2 A.W.W
2 A.W.W
二日後の土曜日、月代は珍しく外出していた。
正確に言えば軽い旅行と言った方がいいかもしれない。
なぜなら、月代がいる場所は下宿先から100km離れた都心のど真ん中だから。
新幹線から山手線を乗り継ぎ、暑苦しい日差しと人ごみに辟易しつつ重い足を進める。
そして、月代はとあるビルの前で立ち止まった。
『リアル・アート・ゲームス株式会社』
ビルの正面玄関に掲げられたプレートにはそう書かれている。
目的地はここで間違いない。
スーツ姿のサラリーマンが行きかう道の真ん中で、田舎くさい私服でどこか浮いている月代は逃げ込むようにビルの中へと足を進めた。
「東雲月代という者ですが、A.W.Wのβテスト参加の件で……」
「東雲様ですね。伺っております。本日は遠路よりご来社頂き誠にありがとうございます。恐れ入りますが、左手に見えますエレベーターから5階に上がって頂き、案内表示に従って応接室へお進みください」
美人の受付嬢にそう告げられた月代は、緊張しながら小奇麗なエレベーターに乗り込む。
相乗りは誰もいない。
久しく一人になれた月代は、息を整えて額に流れる汗を拭いた。
今さらながら、まさかβテストの参加ごときでゲームの開発元である本社に呼び出されるとは思わなかった。
二日前に受け取ったメールの内容を要約すると以下のようになる。
『あなたは抽選に当たったので、βテストに参加したいなら都合のいい日に本社に来い。テスト期間は一週間。ちなみに宿泊費と交通費は出す』
遠出するのはおっくうだったし予備校のこともあるが、またとない機会だと思って月代はその誘いを承諾することにした。
が、その結果がこの緊張と疲労だ。
新作A.W.Wに対する期待感はあるが、こんな堅苦しい場所では伸び伸びとゲームを楽しむというわけにもいかないだろう。
エレベーターを降りた月代はいささか後悔を覚え始める。だが、今さら引き返すのもバカらしいので案内表示に従って歩みを進めた。
無人の廊下を進むと、〝A.W.W βテスト受付〟という紙の掲げられた扉が現れる。
月代は軽く深呼吸をし、覚悟を決めて扉を開け放った。
すると、手狭な室内にはスーツ姿の男が一人立っていた。
「ああ、どうも。ええと、東雲月代くん、だね。今日はわざわざ来てくれてありがとう」
さわやかな青年サラリーマンといった風体の男は、入口で佇む月代に歩み寄る。そして、型にはまった笑顔のまま名刺を差し出してきた。
『リアル・アート・ゲームス 企画開発 主任 佐藤須々木』
名刺にはそう書いてある。
「サトウ、ススキさん?」
「ええ、面白い名前でしょう。僕がススキ家に婿入りしたら名前がススキススキになっちゃうね」
どう返していいやら分からなかった月代は視線を外して室内を見渡す。
すると佐藤以外の人影は見当たらなかった。
「他の参加者はいないんですか?」
簡単な質問を投げかけたつもりだったが、佐藤は少し頭を捻る。
「うーん、なんて説明したらいいんだろう。いるにはいるんだけど、これからやってもらうゲームの性質上、そういった情報もあんまり伝えられないんだよね」
「やれば分かる、ってやつですか」
「ご明答。とにかく、君には一度A.W.Wをプレイしてもらいたい。君くらいのプレイヤーならすぐ楽しめると思うよ」
どうやら佐藤は月代のゲーム成績を知っているらしい。
お世辞だとわかっていても少し嬉しい褒め言葉だった。
照れる月代を前に、佐藤は軽く手を叩く。
「よし、さっそくだけどプレイルームに行こうか」
* * *
さしたる話もせず、佐藤は月代を引き連れて移動を始めた。
二人はエレベーターに乗り込み、地下一階へと向かう。
月代は何も知らないままでいるのも癪だったので、適当に質問を投げかけてみた。
「あの、A.W.WはR.W.Wと同じウォー・ゲームって話ですけど、舞台は第二次世界大戦なんですか?」
「正確に言うと違うかな。登場する兵器や科学のレベルは二次大戦相当だけど、架空の世界での戦争がモデルになってるんだよ。もちろん、魔法や超能力といったエッセンスはない」
「はあ、それだと戦史マニアや兵器マニアの食いつきが悪そうですね」
「なかなか痛いところを突くねぇ。確かに、A.W.Wの世界に零戦やシャーマンといった既存の兵器は出てこない。だけど、プレイヤーにはむしろそういった兵器や戦術なんかをガンガン創造してもらいたいんだ。いや、軍事に限らず政治や外交といった要素にも介入できる。そういう意味で、本作は架空の世界で展開される凄くマクロなウォー・ゲームだね」
「マクロ、ですか」
「そう。より高く、広い視点からプレイすることを想定している。もちろん、ゲームの世界で銃を手にとって戦うこともできるけど……その辺は調整中だ。だけど、戦略を考えたりする方が君好みなんじゃないかな?」
「まあ、そうですね」
そんな会話を続けていると、エレベーターは地下一階に到着する。
地下は窓がないためか息苦しく感じる。反面、LED電灯に照らされた廊下は眩しいくらいに明るかった。
佐藤は構わず歩みを進め、大きな扉の前で立ち止まる。
「ここがプレイルームだ」
佐藤が社員証らしいカードをかざすと、電子音と共に重い扉が開く。
すると、目の前に現れたのはカプセル状の物々しい台座だった。
無機質な室内に他の道具は一切見当たらない。
月代はまさかと思い、佐藤に話しかけた。
「もしかして、A.W.WってPCゲームじゃないんですか?」
「うん。全感覚投入型 VRGだ」
その事実はあまりに予想外だった。
昨今はVRゲームの普及も進んでいるが、まさかA.W.Wがその一種だとは思いもよらなかった。
正確に言えば『全感覚投入型』という前置きがついているが、似たようなものだろう。
マウスとキーボードで操作するゲームを想像していた月代は少し躊躇いを覚える。
そして同時に浮かんだ疑問を投げかけた。
「あの、こういう体感型ゲームって戦略シミュレーションよりシューティングとかの方が向いてるんじゃないんですか?」
「そこなんだけど……例えばだね、君はリアルな〝死〟を体感したいと思うかい?」
そのセリフを聞いて、佐藤の言いたいことはなんとなくわかった。
「ゲームがリアルになればなるほど、戦場で体感する恐怖もリアルに近づくってことですか」
「ご明答。バーチャルがリアルに近づけば、それだけ没入感も増す。だけど、シューティングのような過激なゲームはむしろプレイヤーにPTSDといったトラウマを植え付ける可能性がある。だから、今回のテストではより安全なシチュエーションを用意したんだ」
そんな可能性を危惧するほどA.W.Wの世界はリアルなのだろうか。
興味はあれど不安がないと言えば嘘になる。
そんな月代の複雑な表情を読みとった佐藤は、再び板笑顔を見せる。
「ああ、心配しなくても大丈夫だよ。僕らもテストはしてるからね。もちろん、気分が悪くなったらすぐに中断してもらう。バイタルチェックの体制も完璧だ。心配なら無理強いはしないけど、どうだろう?」
そうまで言われると逆に不安が高まる。
だが、月代は今さら引く気などなかった。
正直なところA.W.WがPCで気軽にできるゲームじゃなかったのは残念だが、まったく新しいタイプのゲームというのもそれはそれで興味をそそる。
膨れ上がった好奇心の前では、多少の不安など些細な問題にすぎなかった。
月代はさして悩むことなく答えを出す。
「わかりました。やってみます」
「助かるよ。それじゃあ準備をしてもらおうか」
月代がプレイを承諾すると、ゲームの準備はあっけなく済んだ。
要はカプセルの中で寝転ぶだけで、体に取りつけるものと言えば左手に巻かれた無機質な白い腕輪だけだった。
VRゲームでよくあるヘッド・マウント・ディスプレも装着しないらしい。
月代がカプセルの中に入ると、透明な蓋が降り内部が密室になった。
だが、不思議なことに外にいる佐藤の声が遮られることはなかった。
「このゲームは普通のVRとは違って全感覚を投入するから、原則としてプレイヤーと外部のコンタクトはその腕輪を通してやってもらう。まあ、やればわかるよ。とりあえず、その腕輪は大切な道具だから乱暴に扱わないよう注意してね」
佐藤の告げる説明は以上だ。
あくまでゲーム内容に関することは教えないつもりらしい。
ならば、後はやってみるまでだろう。
「じゃあ、軽く目を瞑って」
まるで手術前のような心地になった月代は、佐藤に言われた通りに目を瞑る。
すると、明瞭だった意識は一瞬にして消し飛んでしまった。