29 召喚
29 召喚
マルクシアの第二次攻勢が開始されてから10日目。対ラトムランド戦争作戦指揮官であるライール大将は、前線の作戦司令部から離れ、首都に舞い戻っていた。
その目的は、他でもないゴブロフに会うためだ。
その会合はライール自身が望んだものではなく、ゴブロフの要請によるものだった。
司令部を離れる時間を惜しむライールは早足で宮廷の廊下を進む。
そして、ゴブロフの鎮座する執務室の前で服装を整え、無理やり笑顔を作って扉を開け放った。
「いやいや、お呼びでしょうか閣下」
ゴブロフは、珍しくパイプを咥えず堂々と椅子に座っている。
細められたその目は、なんとも形容しがたい威圧感を帯びていた。
「ライール将軍。君は、私に呼び出された理由がわからない、とでも言いたそうだね」
その挑発じみた物言いに、ライールは臆せず飄々とした態度を演じる。
「はて、確かに国境沿いで少々もめごとが起きているようですが、我が軍の進撃は順調です。ご心配なさらずとも、閣下の望む講和は目前ですよ」
ゴブロフはおもむろに灰皿を掴むと、ライールに向けて投げつける。
そして初老とは思えない力強さで机を叩き、激昂した。
「ふざけるのも大概にしろライール将軍! 貴様は、貴様は、我が神聖な国土に敵の侵入を許したのだぞ! これが何を意味するかわかっているのか! 今や民は私に失望の目を向けている! 進撃は順調だと? それが何だと言うのだ!」
灰皿が額に当たり、血を流したライールはハンカチを取り出す。
そして顔を拭うと、その表情は笑顔から一転して真顔になっていた。
「閣下。敵の侵入を許したのは、確かに私の落ち度です。それは認めますし、責任を取る用意もあります。しかしながら、我が軍は今、渾身の力で敵首都へと迫っています。首都が脅かされれば、ラトムランドは必ずこちらの講和条件を飲みます。それに加え、敵の侵攻は下火になりつつある。今は忍耐が求められる時なのです」
「忍耐? 忍耐だと! ならば貴様が民に説いてみせろ! この戦いはもうすぐ勝利で終わると説いて周れ! さすれば、貴様は民に嘘つきだと罵られ石を投げられるだろう! のうのうと生きる愚鈍な民に忍耐力などない! それがわからんのか!」
ライールは尚も冷静に言葉を続ける。
「では、今すぐ賠償金を譲歩して講和いたしますか? ラトムランドは領土ならくれてやるという姿勢を一貫しています。しかし、それで民は納得しないでしょう。新たに得た領土を開拓するには時間がかかる。賠償金が無ければ民の生活は豊かにできない。たとえ今、嘘つき呼ばわりされたとしても、我々に必要なものは劇的な勝利と賠償金なのです。閣下にもそれがおわかりでしょう」
その言葉に、息を荒げたゴブロフはいささか落ち着きを取り戻して震える手でパイプを握る。
そして、葉に火を灯して大きく煙を吐いた。
「私は、貴官を後任に選んだことが間違いだったのか正しかったのか、もはや分からなくなったよ。して、その首都への攻撃が実現するまであとどのくらいかかるのかね」
「5日ほどお時間をいただきたく思います」
ゴブロフは目を細め天を仰ぐ。
「5日! ああ、5日! 私は今までの人生で5日間という月日がこれほどまでに長く感じたのは初めてだ。5日あればラトムランドの暴漢共はどれだけ我が国土を荒らして回るだろうか! どれだけの民が怒りと不安を溜め込むだろうか! 想像するだけで身の毛がよだつ!」
「ご辛抱ください閣下。必ずや、私は勝利を手にしてみせます」
そう告げたライールは深々と頭を下げる。
しばしの沈黙の後、デスクに腰を下ろしたゴブロフはぽつりと呟いた。
「貴官と話して決心がついたよ。私は、今これより中立国に派遣している全権大使をラトムランド全権と接触させる」
それは、停戦協議の場を設けるという意味に他ならない。
頭を下げるライールは「ここまでか」と心の中で呟き、顔を上げた。
「では、その交渉期間に5日間いただきたく思います。そしてもう一つ、今しばらく私に軍の指揮をお任せください。停戦後は煮るなり焼くなりして頂いて結構です」
ライールの言葉に、ゴブロフは苦笑で応じる。
「貴官はどうやら破滅願望があるらしいな。だが、それは叶わんな。貴官は、この対ラトムランド戦争の勝利に貢献した英雄なのだ。私個人としては、今すぐ八つ裂きにしてやりたいところだが、ラトムランドの首都を脅かしたという功績に免じて赦してやろう。さっさと指揮に戻りたまえ」
「閣下の寛大なお心遣いに感謝いたします」
そう告げるライールの表情は、いつもの型にはまった笑顔に戻っていた。
そして、ライールが退出しようとすると、その背中にゴブロフが声をかける。
「そうそう、貴官の前任だった元帥だがね。昨日、国家反逆の罪状で銃殺刑が執行されたよ。死ぬ間際、彼が言い放った最後の言葉は何だったと思うかね? ライール将軍」
立ち止まったライールは、満面の笑みで応えた。
「いやはや、私がその言葉を発したら不敬罪で捕まってしまいますな」
* * *
翌日、マルクシアとラトムランドと国境を接する中立国の軍事施設で、二人の男が顔を合わせた。
椅子とテーブルだけが用意された簡素な部屋で、二人の男は握手を交わす。
「ラトムランド全権大使のロレンツです。お会いできて光栄です」
「マルクシア全権大使のチェスティンカだ。良き会談にしよう」
その二人は、両国から停戦協議を行うために派遣された大使だ。
国家から大きな権限を委任された全権大使がテーブルを挟んだということは、両国に停戦の意思があるということを意味している。
握手を終えた二人は、立会人が見守る中、テーブルを挟み会談の用意を進める。
しかし、停戦交渉はあくまで交渉であり、戦争は今尚継続している。
両国の手痛い出血を考えれば、今すぐにでも休戦したいと考えている二人ではあるが、その行方は講和の妥協点が見つけ出されるか否かにかかっていた。
交渉開始早々、ロレンツはさっそく講和条件を告げる。
「まず、ラトムランドとしては白紙和平を望みます。これ以上、無駄な争いを続けたくはありません。互いに遺恨がないよう国境線を元に戻すというのはいかがでしょう」
チェスティンカは即座に拒絶を示す。
「貴国の主張は受け入れられない。我が国の要求する土地はマルクシア固有の領土であり、我々の要求には妥当性がある。それを基本とした上で交渉を行いたい」
詭弁にも等しい物言いだが、領土の妥協は想定内であるためロレンツは不本意ながら最初の要求を取り下げる。
「わかりました。貴国の主張を考慮しましょう。しかしながら、戦争責任について、我が国は負うところがありません。我が国は国際条約にのっとり、自衛行為を行ったものと認識しています」
チェスティンカはその先の言葉を察して目を細める。
「何が言いたいのだろうか」
「つまり、この戦争において賠償等が発生する理由ないと私は考えます」
話は賠償問題へと迫る。
チェスティンカは語尾を強めた。
「貴国は開戦に先立ち、我が軍の施設を不当に攻撃し、死者を出した。それが開戦のきっかけだとすれば、戦争責任は貴国にあると考える」
その事件は、開戦に先立ちマルクシアが一方的に通告してきたものだ。証拠も何もない。
ロレンツは失笑しそうになるのを堪えて話を続ける。
「そのような事実があったことを、我が国は認識しておりません。その潔白を証明するためなら国際査察団を受け入れても結構です。いかがでしょう」
捏造された事件が交渉材料にならないことはチェスティンカも承知している。
「わかった。この件は停戦後に調査するとしよう。しかしながら、貴国は自衛のために戦争を遂行したと言うが、現在マルクシアは貴国による侵略を受けている。その件はどうだろう」
ロレンツは痛いところを突かれたと思った。
「侵略行為を行っているのは貴国も同じかと思います。我が国は、攻撃される可能性を鑑みて能動的に自衛を行ったに過ぎず、停戦後は即座に貴国の領土から撤退する用意があります。我が国だけが一方的に侵略の責任を問われるのは容認できません」
交渉は平行線を辿りつつある。
痺れを切らしたチェスティンカは、妥協点を探り始めた。
「しかし、我が国は固有の領土における治安確保の目的で軍を進駐させたにすぎない。貴国の場合は大義名分がない……仮に、賠償の程度が問題だというのであれば、我が国は寛大な心を持ってその主張を考慮する用意があるのだが」
ロレンツはチェスティンカの高圧的な態度にはらわたが煮えくりかえる。
何が固有の領土だ。何が賠償だ。戦争ふっかけてきておいて、虫がよすぎるぞと叫びたかった。
だが、全権大使のロレンツはラトムランド本国から講和が可能なら多少の妥協は構わないという命を帯びている。
その立場を自覚し、いよいよ妥協点を探らざるを得なくなった。
「……申し訳ありません。賠償について、本国に確認したく思います。明日、改めて交渉に臨みたいのですが」
「結構」
チェスティンカの同意により、この日の停戦交渉は翌日に持ち越されることとなった。




