06
硯さんを抱えて戻ると、お嬢様が安心したように泣き崩れた。
「硯さん、よかった……」
お嬢様が近づいてくる。のに、
「あの、どこかここから近い部屋、貸してもらえますか?」
渋谷は執事に向き直って尋ねた。お嬢様を避けたようにも見えるが、あるいはこいつに余裕がないだけかもしれない。
「こいつ、熱があるっぽいんで。頭と……、足も怪我しているみたいだし、寝かしておきたいんです」
確かに硯さんの顔色は最悪だし、頭からでていた血は止まっているものの、右足首が腫れていた。
しかし、犯人と目星をつけている奥様はさておき、旦那様じゃなくて執事に尋ねるとは。こいつ、外聞を取り繕うのをやめて、一番スムーズな話の持って行き方を選んだな。
実際、旦那様は不愉快そうな顔をしているだけだし、奥様はおろおろしているだけで頼りになりそうはない。
「はい、それでは二つ隣の部屋をご用意します」
執事もそんな主人の態度に慣れているのか、すぐに答えた。
「あとタオルもご用意した方がいいですね。お着替えは?」
「そうですね、お願いします。着替えは、自分のがあるんで大丈夫です」
「あ、あの、お手伝いします!」
近づいたものの、さりげなく渋谷に距離を取られて困っていたお嬢様が、慌てたように宣言する。
「いえ、平気です」
答える渋谷の声は、少し冷たい。
あ、こいつやっぱり、さっきわざと距離をとったのか……。
「あ、でも洋服のお着替えとか……女性の方が……」
お嬢様がごにょごにょ言うのを、
「俺、恋人ですよ? 今更裸を見られただのなんだの言う関係じゃない」
ふっと渋谷が鼻で笑った。小馬鹿にするように。
お嬢様の顔が不愉快そうに歪む。
ああ、こいつ怒ってるんだ。その光景を見て思う。
普段の渋谷だったら、こんななんでもないところで、それもお嬢様のような若い女性を怒らせるような言い方をするわけがない。犯人に対してカマをかけるときなんかは別だけど。
この一家のせいで、硯さんがひどい目に遭ってしまった。それぐらいのことは思っているんだろうな。
「笹倉、ちょっと手伝ってくれるか?」
「あ、ああ」
住人たちに、申し訳ないがもう少しここにいてくれと告げてから、渋谷の後を追う。
執事は二つ隣の誰も使っていなかった部屋を開けてくれた。
「シーツなど、洗濯していないのですが」
「いえ、大丈夫です。ひとまずみんなからそれほど離れていないところに寝かせられたら、それで」
言いながら、渋谷は優しく硯さんをベッドに寝かせる。
執事の用意したタオルで彼女の顔をそっと拭いた。
「笹倉、悪いけど執事さんをみんなのところに送って、帰りに俺と茗ちゃんの鞄を持ってきてくれるか?」
「いえ、私は一人で戻れますから」
「念のためです」
言葉こそ丁寧だが、有無を言わせない口調で渋谷が言う。
「そうですね。行きましょうか」
執事をリビングに送り、二人の鞄を用意する。全然お前らの部屋、通り道じゃなかったけどな。
ドアをノックすると、しばらくしてから渋谷がドアを小さく開けた。
「ほら。俺、ここで待ってるから」
鞄を手渡す。どうせ今から着替えさせるんだろうし。
「悪い」
渋谷はそれだけ言うと、また部屋に引っ込む。
壁に背を預け、終わるのを待つ。
あいつは本当に怒っている。珍しいぐらい。
犯人に対してはもちろんのこと。そしておそらくだけど、硯さんを巻き込んでしまった自分自身に対して怒っている。
あんまり思いつめなければいいけど。あいつ自身も言っていたように、悪いのは犯人なのだから。
そして、犯人に少しだけ同情する。あいつをあんなに怒らせてしまったら、三人目の殺人は絶対に成し遂げられない。それよりも早く、あいつは謎を解く。
もちろん、殺人事件なんて起きない方がいいし、これ以上罪を重ねない方が犯人のためにもいいのだろうけれど。




