33 最終日
33 最終日
マルクシアとラトムランドの間に講和が結ばれてから2日が経過した晩。月代はイリスにあてがわれた宮廷の個室で久しぶりに機械の電子音を聞いた。
ベッドの上で独りぼんやりとしていた月代は驚いて左手の腕輪に目を向ける。
それが何を意味するか、考えるまでもない。
月代は、そろそろこの時がくるのではないかと薄々感じていた。
電子音が止むと、すぐさま懐かしい声が腕輪から聞こえてくる。
『やあ東雲くん。そっちでは2カ月ぶりくらいになるかな』
それは、A.W.W開発者の一人である佐藤の声だ。
「佐藤さん。久しぶりですね」
『どうだったかなA.W.Wの世界は。君の活躍は見させてもらったよ』
月代は、佐藤が連絡をとってきた理由を察している。
「楽しかったですよ。もう現実世界に戻りたくなくなるくらいに」
『それは光栄だ。だけど、君はあくまでこっちの世界の住人だ。本当に帰りたくないなんて言われると困っちゃうな。ゲームはここで一旦終わりだ』
ラトムランドとマルクシアの戦争は終わった。
つまり、戦略シミュレーションA.W.Wというゲームは現時点で既に終了しているのだ。
この日が来ることを月代は覚悟していたが、佐藤の言うことは正論だ。
この世界がゲームであるならば、いくら充実した時を過ごしていたとしても現世を捨ててこちらの世界で一生を終えることはできない。
月代はそのことを重々承知している。
だが、最後にひとつ我儘を言ってみることにした。
「佐藤さん。ゲームを終える前に、もう1日だけ時間をくれませんか?」
* * *
月代はその翌日、ラトムランドの宮廷内を意味もなく歩き回っていた。
結果的に月代の我儘は通った。
しかし、あと一日だけこの世界にいる猶予を貰ってはみたものの、月代は何かやり残したことがあるわけでもなかった。
戦争は既に終わっている。皇室付の軍事顧問である月代に仕事はない。
正確に言えば、イリスを始めラトムランドの高官や軍人は戦後処理に追われている。
だが、月代はあくまで軍事顧問なので戦後処理の役目から離れていた。
今さら総軍参謀局に顔を出す理由も無い。
そんなわけで適当に宮廷内の廊下を進んでいると、女の従者を連れたイリスの姿が目に留まる。
イリスもすぐさま月代の存在に気付いた。
「おおツキヨ。こんなところで何をやっておる」
「いやそれが、何もやってないんだ」
月代は正直に手持無沙汰であることを告げる。
対するイリスは呆れたように応えた。
「何じゃ。働かざるものなんとやらじゃぞ。レイラやティナの所に顔を見せに行ってくればどうじゃ。月代の知識を頼りにしている者は多いぞ」
もし月代がこの世界で生きることになっていたのならば、素直にそうしていただろう。
だが、今さら軍部で仕事をしても意味はない。
そんな事情を話すわけにもいかないので、月代は適当に返事をする。
「まあなんというか、ちょっと休んでいたい気分でね」
イリスはぽんと手を叩く。
「そうか、休暇か。確かに、そちはこれまで余のために殆ど休まず働いておったな。せっかく平和になったことじゃし、こんな時に少し休むのも悪くはなかろうて」
「そういうイリスもずっと働きづめじゃないか」
月代とイリスは戦争準備を始めてから終戦の日まで、多くの時間を共に過ごし、休む暇なく政治と軍事に明け暮れてきた。
不思議と月代はあまり肉体的疲労を感じていなかったが、幼いイリスにとっては大きな負担だったに違いない。
それを思い出した月代はイリスの身を案じる。
「イリスの方こそ、ちょっとは休んだほうがいいんじゃない? いくら皇女とは言え、休暇くらい取らないと体がもたないよ」
そんな心配をものともせずイリスは堂々と応える。
「いや、余は皇女としての責務がある。休む暇などないのじゃ」
すると、隣に佇む従者が不意に声を出した。
「いいえ、殿下の御身はラトムランドの至宝です。時には休むことも仕事の内だということを御心得ください」
メイドのような格好をした従者は真顔のまま淡々と告げる。
イリスは彼女の言葉にいささか不満げな顔を見せた。
「しかし、余は戦災復興という大義を進めねばならぬ。そんな余がのうのうと休むわけには……」
しかし、従者はイリスの態度をものともせずたたみかけた。
「いいえお休みください。今すぐお休みください。そうしましょう。今日は全てのご予定を取り消して休暇とさせていただきます。御心配には及ばず、まつりごとは全て配下の者に進めさせますので」
「な、なんじゃそちまで……」
イリスは従者の強引な物言いに一歩後ずさる。
だが、少し考えた末にイリスは考えを改めた。
「まあ、そちの言い分にも一理ある。休息も仕事のうちじゃ。しかし、部屋でじっとしているのは性に合わんのう……」
そう告げて黙り込んだイリスは「むむむ」と頭を捻る。
そして、何かを思いつたかのように「おお!」と声を上げた。
「よし、ならば街に繰り出そう!」
その言葉に、従者と月代は言葉を失い目を丸くした。




