31 休戦
31 休戦
薄霧のかかる明朝、満身創痍の戦車から顔を出すベッカーは、ラトムランド軍の最終防衛線を睨んでいた。
「さて、ようやくこの時が来たか」
無数の戦車がエンジン音を響かせ、興奮する獣の群れ如く大地を揺らす。
マルクシア軍の第二次攻勢が開始されて以来、ベッカーの率いる戦車中隊は常に最前線を突き進んできた。
立ちはだかる敵兵をなぎ倒し、陣地を踏破し、燃料が尽きるまで前進を続けてきた。
そして今、遠く視線の先には整然と立ち並ぶ大都市が広がっている。
ラトムランドの首都は目と鼻の先だった。
しかし、興奮を見せるベッカーに対し、無線手はどこか暗い表情を見せている。
「少尉殿、本当にこれでいいんでしょうか……マルクシア本土は今、敵の侵攻を受けているんですよ。それなのに我々は前進ばかり。私の故郷は西部なんです。今ごろ家族がどうなっているか……」
その言葉に、ベッカーは檄を飛ばした。
「俺たちの任務は一刻も早くあの首都を辿りつくことなんだよ! 故郷が何だってんだ。今さら引き返したところで何もできゃしねぇだろ! お前はあの首都で凱旋したくねぇのか! 勝利は目前なんだ! 家族のことなんざ勝ってから考えろ!」
そう告げるベッカーの視線は、もはやラトムランド首都にしか向けられていない。
幾多の敗北を期し、ようやくここまできたという矜持がベッカーを突き動かす。
もはや、戦争の行方などどうでもよくなっていた。
「全軍に通達だ。俺達はこれより攻撃を再開する。目標はラトムランド首都だ! なんとしても首都に辿りつくぞ! 全軍前進! 前進!」
その言葉に呼応し、周囲の兵士はけたたましい咆哮を轟かせる。
士気は最高潮に達していた。
「突撃! 突撃! 突撃!」
戦車のエンジンが唸りを上げ、兵士は地を蹴って駆けだす。
だが、その興奮はただ一人の叫び声によってかき消されてしまった。
「攻撃中止! 攻撃中止! これは作戦司令部命令だ! 攻撃中止!」
そう叫んだのは、後方に控える一人の将校だった。
兵士達は何事かと思い、戸惑いつつ足を止める。
攻撃指示に水を差されたベッカーは仕方なく戦車を停止させ、将校に向かって悪態をついた。
「中止命令なんて出しやがったのはどこの馬鹿だ! 所属を言え! 理由を説明しろ!」
だが、将校はベッカーの罵声を無視し、続けて声を張り上げる。
「休戦だ! 休戦協定が結ばれた! 戦争は終わりだ!」
その言葉に、全ての兵士が立ちつくし茫然とする。
そして次の瞬間、堰を切ったように一転して大歓声が上がった。
「勝利だ! 我々の勝利だ! 家に帰れるぞ!」
「ラトムランドは降伏したんだ! マルクシア万歳! マルクシア万歳!」
ある兵士は銃を投げ捨て戦友に抱きつき、またある兵士は涙を流しその場にうずくまる。
彼らは苦難から開放された喜びに沸き半狂乱となり、辺りはお祭り騒ぎになった。
だが、その中心で戦車から顔を出しているベッカーは信じられないといった様子で目を点にしている。
そして、声を震わせて空に叫んだ。
「なんでだよ……なんでだよ! まだ首都に辿りついてないじゃねぇか! なんで今休戦なんだよ! まだ俺は勝ってないじゃねぇか! なんでだよ! なんでだよォ!」
その姿を見た戦車の乗員達は、ベッカーの心境を察して押し黙る。
だが、彼の行き過ぎた勝利への拘りに共感する者は誰ひとりいなかった。
「俺は今までこの日のために戦ってきたんだ! 最後くらい勝たせてくれよ! なんでだよォ! なんでだよォ!」
ただ一人休戦を嘆くその男の叫びは、無限に沸き上がる喜びの歓声にかき消されていった。
* * *
「ようやく休戦ですわね」
マルクシア領内の平原で進撃を続けていたティナは、マルクシア軍の守備隊と交戦中にその一報を知った。
ここでも兵士達は休戦の知らせに沸き上がり、敵味方関係なくその喜びを分かち合っている。
しかし、その様子はどこか噛み合っていない部分があった。
両国の兵士共々、「俺達の勝ちだ」と主張して喜んでいるのだ。
自分達は負けたとうなだれる者の姿は見えない。
しかし、苦難が終わったという喜びはそんな些細な矛盾をかき消してしまい、兵士達は戦争の結末などどうでもいいといった様子で国籍を超えて互いの奮闘を称え合っている。
その様子は平和そのものだった。
「なんだか、変な気分ですわねぇ。確かに、どっちの軍も敵国に攻め込んではいますが、実際のところどういった条件で講和したのやら……」
ティナの呟きに、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたセシリアが感極まった様子で応える。
「ぞんなごどどうでもいいじゃないでずがああああ! やっど平和になったんでずよおおおおおお! おどーぢゃん! おがーぢゃん! セシリアは、セシリアはやりまじだよおおおおお! 生ぎで帰れまじゅよおおおおおお!」
号泣するセシリアに若干引き気味のティナは苦笑を見せた。
「ま、こういうのもいいかもしれませんわね。さあ、みなさん。家に帰るまでが戦いですわよ。ほら、あなたも泣いてないで、帰る支度をしますわよ」
そう告げたティナは、セシリアの背中を優しく摩ってハンカチを差し出した。
* * *
その日、中立国の陸軍司令部で停戦協定の調印を終えていたロレンツとチェスティンカは、続いて講和条約の調印手続きを進めていた。
停戦協定はあくまで互いに戦闘を中止する宣言だ。戦争を終わらせるためには、講和条約を結び終戦宣言を行う必要がある。
チェスティンカから講和の調印書を受け取ったロレンツは、一応条文に目を通す。
講和条約の内容を要約すると以下の通りだ。
1.ラトムランドはマルクシアに対し国境から約50km程度を対象とする地域を割譲する。
2.割譲された地域はいかなる軍事活動も行わない非武装地帯とする。
3.ラトムランドはマルクシアに対し、戦災復興支援として小麦500万トンを10年分割で提供する。
この講和条約自体は、ラトムランドにとって屈辱的なものであることに変わりはない。
だが、圧倒的な兵力差をものともせず最低限の範囲で国益を確保した事実を示す苦肉の内容であるとも言えた。
条文を読み終えたロレンツは自身の名を署名し、押印を行う。
その瞬間、およそ1カ月に及んだマルクシア―ラトムランド戦争は終結となり、正式に両国の間に平和が訪れた。
「両国の平和を心より歓迎します」
「貴国の賢明な判断、感謝する」
そう告げたロレンツとチェスティンカは握手を交わし、互いに遺恨がないことを確認する。
だが、その腹の内では「いずれ領土を取り返してやる」というロレンツの決意と、「いずれ属国にしてやる」というチェスティンカの野心がぶつかりあっているようだった。




