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32 平和

32 平和


 講和が結ばれた翌日、ラトムランドでは皇女イリスによる終戦宣言のラジオ放送が行われた。


 ラトムランド時間正午――国内全ての放送局は事前に録音されたレコードを一斉に再生する。

 そして、首都では緊急放送用のスピーカーから放たれるイリスの声が街全体を覆った。


『親愛なるラトムランドの民よ。此度、余はマルクシアとの講和を受諾し、無為な戦いを終わらせる決断を下した。まずもって、余はこの戦いで命を落した者、愛する隣人を失った者、故郷を失った者、資産を失った者、それら大いなる不幸に見舞われた民に深く陳謝する。全ては、余の決断によってもたらされた結果である。だが、我々は勇敢なる民の一致団結によって、この苦難を乗り切ることができた。余は、民の強靭なる意思と不屈の忍耐を心より称える。この平和は、ラトムランドの民が勝ちとったものである。しかし、我々は復興への道のりが険しいことを覚悟しなければならない。この戦いで命を落した者への弔いは、我がラトムランドの永遠なる安寧を持って捧げることができると余は考える。誇るべき我がラトムランドのために、今一度、余に力を貸してほしい。共に良き国の隣人として永遠なる繁栄を目指そう』


 ラトムランド国民の多くは、この放送により終戦を知ることとなる。


 続いて領土割譲を含む講和内容を告げる放送がなされたが、多くの国民はこれを仕方のないものと受け入れ、目立った反発はなかった。

 彼らはマルクシアの脅威があまりに強大だったこと、そして劣勢だったラトムランドが勇敢に戦い国を守り抜いたという事実をよく理解していた。

 それは、平和を望む彼らにとっての勝利に他ならない。


 国民は皇女イリスを信頼した。そして、ラトムランドに今までと変わらぬ平和の訪れたことで、イリスへの信頼が正しかったことが証明された。

 それ自体が、マルクシアの不当な要求を受け入れるに足る十分な理由だった。



 * * *



 その日、一カ月ぶりに宮廷へと戻ったイリスと月代は安息の一時を満喫していた。

 執務室の中で、長椅子に腰を下ろした二人はぐったりと背をもたれて佇む。

 その場に他の人影はない。


 晴天の空の下、窓の外で小鳥がさえずる。

 まさに平和の一時だった。


「ようやく終わったのう」


「終わったね」

 

 そんな会話を交わした二人は、再び押し黙り天井を見上げる。

 

 終戦に際し、ラトムランドではあまり派手な催し事を行わなかった。

 結果的にラトムランドはマルクシアに対し領土の割譲と経済支援を約束しており、それ自体は喜ぶべきものではないからだ。

 作戦総司令部内でも講和に際して互いの奮闘を称え合い、平和の訪れを喜びはしたが、万歳三唱で騒ぎ立てるような空気ではなかった。


 そして、この結果に一番複雑な思いを寄せているのは他でもない月代だ。

 イリスは、そんな月代の心境を察し、静かに声をかける。


「ツキヨ。あまり元気がないようじゃの。この平和はツキヨが勝ちとったものじゃ。誇ってよいのじゃぞ」


「……」


 果たしてそうなのだろうか。

 確かに、今回結ばれた講和条件は月代が開戦当初掲げた目標に相当する結果だ。

 無為な戦いの継続を避け、マルクシアの侵攻意思を挫き、最低限の条件で講和を結んだ。それは事実だ。

 だが、初戦こそ優勢だった戦いは最終局面で一気に窮地となり、結果的にマルクシアに譲歩してしまった。


 もっと上手くやれたのではないか。敵の最終攻勢を挫き大勝利する方法があったのではないか。

 月代は終戦前からそんなことばかり考えていた。


 そしてイリスは、そんな月代の心境を十分すぎるほど理解している。

 なぜなら、この戦争の帰趨を月代に託したのは他でもないイリスだったからだ。

 国家元首イリスは、戦争指導の才覚を持つ軍事顧問月代の存在に甘えた。信頼を寄せるということは、逆に言えば責任を押し付けたことにもなる。

 だからこそ、イリスは月代に少なからず責任を感じていた。


 平和が訪れた今、イリスは月代に対して今までの恩を返すためにできそうなことを考える。

 単純に、褒美や地位を与えることはできる。

 だがそれは、皇女という立場から従者を取り立てるという行為にすぎない。

 自分の立場を考えれば当たり前の報いではあるが、イリスの月代に対する想いはそんな即物的な形で表現できるものではない気がした。


 一人頭を悩ませるイリスはようやく心を決め、ぐったりと消沈する月代に声をかける。


「ツキヨ。ちょっとこっちへ来てくれぬか」


 ぼんやりしていた月代は「ん」と一言声に出し、何も考えずに重い腰を上げる。

 そして、イリスの下に近づき顔を向かい合わせた。

 イリスのくりくりとした大きな瞳は月代の表情を捉える。

 だが、その視線はすぐに伏せられた。


 どこか気まずそうにもじもじするイリスの態度を見た月代は首をかしげる。


「どうかしたの?」


「いや、別に……うむ、そうじゃな。やっぱり反対を向いてくれぬか」


 月代は言われた通りに向きを変えてイリスに背中を見せる。


 すると次の瞬間、月代の背中にやわらかな感触が伝わった。

 イリスの両腕が腰の前に現れ、そのままやさしく拘束される。


 少し間を開けて、月代はようやく自分が抱擁されていることに気付いた。


「ツキヨ……ありがとう」


 背中からイリスの優しげな声が届く。

 突然の出来事に驚いた月代は一気に気恥しくなり、上ずった声を上げる。


「ど、どうしたの急に」

 

「す、すまん。前からだと恥ずかしいからのう……その、余はツキヨに何かしてやれることはないか、色々考えたのじゃ。もちろん、皇女として何か褒美をとらすつもりではいる。じゃが、余は一人の人として、ツキヨに何もしてやれんことに気付いた」


 そう告げるイリスの言葉は、どこか物寂しげだった。


「だから余は、こうすることしか思いつかんかった。こうして、感謝の言葉を告げることしかできなんのじゃ。すまん。そして、ありがとうツキヨ……」


 そう言葉を終えたイリスは、小さく体を震わせる。

 そして、かすかな嗚咽が月代の耳に届いた。


 月代はイリスの涙の意味を考える。

 結局のところ、皇女イリスは一人の少女だ。

 どんな立場にあろうと、重責を負っていようと、それは変わらない。


 それを改めて感じた月代は、無理やり向きを変えイリスに向き直る。


「な、なんじゃツキヨ。顔を見られとうない……」


 月代は言われた通り、すすり泣く少女の顔を見ないように、優しく頭を撫でる。


「俺の方こそありがとう、イリス」


 自然と月代の口からそんな言葉がこぼれる。

 対するイリスは、月代の胸に顔をうずめたまま震えた声で文句を言う。


「どうしてそちが感謝するのじゃ……余は何もしておらんぞ」

 

 そうかもしれない。だが、イリスと共に過ごしたこの2カ月間は、月代にとってかけがえのないものになった。

 それがたとえ、ゲームの世界であったとしてもだ。

 月代はイリスと苦楽を共にし、そして一つの結末を迎えた。月代がそんな一時を過ごせたのは、他でもないイリスのお陰だ。


 月代はそんな感謝の気持ちを込めて、イリスの頭を優しく撫で続ける。

 対するイリスは月代の胸で涙を流し続ける。決して声は上げず、静かに、静かに瞳を濡らし続けた。

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