表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/72

34 イリスの休日 ◆

34 イリスの休日


「ツキヨ、こっちじゃこっち!」


 イリスの声は、人でごった返す大通りでもよく通った。

 月代はイリスとはぐれないよう、人ごみをかき分けて足を進める。


「待ってよ! はぐれちゃうって!」


 ようやくイリスに追いついた月代は、置いて行かれないようになるべく肩を並べて歩く。


「おちおちなどしておれん。時間は有限なのじゃぞ」


 そう告げるイリスの容姿は、普段見慣れた姿とはかけ離れていた。

 普段は結っている髪を後ろにまわしてリボンでまとめ、正装を脱ぎ去り派手な薄青のワンピースを身に纏っている。


挿絵(By みてみん)


 変装というにはいささか派手すぎる気もしたが、堂々としていれば案外バレないものだなと月代は感心していた。

 

 すると、メイド装束のままでいる従者が二人に追いつく。


「殿下、あまり御騒ぎなさいませんように。殿下はあくまでラトムランド第32代皇女です。お立場がありますので、淑やかさを損ないませんよう……」


「まあまあ、今日くらい良いではないか。それに、ここにおるのは皇女イリスではなく、ごく一般的な市民イリスじゃ。はしゃいで何が悪い」

 

 従者を引き連れて歩くその姿は、どう見ても一般市民には見えない。

 むしろ大富豪のお嬢様といった様相だ。

 実際のところ、かなり人目を引いている。

 心配になった月代はこっそりと従者に声をかけた。


「あの、本当に皇女様がこんなに堂々と出歩いて大丈夫なんですか」

 

「問題ありません。私服SPは配置済みです」


 あ、さっきから道を作ってくれてる強面のお兄さん達はやっぱりそうなんだ、と月代は一人で納得する。

 問題はそこではない気もしたが、とりあえず深く考えないことに決めた。


 そうこうしていると、先を行くイリスはとある出店の前で立ち止まる。


「ここじゃここ! ここのジェラートが至高なのじゃ!」


 そう告げたイリスの指さす先には、これまた強面でガタイの良い大男が仕切るジェラート屋が店を構えている。

 イリスはその大男に物おじせず堂々と言い放つ。


「マスター! いつもの3つじゃ!」


「お、嬢ちゃん久しぶりに来たな! ちょっと待ってろよ」


 顔に似合わず愛想の良いその男は、手早く円錐形のウエハースにジェラートを盛り付け、てっぺんにブドウを一粒添える。


「お待ちどさん! しかし嬢ちゃん、いつ見ても皇女様にそっくりだなぁ! 喋り方まで真似するなんざ芸が細かいぜ! イリス役で舞台に立ちゃ人気女優になれるぞ! ナハハハ!」


「良くいわれるのじゃ! ナハハハ!」


 まさかと思った月代は従者に話しかける。


「あの人、もしかして皇室の人じゃないですよね?」


「彼は正真正銘の一般市民です。よく殿下とお会いするので念のため裏を洗わせてますが、反政府的な組織との繋がりや危険思想は持ちあわせておりません。ご安心を」


 ああ、それなら心配いらないな。

 と、感覚の麻痺した月代は突っ込むことを諦め思考を停止させる。


「ほれツキヨ!」


 状況に頭が追いついていない月代の前に、小奇麗なジェラートが差し出される。

 それを受け取った月代はイリスの満面の笑みにあてられ、顔をほころばせた。


 ジェラートを片手に持つ3人は町の中心部である大広場に向かい、手近なベンチに腰を下ろす。

 ようやく落ち着けた月代は、改めてゆっくりと街の景色を眺めた。

 周囲は古風なレンガ作りの建物に囲まれ、広場はおおらかな雰囲気に包まれている。

 黙々と広鳩に餌をやる人、恋人との一時を楽しむ人、髭まみれの似顔絵描き、ジャグリングをする大道芸人など、様々な人で溢れ、彼らは各々の時間を過ごしている。

 月代の住む日本ではあまり見られない光景だ。


「どうじゃツキヨ。良い街じゃろ」

 

 ジェラートを控えめに舐めるイリスは肩を寄せてそう告げる。


「うん。本当に良い街だね」


「余はこの街が、この国が大好きじゃ。皇女だからそう思うのではない。一人の人として、この場所で生を受けたことを心底誇りに思う」


 それは間違いなくイリスの本音だろう。でなければ、幼くして一国家を統べる皇女としてここまで懸命に働くことなどできない。

 月代は、そんなふうに誇れる居場所を持つイリスのことが羨ましくなった。


「俺もこの国は好きだよ。ずっと住んでいたいと思う」


 イリスは、その言葉の裏に隠された意味に気付くことなく、素直に応じる。


「そうじゃろそうじゃろ。そして月代は、この国を救った英雄じゃ! 余は、ツキヨがおればどんな国難も乗り越えられる気がしておる! いずれ月代には国家の中枢を担う立場になってもらいたいと考えおる」


 その言葉に、月代は胸が痛くなる。

 イリスの願いは叶えられない。なぜなら、月代は今日でこの国を去るからだ。


「俺はただの軍事顧問だ。この国を担うにはもっとふさわしい人がたくさんいるよ。それに、俺なんかがいなくてもイリスはもう立派な指導者だ」


 イリスは駄々をこねる子供のようにぷくりと頬を膨らませる。


「いいや、ツキヨこそ我がラトムランドの要になるべき存在じゃ! そうじゃのう……ならばいっそのこと、ツキヨが余の王婿おうせいになればよい! さすればツキヨはこの国のナンバーツーじゃ!」


「おうせい? そういう地位があるの?」


 月代は「王婿」という言葉を知らなかった。

 書いて字のごとく、王婿とは女王の婿のことだ。平たく言えば逆プロポーズされたことになる。


 しかし、そんな大胆な告白は従者の割り込みによってうやむやにされた。


「殿下、あまりツキヨ様をからかわれてはいけません。いくら冗談とは言え、皇女殿下が軽々しく殿方に王婿になれなどと言われては沽券に関わります」

 

 そう告げられたイリスは、己の告白が単なる勢いから出た冗談だったのか、それとも本気だったのか、自分自身でも分からなくなった。

 だからこそ、今は自分の気持ちをはぐらかすことにしておいた。


「そうじゃの。余としたことが、冗談が過ぎたようじゃ」


「イリスが冗談を言うなんて珍しいね」


 そんな言葉を皮切りに、二人は小さく笑い合う。


 すると、二人の目の前で「カシャリ」と小さな機会音が鳴った。

 驚いた二人が正面に目を向けると、従者が小型カメラで二人の姿を撮影していた。


「何をやっておる。こんな姿を写真に収めたところで、どこにも見せられぬではないか」


「いいえ、私は単なる一般市民イリス様とツキヨ様の楽しげな一時を撮影したに過ぎません。これは私の趣味の範疇です」


 そう告げる従者は、まるで子を愛でる母親のような優しげな笑みを浮かべる。


「そうか、一般市民を撮影しただけか。ならば良い。しかし、どこかに国家機密が映っているとも限らぬ。その写真は、余が責任を持ってあずかろう」


 イリスがそう告げると、三人は申し合わせたように笑い合う。

 そして、楽しい一時は瞬く間に過ぎていった。

 

 この日月代は、イリスに別れを告げることができなかった。


 第一章 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ