争が終結してから1年余りが経過した現在、隣国マルクシアは内戦に突入していた。

 事の発端は、他でもないマルクシア―ラトムランド戦争の講和だ。


 マルクシア国民は、賠償金を得られず小麦による経済支援を受けるという結果に納得しないあまりか、屈辱すら感じていた。

 そして、ラトムランド首都攻撃に参加した兵士達は戦後になって「講和さえしなければ俺達は敵の首都を落して勝っていた」と喧伝し始め、結果的にゴブロフの結んだ講和は弱腰な判断だったと非難され始めたのだ。

 

 マルクシア首都では講和に納得しない市民が暴徒化し、焦ったゴブロフは軍を動員してこれを強制的に鎮圧した。

 それが市民に同情する兵士の怒りを買い、結果的に平民出身の兵士による貴族排斥の動きが加速――帝国マルクシアはゴブロフ率いる貴族を中心とする帝国派と国民主権を主張する共和派に分裂し、内戦に突入した。


 その現状を鑑み、レイラは一つの選択肢をイリスに投げかけていたのだ。


「殿下、今ならマルクシアに奪われた国土を奪還することができます。我々には大義名分がある。軍を進駐させましょう」


 対するイリスは、どこか心ここにあらずといった様子で応じる。


「しかし、ようやく平和を勝ちとったというに、我が方から軍を進めるというのは……」


「失われた国土の回復は国民の悲願でもあります。国土を取り戻せば、己の故郷に帰れる者もいる。これは戦争ではありません。正当な平和的進駐です」


 マルクシアが内戦に突入した現在、組織的な戦争指導は不可能だ。

 だからこそ、レイラは漁夫の利的に講和で失った領土を奪い返せると睨んでいた。

 加えて、同じ考えを持つ人間は軍部にも多くいる。

 あとは国家元首であるイリスの決断を待つのみというのが現状だった。


 イリスは決断を迫られる。

 そして、苦心の末に結論を出した。


「……よかろう。ただし、極力戦闘は避けるよう進駐軍に指示するのが条件じゃ。無駄な殺生は、もうしとうない」


 イリスの決断に、総軍参謀局のオフィスは沸き上がる。


「今度は俺達の番だ!」


「暴漢を国から追い出せ!」


 彼らは強大なマルクシア相手に善戦したという自覚はあれど、結果的に国土を奪われたという屈辱を忘れてはいなかった。


 そして、雪辱の機会は与えられた。


「殿下の御英断に感謝いたします。必ずや、このレイラが失われた国土を取り戻してみせます」


「うむ。話は以上じゃな。余は宮廷に戻る」


 そう告げたイリスは、まるで興奮に沸くその空間から逃げ出すように、総軍参謀局を後にした。



 * * *



 宮廷の寝室に戻ったイリスは、着替えもせずベッドに横たわる。

 そして、キャビネットの上に置かれた一枚の写真に目を向けた。


 そこには、ジェラートを片手に満面の笑みで月代と言葉を交わすイリスの姿が映し出されていた。

 それは、月代との〝最後の思い出〟になった一枚だ。


「ツキヨ、どこにいってしまったのじゃ……なぜ、余を置き去りにしたのじゃ……」


 イリスは嗚咽を漏らして枕を濡らす。


 月代が突如として姿をくらましてから、既に1年が経過している。

 その失踪に際し、月代の部屋からは一枚の置き書きが見つかっていた。

 

――ごめんイリス。さよなら。


 その置き書きには、拙いラトムランド語でそう書かれていた。


 最初は何かの冗談だと思われたが、月代の行方はラトムランド軍の諜報網をもってしても掴むことができず、まるで神隠しにあったようだと様々な憶測が飛び交った。


 イリスは、何も言わずに姿をくらました月代のことを怨み、心配し、そして嘆いた。

 たった2カ月の付き合いだったが、元より親しい人間の少ないイリスにとって、月代はかけがえのない存在になっていた。


 その月代を失ったイリスは、何度も、何度も枕を濡らした。

 寂しさに震え、とめどなく涙を流し続けた。


「ツキヨ……余は、ダメな皇女じゃ。これからどうすればよいのか、わからんくなってしもうた。教えてくれツキヨ……」


 イリスは皇女としての己の立場に押し潰されそうになる。


 今までにも、皇女として振る舞うことに辛さを感じる瞬間はいくらでもあった。

 しかし、今のイリスが抱く感情は、かつてないほどに己の心を締め付け続けている。


 寂しい、寂しい、寂しい。


 その感情は、いくら涙を流しても消えることはなかった。

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