17 アカネ ◆
17 アカネ
開戦から10日が経過し、マルクシアの首都は日に日に拡張する戦果に沸き上がっていた。
国営ラジオからは対ラトムランド戦争での連戦連勝が伝えられ、降伏は間近だと喧伝し続けている。
数年前の大飢饉から続く困窮にあえぐ市民達も、この戦争が終われば再び豊かな暮らしが戻ってくると信じ続け、「もうちょっとの我慢」と禁欲生活に励んでいた。
その一方で、国家元首ゴブロフの鎮座している宮廷内では、どこか不穏な空気が流れ初めていた。
廊下を進む将軍達は皆焦りを隠せず歩調を速め、冷汗を流している。
ゴブロフの執務室には一人また一人と将軍が呼び出され、部屋から出てきた者の顔は一様に青ざめていた。
そして、最後に残されたのは対マルクシア戦争の作戦司令官、つまり最高責任者である陸軍元帥だった。
ゴブロフと歳の近しい彼は、幾多の戦争経験を重ねる歴戦の将軍に他ならない。
だが、ゴブロフの執務室に立たされた彼は、皺の刻まれた顔をいびつに歪め、高級軍人としての威厳が形無しとなっている。
「さて、長話も何だろうから率直に聞こうか。貴官は対ラトムランド戦争における今の戦況をどう見るかな。私に説明してくれたまえ」
執務室で椅子に佇みパイプを吹かすゴブロフは、あくまで物静かに語りかける。
対する元帥は、今にも倒れてしまいそうなほどに足を振わせていた。
「は……現在、北部方面軍では第1軍団が、南部方面軍では第6軍団が敵の包囲下にあり、それとは別に両方面で合わせて4個師団が各地で包囲されています。全戦域でただちに包囲環の打開に向け努力中でありまして……」
ゴブロフは「ふぅ」と白い煙を吐いて元帥の言葉を遮る。
「私は現状を報告せよと言ったわけではない。この戦争全体が、どういった状況にあるか、と聞いているのだ。言葉の意味がわかるかね将軍」
「は、申し訳ありません……その、我が軍は、敵の組織的な反撃により野戦軍の一部戦力を喪失しつつあり、全戦域で進撃を停止せざるを得ない状況にあります……誠に申し上げにくいのですが、当初の予定である短期決着は望めず、即座に後退を含めた戦線の立て直しを図る必要があります。大変不本意なこととは自覚しておりますが、今後は長期戦を視野に入れた作戦に転換する他ないと、不肖ながら考える次第でありまして……」
コンコン、とパイプの灰を落したゴブロフは大きなため息をつく。
元帥が語ったことは、もはやマルクシア軍内では常識となっている見解だ。
開戦から10日経った現在、マルクシア軍の想定していた全方面からの敵防衛線同時突破は成就せず、逆に進撃中の野戦軍将兵20万人以上が逆包囲され、一部は降伏しつつあるという散々な結果となった。
その事実は、開戦を決断したゴブロフ自身も嫌と言うほど認識している。
「ふむ、貴官と私の現状分析は相違ないようだ。さて、こうなった責任は誰にあると思うかね」
「は、全ては作戦司令官であるわたくし……わたくしの責任であります閣下……」
深々と頭を下げた元帥がそう告げると、部屋は静まりかえる。
そして、パイプに新たな葉を入れ、火を灯したゴブロフは静かに口を開いた。
「誠に、誠に残念だ。この気持ちは〝失望〟という言葉だけでは表現しきれんよ。この結果が貴官の招いたものだとすれば、貴官は、私やこの国、そして8000万もの民をも裏切ったということになるのだよ」
「は、自覚しております……」
ゴブロフはぴくりと眉を動かす。
「そうか、自覚しているのか。貴官は国を裏切った、と自覚しているのか。ならば貴官が受けるべき処遇は考えるまでもなかろう。他に言いたいことが無ければ、もう出て行きたまえ。心配せずとも後任は既に決まっている。今までご苦労だったな。外で〝迎え〟が待っているはずだ」
その言葉に、己の行く末を察した元帥は涙ながらに訴えかけた。
「わたくしは、今日この日まで、マルクシアのために、全てを捧げてまいりました! それこそ、我が人生の全てをです! 国を裏切るなど、毛頭考えられないことです! 閣下にもそれがおわかりでしょう! 軍に残りたいなどと贅沢は申しません……どうか、どうかこの身で償いを行う機会を、御慈悲をいただきたく……」
「そうは言うがね、貴官がいかに立派な生き方をしてこようと、起きた事実に変わりはないのだよ。それに、貴官の処遇を決めるのは私ではなく、軍法会議の場だ。言いたいことがあるならその場で主張したまえ。話は以上だ」
そう言い放ったゴブロフは元帥から顔を背けて窓の外に目を向ける。
もはや弁明を諦めた元帥は、精気を抜かれたかのようにうなだれて執務室を後にした。
「間抜けめ、やってくれおって」
一人になったゴブロフは、しばらくパイプを吹かしてぽつりと呟く。
すると、執務室のドアがノックされた。
「失礼します。シモン・ライールです」
そう名乗って執務室に足を踏み入れたのは、陸軍大将の階級章を掲げる中年の高級軍人だった。
大柄な体つきに反して大らかな表情を見せる彼は、どこか軍人らしくない雰囲気を帯びている。
パイプを置いたゴブロフは、気さくな様子で彼に応じた。
「おお、ライール将軍か。この度は大変な重責を負わせてしまったな」
今しがた入室したライールこそが、元帥の後任として選ばれた新たな作戦司令官に他ならない。
だが、ニコニコと愛想の良い笑顔を浮かべるライールは、作戦司令官という重責など感じさせない飄々とした態度でゴブロフに応じた。
「いやはや、自分なぞが作戦司令官とは恐縮極まる限りです。やるだけのことはやってみるつもりですが、攻勢の再開まではしばしお時間を頂くやもしれません」
その率直な物言いにゴブロフは満足する。
2人は旧知の仲であり、ゴブロフはライールが見た目に似合わず狡猾で聡明な男であること熟知していた。
ラトムランドとの開戦にあたり、先に更迭された元帥を作戦司令官に任命したのは過去の功績と実直さを評価してのことだったが、大転換の必要性を感じたゴブロフは次の一手としてライールの頭脳を頼ることにしたのだ。
「マルクシアの未来は貴官の双肩にかかっていると言ってもいい。戦況は苦しくなりつつあるが、戦力は十分残されている。君の手腕に期待しているよ」
「光栄の至りです」
そう告げたライールは目を細めてニコリと微笑む。
ゴブロフはライールという男を評価してはいるが、その型にはまった笑顔だけはどうにも好きになれなかった。
社交辞令を済ませたゴブロフは、とりあえずライールの方針を問う。
「さて、さっそくだが今後の作戦計画を聞かせてほしい。前任の馬鹿者は長期戦に転換するなどと抜かしておったが、民は悠長に待ってなどくれない。その点を踏まえ、敵を速やかな降伏に追い込む攻勢を主体とした新たな計画が必要だ」
その言葉に、ライールは「おお」と何かを思い出したかのように手を叩いた。
「実は、今後の作戦計画をご説明する前にですね、私の部下に面白い者がおりまして、是非皇帝閣下の御前にて作戦計画を補足説明したいと申しておりまして」
「ふむ、君の部下がかね……」
ゴブロフは何かの〝取り立て〟ではないかとその提案をいぶかしんだ。
だが、新しい可能性に縋る思いもあったため、渋々その者の入出を許可することにした。
「入ってきなさい」
ライールの呼びかけに応じて、執務室の扉が静かに開かれる。
そして、静かな物腰で恭しく入室した人物は、意外にも若い女性だった。
「お初にお目にかかります。わたくし、アカネ・バラノアと申します」
長い黒髪を靡かせたアカネは、ライールに似た型にはまった笑顔のまま深々とお辞儀をする。
そして、彼女の左手には、軍服に似つかわしくない無機質な白い腕輪が巻かれてた。




