26 大戦略
26 大戦略
時は遡り、ティナが命令を受ける数分前。
作戦司令部内で、月代は自身の想像が確信に至ったこと全員に告げた。
「ティナさんの言う通り、敵の目的はこの首都だ。さっきの通信ではっきりした」
月代の言葉に、イリスは信じられない様子で聞き返す。
「しかしじゃ、敵の進出線からここまでは150km以上離れておる。いかに敵が快進撃を続けたとしても、息切れするのでないか?」
「敵が常識的な進軍――つまり陣地を制圧し、戦線を押し広げていく方法を取ればここに辿りつくのは不可能だ。だけど、敵が首都への攻撃のみを指向し、全てのリソースを前進することだけにつぎ込めば不可能な距離じゃない。敵がやろうとしているのは電撃戦だ」
電撃戦とは、自動車化された機動部隊を一点の目標に向けて進撃させ、戦略目標を迅速に達成しようという戦術のことだ。
電撃戦の生みの親とも言われる旧ドイツ軍人ハインツ・グデーリアンは、対フランス戦において装甲軍団を率い、わずか10日でルクセンブルクからドーバー海峡までの250kmを走破し、連合軍を分断するという目的を達成した。
マルクシア軍が作戦機動群と縦深攻撃を用い、旧ドイツ軍よりも効率的な電撃戦を実現しているとすれば、150kmという距離はさして高いハードルにならない。
月代言い分に対し、レイラが声を上げる。
「敵の目的がこの首都だというのなら、やるべきことは一つだろう。我が軍は全力を持って予備部隊を首都前面に展開し、同時に機動戦力を敵の尻に向けて逆包囲を行えば良い。結果は前回の攻勢と同じになる」
しかし、敵がそれほど浅はかではないことを月代は重々承知している。
「それを成功させるには、敵の進軍を停止させる必要がある。補給に依存しない敵は、たとえ包囲されても首都に向けて進軍を続けるでしょう。首都で火の手が上がれば、たとえ敵を包囲していたとしてもこちらは戦争継続の可否を考えざるを得なくなる」
月代は自身の主張を確認するかのように、イリスに目を向ける。
「確かに、この首都が戦場となればいかに士気旺盛な国民と言えど、戦争継続に疑問を抱き始めるじゃろう。余が命ずれば徹底抗戦を行うこともできるじゃろうが、どのみち首都の荒廃と賠償金の支払いを天秤にかけることになる」
マルクシアは、開戦から一貫して「賠償金さえ払えばいつでも停戦していい」という姿勢を見せている。
もしマルクシアの目的がラトムランドの征服であるなら徹底抗戦という選択肢も出てくるが、妥協点があるにも関わらず無為に戦争を継続し国内を荒廃させるのは愚策だ。
月代はこの戦争を始める前から、そう結論づけている。
それらの状況が整理できたところで、レイラは声を荒げる。
「ではどうしろと言うのだ! 貴様は今すぐマルクシアに賠償金を支払い講和すべきとでも言いたいのか!」
「……」
月代は沈黙で応える。
正直に言えば、それも妥当性があると月代は感じていた。
これが単なるゲームの場面であれば、月代は最後まで勝負を諦めず策を打ちつづけたであろう。
だが、月代はこの世界で2カ月あまりの時を過ごし、皇女イリスの統べるこのラトムランドに愛着を抱いた。
同時に、4000万の国民の行く末を左右するとういう、己の立場に責任を感じ始めていた。
月代は、この世界に来て初めて自信を失いかけた。
戦争指導という行為の重みに押し潰されそうになっていた。
いくら考えても敵の電撃戦を阻止する手立ては思いつかない。
諦めてしまおうか。
月代がそう思い始めた刹那、イリスが声あげた。
「ツキヨ。もし、そちが己の立場に責任を感じ、講和すべきか否か悩んでいるのだとしても、余はそれを責めたりはせん。元より、余やこの場にいる者たちはツキヨに頼りっぱなしだったのじゃ。ツキヨがいなければ、もっと酷い結果になっておったかもしれぬ。何、もし賠償金を支払うことになったとしても、余が民に頭を下げれば済むことじゃ。余の眷族であるツキヨが気に病むことはない」
そんなイリスの慰めは、月代の胸を締め付けた。
違う。俺は望んでこの戦争に介入したんだ。
単なるゲームとして、ラトムランド国民を、そしてイリスを抱き込んで軍や国を動かしたんだ。
その俺に責任がないわけないじゃないか。
月代は、今すぐ佐藤を呼び出して投了を宣言してもいいかとも思った。
そうすれば、物悲しげに月代を慰めようとするイリスの顔を見なくて済む。
だけど、それでいいのか。
イリスは俺を頼った。まだ幼い身でありながら国の将来を案じ、その身を捧げてマルクシアに立ち向かおうとするイリスは藁にも縋る思いで俺を頼った。
そんな俺が、ここで投げ出していいのか。
もはや、イリスの存在だけが月代の心の支えになる。
同時に、イリスにとっても月代の存在が心の支えになっているのかもしれない、と自意識過剰ながら思ってしまった月代は心の中で苦笑する。
――心の支え。
月代は、ふとその言葉に何かひっかかる物を感じる。
心の支えは、戦争指導においても重要な要素だ。
例えば、指導者の暗殺や重要都市の攻略は概ね戦略的な意味合いを持って実行されるが、同時に戦争に加担する兵士や国民の心の支えを喪失させるという精神的な効果も望める。
戦力のやりとりでなく、精神的な要素とも言える外圧によって戦争の進退を左右させる方法を軍事用語で〝インダイレクト・アプローチ〟という。
マルクシア軍の行おうとしている、首都への攻勢も〝インダイレクト・アプローチ〟に他ならない。
彼らは、ラトムランドの首都を脅かすことで戦術的な勝利ではなく、更に間接的――インダイレクトに働きかけ戦略的に講和という選択肢を引き出そうとしているのだ。
インダイレクト・アプローチ――月代は、その方法論に一筋の光明を見いだす。
ふと我に返った月代は、脈絡もなくレイラに問いかけた。
「レイラさん。こんな時に悪いんですけど、捕虜になったマルクシア兵はどの程度亡命を希望していますか?」
意表を突かれたレイラは、いぶかしむように応える。
「それは今必要な話なのか」
「当然です」
月代の真剣な表情を見たレイラは、記憶を頼りに答えを引き出す。
「報告によると、現在亡命を希望しているマルクシア兵は5000人程だ。ちなみに、この数字は偽装亡命を目論んでいそうな不審な者を抜いた数だ」
「捕虜が20万人近いとは言え、多いですね。兵士の2%以上が国を裏切ってもいいと考えているわけだ。それだけマルクシアの国情は不安定だと言える」
「それがどうしたと言うんだ」
事を急くレイラは月代の考えを引き出そうと問い詰める。
「いえ、この戦況の打開策を思いついたんですが、正直に言って少し賭けになると思ったんです。はっきり言って、今までのように首尾よく成功させられる確信がもてません。亡命希望者の数を聞いたのは、まあ判断材料みたいなものです」
その言葉を聞いたイリスは、不安げな表情から一転して輝くような笑みを見せる。
「そうじゃ! それでこそ余の認めた男じゃ! 賭けもなにも、この戦争を勝ち戦で終わらせようという目論み自体が、もとより賭けだったのじゃ。策が残っているのなら、臆せずやりとげようではないか!」
高揚するイリスに対し、いささか自信の持ちきれない月代は複雑な表情を見せる。
その様子を傍目から見ていたレイラは、どこか呆れたように呟いた。
「やれやれ、また我々は貴官頼みというわけか。まったく、私は自分が情けなくなる。それで、その策とやらを聞かせてもらおうか」
そう告げられた月代は、ゆっくりと語り出した。
「マルクシアは、こちらの首都を脅かすことで講和を引き出そうとしている……なら、こっちもマルクシアという国自体を脅かす方法を取ればいいんだ。俺は、今まで軍事的な戦略という領域に囚われていた……これからはもっと広い視野を持って、〝大戦略〟を遂行しよう」
そう告げる月代の顔は、自信を取り戻し始めていた。




