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イーギスプライド  作者: 生雪京
第二章 饒舌と寡黙のブラックマンバ
6/50

#6 新参者の休日①

ノエルはベッドの上で丸くなったまま、一つの葛藤と戦っていた。


しばらく前から意識は覚醒していたのだが、厳しい修練で培ってきた精神力をもってしても、上半身を起こすことができないでいる。

昨夜はいつもより早めに眠ったので、いつものノエルなら睡眠は足りているはずなのだ。


しかし、習慣化された起きなきゃという意思とは別に、もう少しこのままでいたいという欲求もあり、その熾烈なせめぎ合いは、図らずも後者に軍配が上がりつつあるのが今のノエルであった。

開いてるか開いていないかくらいの薄目に窓から漏れる暖かい光が差し込んでくる。

それがせっかく遠ざかりつつある眠気を手招きし、ノエルをいい感じに夢の中に誘おうとするのだ。

毛布の中もちょっとありえないくらいに気持ち良い。


「あー、朝か。もうちょっとこのまま」


寒がりなのを自覚しているので、夏の夜でも就寝時に毛布か厚めのシーツは必須だ。

昔、何かの拍子で靴下を履いて寝ている事をミロに打ち明けると、ばばあくせえとからかわれて結構傷ついた。

今も思い出してもムカムカするので、冷え性なんだからほっとけ!と心の中で罵声を浴びせておく。


それ以来、靴下を履いて寝るのは止めたが、毛布だけは相変わらず手放せない。

今度抱き枕になるものでも買いに行こうかな。

寝ぼけ眼でそんなことをぼんやり考えながら、ノエルはふと枕元にある時計に目をやる。

午前九時。

実家から持ってきた懐中時計は昨日自分の元に壊れる前の状態で戻ってきていた。


いつもより二時間も多く寝ていたらしい。

普段のノエルの朝は早い。

イーギスに来るつい一週間ほど前まで彼女は田舎で過ごしていたのだが、町工場に務める父親にお昼の弁当を持たせるため、彼女には早起きの習慣があった。

だから、今日も一週間前と同じく、朝七時にはちゃんと床から出て、顔を洗い歯を磨いた後に朝食を食べるといった無意識の規則正しいルーチンをこなす仕組みが身体の中にかっちりと組み込まれているはずなのだが、自分の身体は思った以上に休息を必要としていたらしい。


疲労困憊の体は嘘をつかないようだ。

朝特有のだるさもなんだか久しぶりだった。

そう、だからこれは寝坊なんかじゃないのだ。

などとノエルは自分に言い聞かせる。

そういうことにしておこう。

ゆうべ少し身体が重かったのは事実だし、ベッドに引き込んでからの記憶が全くない。


まあ自分自身に対する言い訳としては自己嫌悪にならない程度にギリギリ悪くない気がする。

再び瞼がゆっくりと閉じられていこうとするのを、ノエルはもはや止めようとしなかった。

今日は休日なので二度寝しよう。

昼前には起きればいいことだし。

ふと、ノエルの意識が窓辺に向いた。

何かの声が聞こえた気がしたのは、あともう少しで完全に意識が落ちようかという時だった。


みゃあ


「・・・ねこ?」


開けっ放しの二階の窓辺に黒猫がいた。

コロコロした目がベッドの上で睡魔と闘っているノエルをじっと見下ろしている。

結構でかい。


こちらが動くまで動くつもりはないと言わんばかりの不敵なまでの不動っぷりに目が釘付けになる。

微動だにしないとはまさにこのことを言うのだろう。

猫がいようがいまいが、別にこのまま眠ってしまってもいいのだが、ノエルはちょっとだけ猫の相手をすることにした。

「みゃお」

のどを鳴らしたノエルの真似にも猫は表情を一ミリも変えず、足元にいる人間の様子をじーっと睥睨している。

いっそ清清しいまでのふてぶてしさを覚えるノエルだが、別に猫は嫌いではない。

むしろ好きだ。


相手にしてくれなくても気にしない。

あたしの長所は気が長いことと内心胸を張るノエルは布団の中から手を伸ばし、猫の頭を撫でようとした。

日光に温まった猫の小さな頭はさぞかし最高の触り心地に違いない。


「ぐふっ」

突如として、ノエルの口から下品な声が漏れる。

伸ばした手が頭に届こうとしたまさにその時、これまで全く動かなかった猫が窓辺から急に飛び上がり、あろうことかノエルの腹の上に華麗な着地を決めたのだった。

しかもそれが密かに二連打だったのをノエルは知っている。

まず猫の前足がお腹にめり込み、ついで一拍遅れてきた後ろ足。

想定外の遠慮なきダイブに一瞬息が詰まる。

一応鍛えてはいるが、眠気も完全に吹き飛ぶ突然の狼藉にノエルは怒った。


「こいつー、何すんの!」

ガバッと反射的に上半身が起き上がり、腕を振り上げる。

小さなおケツをひっぱたいてやるつもりだった。

「くっ、卑怯よ、その顔は!」

だがすぐにその気持ちは萎えた。

猫に逃げる気配はない。

足元で丸々とした目をノエルに向けているだけだ。

その罪悪感のない表情といったら。

自分より遥かに小さな動物のお尻をひっぱたく行為にノエルは激しく躊躇われた。

そんな顔をされては叩けるものも叩けないではないか。


その顔は反則だろう。

自分が何か悪い人のような気がしてくるのはなぜだ。


急速に萎んでいく怒気を横にやり、気を取り直したノエルはお腹の上で鎮座している猫に話しかけた。

「ったく。きみ、名前は?ご主人様は?」

そんなことを問うても、答えが返ってくるはずもなく。

ただオスであることは分かった。


手足を身体の下に綺麗に折りたたみ、ぐあーっと欠伸などしている。

ノエルはそのまま動かなくなった猫の頭を撫で回した。

少し強めにいじってやるが、逆にそれが気持ち良いらしく、喉を鳴らし始める。

布団のフカフカ加減も同時に味わっているようでこのまま腹の上に居座りそうな勢いだ。


今や完全に眠気は飛び、目は覚めている。

今からもう一度寝る気にはなれず、ノエルはベッドから出ることに決めた。

猫が前足を動かしてノエルの顔の方に移動してくる。

されるがままにペロペロと顔を舐めさせたが、懐かれているのか、もっと遊べと言われているのか分からない。

が、起き上がると決めたのだ。

いつまでも構ってはいられない。


ノエルは猫の前足の下に手を突っ込み自分の胸の高さまで抱きあげる。

その時、胸に鋭利な何かが食い込み、激痛が走った。

「ぎゃあ!」

目をひんむき、ノエルは叫び声を上げた。

これはもう爪だろう。

爪しかありえない。


よく見れば、胸に被害をもたらしたそれは、恐ろしいことに全く研がれていなかった。

さっきのダイブは布団が間にあったから直撃を免れられたのだろう。

ある意味、顔でなかったのが不幸中の幸いと言えた。

流石に今度はお尻をひっぱたく。

小気味良い音がペシッと鳴った。

「なにすんのよ、このタヌキ!」


機敏な動きを見せて足元に避難した猫がまたもノエルをじっと見上げている。

咄嗟に出てきたタヌキという言葉にみゃあ!と大きな声で鳴いた猫はいっちょまえに威嚇してきた。

こいつに悪意はないと思われるので(多分)、下手に叱り続けるわけにもいかない。


よく見れば、首輪がついていた。

こいつの飼い主は一体誰だ。

一度顔を拝んでやらねばいけない。

それにしても猫はもっとスマートな生き物なのではないか。

目の前のこいつはとりあえず、図体もでかければ、体も尻尾も太くてでかかった。なんと言うか、猫にあるまじきデカさだった。

涙目のノエルがシャツに目を向けると、やっぱり穴が開いていた。

皮膚に刻まれた赤い引っかき傷が痛々しい。


「タヌキ!」

みゃあ!

「タヌキ!」

みゃあ!


名前を読んでもらえるのが嬉しいようで、ノエルがタヌキとやけくそ気味に連呼すれば、それに合わせて猫も反応してくる。

目の前のどっしりした猫のテンションが上がっていくのが手に取るように分かった。

もういい。本気で起きよう。

蓄積されていた疲労も十分な睡眠でチャラになっていることだし。

いつまでも猫の遊び相手をしていられるほど暇ではない。


ノエルは穴の開いたシャツを脱ぎ捨て、クローゼットを開けて外行きの服に着替え始めた。

寝相の悪さでしわだらけのシャツとパンツは布団の中へしまう。

遅めに起きたのは今日が日曜日だからだ。

よって、ノエルに課せられた学生活動は今のところ一つもない。

ぐぅぅとお腹が鳴った。

地鳴りのような音が空腹を訴える。

誰かがいれば恥ずかしさから誤魔化しの一つでもいれておいただろうが、その必要はない。

今この部屋にはノエルと、ベッドの上で丸くなり寝に入った猫しかいないからだ。

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