30 駆け引き
30 駆け引き
マルクシア―ラトムランド戦争が開始されてからちょうど1カ月が経ったその日、停戦協議を進める大使からラトムランド軍作戦総司令部に一本の連絡が入った。
暗号から平文に直されたその連絡文章に目を通すイリスは複雑な表情を見せる。
「ふむ、やはりマルクシアはどうしても賠償金が欲しいようじゃな」
大使からイリス宛に出されたその連絡文書には、「賠償額を引き下げれば講和の可能性あり」と簡素に書かれている。
続けて文書に目を通したレイラは不満げに言い放つ。
「強情なやつらだ。賠償金の引き下げをちらつかせるということは、停戦を焦っているのだろう。しかし、こちらも相手を焦らせるだけの余裕はないか……」
レイラの言う通り、マルクシア軍の攻勢は首都の目前に迫っている。
大量の戦車を主力とするマルクシア軍が最後の防衛陣地を突破するのは時間の問題だと考えられていた。
二人のやり取りを見守る月代は、外交交渉は専門外なため判断に困る。
「賠償額の引き下げか……でも、賠償金を1マルケンでも払ってしまえばこっちが戦争責任を負ったのと同義だ。とは言え、払うか払わないかで平行線を辿ると交渉がまとまらない。何か、金以外のもので差し出せるものはないかな」
イリスは頭を捻る。
「金以外のものか……マルクシアが欲しがるようなもの言えば、たとえば食料とかかのう」
その提案をレイラが思案する。
「金ではなく、例えば一定量の小麦を無償で供給するという提案は案外現実的かもしれません。まあ、農家に無償で拠出させるわけにはいきませんので、国が買い上げてマルクシアに提供するという形になるでしょうが」
それは実質的に賠償金を支払っているのと同義だが、金を渡すのと物を渡すのでは意味合いが違ってくる。
月代はその点を踏まえて言葉を足す。
「戦争で困窮したマルクシアに対する経済支援だと言い張れば、国民に多少は言い訳ができそうですね。ついでにマルクシア国民からの印象も良くなる」
その言葉に、イリスは前向きな姿勢を示した。
「うむ。ではその線で大使に交渉するよう伝えてみるかのう」
* * *
停戦交渉2日目、全権大使のロレンツとチェスティンカは再び同じ部屋でテーブルを挟む。
そして、この日最初に交渉カードを切ったのはラトムランド全権大使のロレンツだった。
「本国との調整の結果、今日は一つ提案をお持ちしました」
マルクシア全権大使のチェスティンカは相変わらず大柄な態度で応じる。
「是非聞かせていただきたい」
「賠償の件ですが、やはり我が国としては戦争責任を負う義務はないと認識しています。しかしながら、貴国が戦災による困窮を問題視されているということであれば、講和の条件として我が国から経済支援を行う用意があります」
なんだ、ただの言葉遊びか、とチェスティンカは口を歪める。
どんな形にせよ金が貰えると確信したチェスティンカは愛想よく返事をした。
「それはありがたい。して、どの程度いただけるのかな」
「食料支援として小麦500万トンを10年分割で供給させていただきたい」
その言葉に、チェスティンカは目を丸くした。
まさか賠償に食料を持ちだすとは思いもよらなかったからだ。
「小麦、か……金額的に見れば当初提示した額の10分の1程度と思われるが、逆にその金額を支援金という形で貰うことはできないかね」
「その支援金がマルクシア国民へ分配される確証が持てません。イリス殿下は、あくまで戦災に遭ったマルクシア国民を救済されたいとの思いでこの提案を提示したのです」
女狐め、とチェスティンカは心の中でイリスを罵る。
しかし、金ではないにせよ支援が受けられるとあれば判断に迷うところだった。
「……私も本国に貴国の提案を持ち帰っていいかな」
「結構です」
こうして、再び交渉は持ちこされることになった。
* * *
大使からの連絡を受けたゴブロフは、いよいよ決断を迫られていた。
「ラトムランドめ、小賢しい交渉をしおって……前線の状況はどうだ」
その場に居合わせる将校はゴブロフの問いに応じる。
「は、ライール閣下率いる主力はラトムランド首都まであと数キロの位置に迫っていますが、当初の予定通り最終防衛線突破まであと数日はかかるとのことです」
「あの言葉に二言はないようだな。しかし小麦、小麦500万トンか……」
そう呟いたゴブロフはパイプを何度も吹かし、部屋の中を歩き回る。
そして、将校にマルクシア国内の様子を問うた。
「ラトムランド軍の侵攻を受けている西部の様子はどうだ」
「それが、士気の低い一部守備隊は率先して投降しているようです。中にはラトムランドへの亡命を希望している者もいると聞き及んでいます。しかし、防衛線自体が総崩れになったわけではなく、戦線は膠着しつつあるとの報告です」
ゴブロフはわなわなと手を振わせる。
「投降に亡命……情けない限りだ。戦線は膠着していると言うが、いつ反旗を翻す部隊が出てもおかしくはない。まさか、連中はそれを狙って……」
そこまで告げたゴブロフはパイプを机に置き、不意に笑い声を上げた。
「ああ、してやられた。本当にしてやられたよ皇女イリス! 私は幼き皇女を侮っていた。なんたる屈辱! 私は完膚無きまでの勝利と賠償を望んだ。だが奴らの言い分はなんだ。敵対国の皇女が我がマルクシアにパンをよこすだと? 昨日まで殺し合っていた相手に施しを与えるだと? まるで女神ではないか! 私はマルクシアの民に何と説明してそれを受け入れればいい。イリスを罵ればいいのか? それとも褒め称えればいいのか? イリスは我が民の尊敬まで奪うというのか!」
半狂乱のゴブロフを前に、将校は後ずさりたい気持ちを抑え直立不動を維持する。
そして、彼の答えを問うた。
「閣下、いかがしましょう」
その言葉に、ゴブロフはうなだれたように応える。
「……これより、臨時国防議会を招集する。その場にて、私の意思を話そう」




