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10 加速

10 加速


 皇立近衛〝機甲〟師団の改編に関して打ち合わせを済ませた月代とイリスは、駐屯地を立ち去り再び専用車に乗り込んでいた。


 話し込んでいるうちに夜が更けてしまったので、今日の仕事はもう終いだ。

 皇女イリスには宮廷という帰るべき場所があるが、月代はこの世界に居場所を持たない。

 そのため、しばらくは宮廷で寝泊まりすることにした。


 帰路につく二人は、専用車の後部座席で静かに佇んでいた。

 

 そんな中、月代は無意識のうちに左腕に付けている腕輪をさすった。

 隣に座るイリスはその様子が気にかかる。


「何やら珍しい腕輪をつけておるが、大事なものか?」


「いや、まあ、飾りみたいなものだよ」


 その腕輪は、この世界がゲームであるという現実を月代に思い出させる唯一のアイテムだ。

 むしろ、腕輪を意識しないと現実を思い出せないほどに、月代はA.W.Wの世界に馴染んでいた。


 それはゲームと現実の〝混同〟に他ならないが、月代はあえてそれを問題にしようとは思わなかった。


 たった一日あまりの経験だが、異国の軍事顧問として立ち回った月代が得られた充実感は計り知れない。

 そんな境遇を得て、面白みのない現実のことなど考えたくもない、という反応はさして不自然ではなかった。

 

 だからこそ、月代はあえて現実を象徴する腕輪から視線を逸らす。


「今日は疲れたじゃろ。明日からも忙しくなるじゃろうから、今宵はゆっくりと体を休めるとよい」


 そんなイリスの言葉がきっかけとなり、月代は我に返る。

 いや、正確には東雲月代という人格が月代・ヤルネフェルトという人格に切り換わった、と言った方がいいかもしれない。


 優しげに月代を労わるイリスの姿に国家元首としての貫録はない。むしろ、実直で親身なその姿には可愛げすらあった。


 そして月代は、己を労わるイリスを、単なるゲーム・キャラクターとして見ることができなくなっていた。



 * * *



「対象の様子はどうだ?」


 様々なモニターと機器類がひしめく部屋の中で、A.W.W企画開発の名札を掲げる佐藤は、リーダー格のオペレーターに声をかけた。


 佐藤と歳の近い男のオペレーターはモニターから目を離さずに答える。


「特に問題はありません。現在、被験者は軍事施設と思われる敷地で会合を終えて帰路についているようです。しかし、彼の適応力も凄いですね。すっかり解け込んでますよ」


「適応というよりは〝感化〟だろうね。彼はとっくにA.W.Wの世界がゲームであるという感覚を忘れている。まあ、このシステム最大の問題点はそこにあるんだろうけど……」


「自然な反応、ということですか。まあマッチングが上手くいったと思えば、こんなもんですかね。そういえば、〝もう一人の被験者〟はどうなったんですか?」


 その問いかけに対して、佐藤は「うーん」と唸る。


「とりあえず参加は承諾してくれたよ。予定よりだいぶ遅い参入になるけど、その点は問題ないかな。しかし、なかなか掴みどころがないというか、一筋縄じゃいかないタイプでね。R.W.Wのトップ・プレイヤーに相応しい慎重派だよ」


 佐藤の抽象的な言い回しに対して、オペレーターは少々いぶかしむ。


「はあ。大丈夫なんですか?」


「むしろ東雲くんとは異なる反応が見られそう、という意味で良い被験者かもしれない。とにかく新規の〝転移〟は明日に伸びた」


「それじゃあ〝加速〟の方はどうしましょう。予定通りやると被験者間でだいぶ時間差が出ますけど」


「加速の件はスケジュールをずらせないから予定通りにやろう。まあ、あえて被験者間で時間差をつけるのもそれはそれで面白いよ」


「わかりました。それでは、そろそろ定刻なので世界を〝加速〟させますね」


「うん。やってくれ」


 佐藤がそう告げると、オペレーターは右手に握るマウスで画面上のソフトウェアを操作する。


 すると、今まで等速で映っていた月代の姿は瞬く間に〝早送り〟となって加速し始めた。



 * * *



 気がつけば、月代はA.W.Wの世界で一ヶ月近くの時間を過ごしていた。

 その間、佐藤からのコンタクトは一切なく月代は現実世界のことを殆ど考えなくなっていた。


 この世界でやるべきことは山のようにある。

 対マルクシア防衛線の再構築と部隊編成の見直しは急ピッチで進んでおり、月代とイリスはその調整に明け暮れた。


 そして、月代の提案した戦略方針が整って行けば行くほど、国境の外側で動くマルクシア軍も徐々に不穏な動きを増していった。


 その日、総軍参謀局で打ち合わせを終えた月代とイリスは、なんとか夜が明ける前に宮廷へ戻ることができた。

 月代は、今や住み慣れた宮廷の一室で貪るように眠っている。


 だが、そんな安寧は甲高い叫び声によってかき消された。


「ツキヨ、起きろ! ついに動き出したぞ!」


 イリスに叩き起こされた月代は驚いてベッドから飛び上がる。

 意識は朦朧としていたが、焦るイリスの表情を見れば事の重大さを一瞬で察することができた。


「何があったんだ」


「マルクシアがついに動き出したのじゃ! とにかくこっちに来い!」


 寝間着姿のままでいるイリスに手を引かれた月代は、そのまま部屋を飛び出して宮廷内に設けられたイリスの執務室に連れ込まれた。


 室内には宮廷の侍従や軍人が集まり、テーブルを囲うようにして立ちつくしている。

 そして、その中央には一つのラジオが置かれていた。


 ラジオからはノイズ混じりに淡々とした声が放たれる。


『……への銃砲撃により、我が軍の兵士5名が犠牲となった。誠に遺憾ではあるが、我がマルクシアはこの卑劣な仕打ちに対し、正当なる事由をもってラトムランドに対する全面的な〝治安行動〟に動かざるを得ないと判断する。我が国土に居座るラトムランド軍に対しては平和的な後退を要求するものであり……』


 どうやら、今入っている放送はマルクシアから流れているものらしい。

 断片的に聞いただけでも、それが事実上の宣戦布告であることは月代にも理解できた。

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