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37 対局

37 対局


 将棋は一時休戦となり、茜は腕を組んで押し黙る。


「なるほど、現実世界のトレース……にわかに信じがたい話ね」


「もしそれが事実だとすれば、僕らは本当の意味で戦争に加担していたことになる。どう思いますか?」


 茜は再びスマホに手を伸ばし、将棋を再開した。


「だとしても、私達は助言をしただけ。実際に戦争を望み、殺し合う道を選んだのは彼らよ。もし私達がいなかったとしても、結果は同じだったんじゃない?」


「それは、そうかもしれませんけど……」


 茜は鋭い攻めを続ける。対する月代も攻めに移行していたが、状況は芳しくなかった。


「もしかして、明日のβテストを辞退しようとか考えてる?」


「正直、迷ってます」


 月代の言葉に、茜は目を細める。

 そして、あくまで淡々とした口調のまま話を続けた。


「そう……もしあなたが辞退すれば、ラトムランドはおしまいね」


 そう告げた茜は、決め手とばかりに月代の陣地に駒を打ちこみ、〝必死〟をかける。必死とは、何をやっても次の手で相手の負けが確定する状態のことだ。

 対する月代は、この手番で相手を詰ますしかない。


 だが、そんな将棋の盤面より、月代は茜の言葉が気にかかった。


「ラトムランドがおしまいって、どういう意味ですか?」


「言葉通りよ。私は、たとえ一人でもマルクシア軍の一員としてA.W.Wの世界で戦争指導に加担する。そうすれば、ラトムランドは確実にマルクシアの属国になる。そうでしょ?」


 確かに、いささか自信過剰かもしれないが月代が現代から持ち込む軍事知識がなければ、茜に主導されたマルクシアをラトムランドが打ち破るのは難しくなる。

 そうすれば、イリスの身がどうなるか考えたくもない。


「待ってください。久米沢さんは本当に、A.W.Wの世界に俺達が介入することが正しいと思いますか?」


 対する茜は、手を組んで月代に真剣な眼差しを向けた。


「思うわ。なぜなら、私は既にマルクシアの一員だからよ。きっかけはどうあれ、私はあの国で責任を負った。だから彼らに助言した。あなたもそうだったんでしょ?」


 茜の言葉はもっともだ。

 月代は既に、ラトムランドの戦争指導、引いては国政に介入している。そういった意味で、茜と同じ責任を負ったのだ。


 月代は押し黙り、今や敗勢となった将棋の盤面を眺める。


「どうぞ。あなたの手番よ」


 茜は挑発するかのように月代に声をかける。

 対する月代は最後の抵抗とばかりに王手をかけ続けたが、結局茜の玉を捉えることができなかった。


「私の勝ちね。これで1勝1敗」


 将棋は一回しか指してない。

 月代は、茜の言う〝1敗〟の意味を考えた。


「マルクシア―ラトムランド戦争は、俺の勝ちだったって言いたいんですか?」


「ええ、完敗とは言わないけど、私はあなたの最後の一手にやられた。あの世界の人達も、実質的に劣勢を挽回したラトムランドの勝ちだと思ってるんじゃない?」


 確かに、月代の助言によってラトムランドは大国マルクシアの攻勢を凌ぎ切り、最低限の国益を確保できた。

 それは辛勝と言えなくもない。


 将棋の勝負がつくと、茜はスマホと伝票を持って席を立つ。


「あなたとの対局、楽しかったわ。またA.W.Wの世界で会いましょ。まあ、顔を合わせることはないかもしれないけど」


 そう告げた茜は後ろ髪を靡かせつつ、背中を見せる。

 そして、店の出口で振り返ると再び口を開いた。


「そうそう。私、将棋にも運要素ってあると思うのよね。だって、初対局の相手がどんな形を得意としてて、どんな戦法を使ってくるかはわからないでしょ? 私は乱戦が得意だったけど、定跡重視のあなたは乱戦が苦手だったみたいね。次の戦争じゃ、運でも勝ってみせるから」


 そう告げた茜は不敵な笑みを浮かべながら店を去る。


 これは実質的な宣戦布告なのだろうか。

 残された月代は、席を立つこともできずグラスの中に残った氷をただただ見つめ続けた。



 * * *



 佐藤の用意したホテルにチェックインした月代は、シングルベッドの上でこれまでの経験を反芻してみる。

 A.W.Wの中でおよそ2カ月間生活していたが、今思い出してみるとその記憶は曖昧になりつつある。まるで夢の中の出来事だったようだ。


 それでも、イリスと共に過ごした日々を忘れることはなかった。


 戦争準備から終戦まで、月代とイリスは殆ど同じ時間を過ごし、共にマルクシアを打ち破るための仕事に明け暮れた。

 その時々で見せるイリスの表情は、時には偉そうだが他人を思いやる広い心を持つ皇女となり、そして時には寂しがり屋で自分に自信の持てない普通の少女になった。

 だが、彼女は決して諦めず、挫けない強い芯を持っていた。


 対する月代はどうだ。

 「これはゲームだ」という気構えのお陰で多少は自信を持って己の役目に取り組むことはできたが、本当の意味で戦争指導を行うという気構えはなかった。

 戦争の最終局面で、その弱みは露わになった。


 そんな俺に、再びラトムランドの一員となる資格はあるのだろうか。


――きっかけはどうあれ、私はあの国で責任を負った。だから彼らに助言した。あなたもそうだったんでしょ?


 月代は、喫茶店で茜の語ったセリフを思い出す。

 責任――それは月代にとってあまりに重い言葉だ。


 俺にそんな責任が負いきれるのだろうか。

 月代は未だかつて他人の上に立ったことがない。学生時代に後輩はいたが、本当の意味で先輩として何かを成した経験など持ちあわせていなかった。


 責任なんて負いたくない。それが月代の本音だ。


――それじゃあ、ラトムランドはおしまいね。


 月代は再び茜の言葉を思い出す。

 茜は、たとえプレイヤーが一人になってもマルクシアに手助けをし、ラトムランドを属国にすると宣言した。

 どこまで本気かわからないが、彼女が月代に接触してきた理由は、どうやら宣戦布告することにあったらしい。

 よっぽど負けず嫌いな性格なのだろう。


 相手は大学で国際政治学を専攻する自衛官の娘だ。趣味の範疇を出ない月代の軍事知識で勝負するには分が悪い。

 

 なら、勝負を諦めてβテストを辞退しようか。

 そんなことを考えるたびに、月代はイリスのことを思い出す。


 A.W.Wで最後に過ごした一日――月代はしゃぐイリスと共にジェラートを食べ、笑い合い、かけがえのない一時を過ごした。

 

 ラトムランドがマルクシアの属国になれば、イリスはどうなってしまうだろうか。

 たとえラトムランドの破滅が、あの世界での歴史的必然だったとしても、月代はそれを受け入れられるだろうか。

 

 嫌だ。

 苦痛に歪み、嘆き悲しむイリスの顔なんて見たくない。

 

 ならば、やるべきことは一つじゃないか。

 決意を固めた月代は、その晩なかなか寝付けなかった。

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