#27 DON'T PUSH YOUR LUCK!
学内の微妙な変化をノエルは如実に感じていた。
廊下を歩いていたり講義を受けていたりすると、明らかに誰かが自分のことを囁いているのだが、そこに悪意や嘲笑の類は感じられない。
そこに含まれているのはむしろ戸惑いや好奇心に近かった。
ただ、特に何かをされるわけでもなければ変に騒がれるわけでもなく、多少の居心地の悪さを感じることはあっても、普段と変わらない日常を送れているのなら別に自分から何かをするつもりもなかった。
人見知りはしないと自分では思っている。
得意不得意な人種はいても、基本的に人付き合いはオープンなのを自認していた。
日増しに強くなる好奇の視線に流石に少々お尻がむずがゆくなってくるが、意図してか、ノエルとの会話や接触を避けられるギリギリの距離感に彼らがいるため、このモヤモヤ感は今に至っても解消されていない。
またその理由にも心当たりはなかった。
先日の一件を通じてライムとの関係は急速に深まり、時々連絡を取り合う仲にまでなったのは嬉しかったが、なにぶん彼女は上級生なので一年生の授業には当然出席していない。
夏の終わりから開始される合同講義はまだまだ先の話なので、バッタリ会うという偶然もなかった。
病室で意気投合した一歳年上の同級生であるフランもまたライムと同様に魔術科専攻であるため、最初の頃剣術科のノエルには気軽に話せる相手が一人もいなかったのだが、付かず離れずの微妙な距離感を自ら超えていくことにためらいはない。
だが、自分からの声掛けはしばらくの間止めることにしていた。
なぜなら彼らの見え透いた遠慮気味の愛想笑いが目につくからだ。
もちろん友達は一人でもたくさんほしい。
しかし、”そういう”関係は望んでいないし、腹の底でお互いを探り合う関係など疲れるに決まっている。
だから、しばらく一人でいた間は正直つまらない思いをしたが、つい最近とりとめのない会話ができる同じ剣術科の青年と仲良くなる機会があり、いくらか暇を持て余していたノエルの気分は弾んでいた。
週に二度男女合同で行われる戦技訓練を終えた二人は靴を履き替え、訓練場を後にした。
頭上に広がる雲一つない澄み切った青い空はそれだけでノエルの気持ちを軽やかにしてくれる。
汗ばんだ肌に注がれる太陽の日差しもすこぶる心地よい。
凝りを解すような仕草でノエルはひとつ大きな伸びをした。
「あー今日もつかれた。たくーマルコ教官て、マジ容赦ないったら」
「今日はいつもよりハードでしたね。ぼくもかなりしごかれました」
「期待されてんじゃない?デュオって性格的にしごきやすそうだし」
よっこらせっという掛け声とともに防具の入ったリュックを担ぎ直したノエルはけらけらと笑った。
苦笑気味にデュオは口を尖らせる。
「人事だと思って。性格を言うなら正反対ですよ。ぼくとマルコ教官は」
確かにそうだ。
自分の隣を同じ歩調で歩くこのデュオという青年は戦技訓練の主任教官を務めるマルコと何もかもが一致しない。
まず見た目、いかにも人の良さそうな顔をしているのがデュオなら、マルコ教官は眼力だけで威嚇できるほどの凶悪面だ。
言葉遣いの違いは最早言うまでもなく、笑顔の質を言うならまさに仏と鬼ほどの差があるといって差し支えない。
いかにも好青年風のデュオは白金色の短髪をリキッドで爽やかに纏め上げ、かたや悪人面のマルコ教官は坊主頭の剃り込みが厳つさを強調しており、なおかつ鶏のような赤モヒカンときた。
内面も外見も違いをあげればキリがなく、ノエルは途中で脳内イメージを打ち切った。
「まあねえ。二言目には、お前ら情けねえぞ!だもん。そりゃ鬼教官の時代に比べたら情けねえでしょうよ」
眉間に皺を寄せてマルコの真似をするノエルにデュオは頬を緩める。
「ノエルさんここだけの話なんですが、マルコ教官、昔は何度もクビになりかけたらしいですよ」
「まじで?あ、でもあの顔なら説得力あるかも!」
「鼻を横に走るタトゥーに鶏冠のような赤モヒカン。何かこう、世紀末というか」
「教官というかさ、むしろ街のチンピラのほうがしっくりこない?これで釘の刺さったバットとかでかいチェーン肩にかけてたら、もうパターンに忠実だよね」
「ノエルさん、それは言っちゃダメですよ」
ノエルを嗜めながらもデュオも笑いを堪えられないようだった。
同じ剣術科のデュオ=ゼルフィガーとは数日前の模擬試合で手合わせをして以来の仲だ。
剣術科に入学する女性剣士はそもそも数自体が少なく、男女合同演習であることも手伝って、座学から開放された喜びから水を得た魚のように剣を扱うノエルは否がおうにも目立った。
ノエルも一応剣にはそこそこの自信を持って名門イーギスに入学している。
昔のように相手がいないという無双事態にはならないだろうが、一方で歯が立たない相手もいないと思っていた。
これは別に驕りではなく、冷静に自分の実力を見据えた上での状況判断ではあったが、そのノエルを打ち負かしたのが誰あろうデュオである。
計三回勝負してよもやの三連敗。
天才と称されるルカとライの二人の兄を除き、負けることはあっても相手に一太刀も浴びせられないことなどこれまでありもしなかった。
ノエルの攻めの剣に対してデュオは守りの剣。
このような専守防衛型の相手と当たったことはあっても、デュオのそれは次元が違った。
爽やかな見た目に反して実に堅牢な防御を敷く彼をノエルは突き崩すことができなかった。
一敗目は攻め疲れで焦れたノエルの一瞬の隙を付き、特殊樹脂で刃先を潰した剣腹を鳩尾に叩き込まれた。
二敗目は一転して攻めに転じたデュオの猛攻をダメージを引きずる体では防ぎきることができず、剣を持つ利き腕を弾かれ、カウンターの拳を眼前で寸止めされた。
三敗目は負けず嫌いもほどほどにしておいたほうが良いと思えるほどの瞬殺劇だった。
同年代でここまで歯が立たないほどの相手と合間見えた経験はない。
ノエルは言い訳も負け惜しみもしないが、ここまで爽快な負けを喫すると彼我の実力差にただただ笑えてくる。
しかし悔しさはあっても気持ちは落ちない。
なぜなら、自分を吹っ飛ばしてくれるようなこういう機会を求めてもいたからだ。
「敗北を大切にできる者には次がある」
当時は剣術道場の師範の言葉の意味を読み取ることはできなかったが、三連敗を喫した今なら理解できる気がする。
やはり田舎では世界が狭いのは否めない。
しかし、想像通り名門は一味も二味も違った。
全国から腕に覚えのある若い男女が集まるのだ。
地元では突き抜けた存在だったノエルはここではその内の一人に過ぎなくなる。そして記念すべきイーギスでの初の敗北はなんと三連敗という盛大な熨斗付きだ。
早速その機会に巡り合えたことにノエルの胸は刺激的な興奮で満たされる。
周囲では自分たちと同じように模擬戦を行う活気ある光景が至るところで見られた。
自分にトリプルを食らわせた男に流石に四戦目を申し出るほど図々しくはない。
連続五戦を終えたデュオが礼をし、肩を上下させて戻ってくるのが視界に映る。
そして、バックの中を漁り、目当てのものがなかったのか盛大に肩を落としている姿にピンときたノエルは駆け足で彼に歩み寄っていった。
「はい、これ。タオル忘れた?貸したげるよ」
諦めた様子で汗を服で拭い始めたデュオにノエルは自分のタオルを手渡した。
「?」
「ねえ、あたしはノエルって言うんだ。あんた、めっちゃ強いね。名前教えてよ!」
「えっ、あっ。さっきの」
振り向いた彼は直立不動になり、なぜか赤面していた。
心なしか声が上擦っているのは連戦のせいだけではないだろうが、生憎それに気づけるほどノエルは聡くはない。
挙動が微妙に不審な目の前の青年の心中には気にも留めず、あっさりした顔でノエルは肩を竦める。
「あーあ、三回も同じ相手に負けたのって初めてなんだよねー。でもまあよろしくねっ」
「デ、デュオです。デュオと言います。よ、宜しくお願いしますっ」
「デュオってんだ。よろしくー」
ノエルは二カッと白い歯を見せた。
デュオがタオルを持ったまま小刻みに震え始める。
どことなく目が泳いでいるのは見間違いではないだろうが、やはりノエルにはよく分からず首を傾げるばかりだ。
「…?」
「こっこれは、その、ノエルさんのタオルですか?」
「え、そうだけど?使ってないから綺麗だよ」
使ったタオルなら人に貸すのは流石に憚られるが未使用なのだ。
困っている人に救いの手を差し伸べただにすぎない。
ノエルにとってはそれ以上でもそれ以下でもなく、単純にそれだけの話である。
「ん?やっぱ人のタオルとか嫌だった?」
「とっとっとっ、とんでもない!ありがたく使わせていただきますっ」
「若干訛りがあるんだね」
鼻息荒く意気巻くデュオに疑問を感じながらもノエルは彼の印象を口にした。
ほぼ標準語で統一されている聖シオンではデュオのような訛りを耳にすることは少ない。
だからデュオの口ぶりだけでイーギスが全国区の学校であることが分かるのだが、彼はどこか外国の出身かもしれなかった。
デュオは赤面したまま大きく首肯する。
「はいっ、ヴェルムラント共和国出身です。寒いところですが、自然はとても綺麗で、旅行するにはとってもイイところだと思いますっ」
何をそんなに焦っているのか知らないが、別にそこまでは聞いていない。
ただノエルは外国とか旅行にはあまり興味がなかったので、当然返す反応も極めて薄い。
「ふーん、そうなんだ。ねえ、さっきの剣ってどこで習ったの?流派はどこ?」
「えっ?えっと、それはですね…」
聞いておきながら興味をなくすなど姉代わり件教育係りのロキが知ったら怒られるのは必至だが、彼女がいない時のノエルは基本的に奔放だ。
一瞬戸惑いを見せたデュオだったが、嫌な顔一つせず、むしろ嬉々とした表情でノエルの質問攻めにものすごく丁寧に一つずつ答えていった。
それは今から三日前の出来事だった。
教官の人相やマッドな逸話など色気のない話に興じすぎたせいで、背後に忍び寄る影に気付くのが遅れたのは痛恨だった。
「てめえら、誰の悪口いってんだ?」
「げっ、鬼教官!」
「ノ、ノエルさん、それは禁句ですってば!」
「チンピラで結構。それに鬼教官は褒め言葉だ。だが、イーギスの狂犬ことマルコ様を前にして見上げた度胸だ、なあノエルよ。てめえ調子のんなよ」
てめえ調子のんなよ。
教官が生徒に向かって言うセリフだろうか。
マルコの額には青筋が何本も浮かんでいる。
どうやら男の逆鱗を素手で掴んでしまったらしく、平素からの凶悪面には一段と磨きがかかっていた。
純真無垢な子どもが見ればトラウマになることは必定。
「よし選べ。拳骨二発と四の字固めのセットか拳骨二発と腕挫十字固のセットのどっちかだ。そろそろ新技を試ししたかったところなんだよ、ちょうどいいぜ」
ポケットに手を突っ込み、前かがみのまま眉根を顰めて距離を詰めてくる。
「なに、ちょうどいいって?!それに何で寝技ばっかり?!」
「ぼくらは実験台ですか?!」
「ばかやろう、愛の鞭と言え」
赤いモヒカンがバサバサと揺れる。
「文句言っただけなのに、つ、釣り合いが取れないと思いますケド?!」
「あ、ノエルさんそれは!」
「迂闊だなノエル。文句を言ったとてめえは言った。そのバツを甘んじて受けいれろ」
「ひー、体罰反対!暴力禁止!女子よあたしは!」
「うるせえ男女同権の時代だろが。どっちにしろ拳骨はまぬがれねえんだ。往生際が悪いとイイ女になれねえぞ。腹をくくれ。だが舌を噛み切らねえように気を付けろよ。後で文句言われんのは俺なんだ」
「なんか嬉しそう!?」
その後、サディストのような笑みを浮かべるマルコの鉄拳が頭の中心を連撃し、二人がしばし悶絶したのは言うまでもない。
あまりの衝撃に意識が飛びかけたので寝技は容赦してくれたのは僥倖と言えた。
痛すぎて涙が出てくる。
濡れた目じりをゴシゴシと拭きながら、ノエルはシャワーを浴びていた。
幸い次の講義までには一時間以上の空きがあったのでしばらくの間ゆっくりできる。
こういう施設も充実しているのは女子ならずともやはり有難い。
やはり名門ゆえに建物ばかりではなく設備一つとっても立派だった。
清潔さも効率性も田舎のそれとは比べ物にならない。
四人の兄姉が辿った道筋を今自分が後追いしているのだ。そう思うと心弾んだ。
シャワーの勢いを強くする。
逆に些細な不満があるとすれば門限があるところだが、たとえ田舎で門限のない生活に慣れているノエルも遅い時間にわざわざ街中まで繰り出すつもりはなかった。
むしろ不満を漏らしているのは周囲であってノエルにとっては別段支障はない。
イーギスでは生徒たちの自主活動が強く推奨されており、授業はどれだけ遅くとも18時までには全て終了する。
その後各自同好会や部活動に赴くわけだが、外出した場合は22時までには戻っていないといけなかった。
不意にノエルある事を思い出す。
「あ、そうだ。クラブ」
イーギスでは文武両道の一環として学生は何らかの団体に所属しないといけない規則がある。
編入して一週間がすでに過ぎており、そろそろ決めておいたほうがいいだろう。
相部屋の先輩からの勧誘を断っておきながら、どこにも所属していないというのはちょっと気まずい。
まず、身体を動かす体育会系の部活動が真っ先に思い浮かんだ。
なんといっても自分の得意分野である。
デュオはバスケット部に所属しているらしく、乱暴な先輩にしごかれていますと苦笑していた。あの男はどこにいってもそういう星の下にいるらしい。
ライムはアロマを扱う研究会に所属しているらしく、フランの所属は聞きそびれた。
一旦シャワーを止め、スポンジで体を洗いにかかる。
一方で文化的なものもアリかなと思ったりもしている。
ただ盤上ゲームのような思考系や舌鋒鋭く己が主張を競い合う弁論部などは避けるつもりだ。
ともかく、後で専用棟に足を運んでみるとしよう。
身体に着いた泡を再びシャワーで綺麗に洗い落としたノエルは誰もいないのをいいことに盛大に鼻歌を鳴らしながら、けれどジンジンする頭を忌々しく思いつつ、一人きりの時間をたっぷりと堪能した。