死神と少女と新月と(3)
続かないはずがじわじわと続いている死神と少女シリーズです。今回は死神くんの魂狩りが登場するため若干流血しています。苦手な方はご注意を。
死神であるスレアは,人の魂を実体として見ることができるという。十分な魔力さえあれば,時にはそれをなんの魔力も持たない人間の目に見えるカタチにすることも,時には手に取ることができるようにすることもできるという。だからあるとき,私は彼に問うたことがある。
「あなたなら私の魂もカタチにできるの?」
「主の……ですか?」
「そうよ。」
そのとき彼は何とも言えない表情をしていた。苦い表情でもないが,けして甘い表情でもない,憂いを帯びたような,哀しみをたたえたような,それでいて慈愛に満ちたような,様々な感情が織り交ぜられたような,何とも形容しがたい表情だった。
「見ることくらいはできるんでしょ?私の魂ってどんななの?」
「そうですね……」
スレアが私にぴたりと目を合わせる。瞬間,強い視線を感じてたちくらみのような感覚に襲われる。ふらついたところをそっとスレアが支えてくれていた。まるで体の芯を掴まれたようなその感覚はすぐに消えて,彼の吸い込まれそうな深紅の瞳に呆然とした表情の私が写っていた。
「……朝霧の中に血の如く咲き誇る深紅の薔薇の色,ですね。」
「え……?」
「形は花びらの上に浮いた朝露のように綺麗な丸……少しの揺れに転がり,転がり落ち,何度も散らばってまた綺麗な丸に戻る。」
「それが私の?」
「ええ。これ以上は勘弁を。本来だったらあまり見るべきものではありませんから。」
「どうして?」
何も知らないがゆえの私の問いかけに,彼は苦笑にも似た表情をみせて黙って私の頭を撫でた。子供扱いされたような気がしてちょっとむっとした表情を見せると,スレアはそんな私を見てあやすように笑った。
「人の内面はそうそう好き好んで覗き込むものではありませんよ,我が主。時に自分ですら知らない自分が見えてそれが想定外の事故を引き起こす可能性もありますからね。」
「そんなものまで見えるの?」
「見ようと思えば。」
「ふうん。」
その言葉の意味がわかるようなわからないような。どこかはぐらかされたようなそんな気分だった。
数日後。屋台で食べた揚げ菓子の味を求めて私は夕方の街を一人でぶらぶらと歩いていた。揚げ菓子屋のの場所は覚えている。目立つ髪は三つ編みのお下げに結って,スレアの部屋に置かれていた度の入っていないメガネを掛け,質素な格好に深緑のローブを頭からかぶって街中を歩く。今日はスレアはいない。用事があるとかで昨日から外出したきり戻っていないらしい。朝目が覚めたら,朝食と書置きが乗ったお盆が部屋のテーブルの上に用意されていた。
することもなければ話し相手もいない屋敷の中で退屈した私は昼下がりに屋敷を離れて街まで歩いてきたのだが思った以上に時間がかかった。一本道に限りなく近いようなものだったが,距離があったのと私の歩幅が小さいのと,森の中を通り抜けることになるなどなど……そんなこんなで着いた頃にはすっかり夕方になってしまっていたのである。通行証を見せて街の中に入る。人気が増えて活気づいた通りを,左右に目をやりながら歩いていく。
目的のお店を見つけた。お金を払って揚げ菓子を6つ買い,袋に入れてもらう。香ばしい香りが漂う袋の中を覗き込んで息を吸い込むと,なんとも言えず幸せな気持ちになった。お腹がぐぅ,と音を立てるので,出来たてのそれを一つ取り上げて歩きながら口に入れる。家出する前の屋敷に住んでいた時には
考えられなかった食べ方だ。程よい甘味が口いっぱいに広がって,幸せな気持ちになる。だけど,この前とは少し味が違うような気がして私は首をかしげた。何が違うんだろう。
「失礼?」
「!?」
首をかしげたその刹那,鼻と口を塞がれて羽交い絞めにされる。妙に甘ったるい香りが鼻をくすぐったかと思うと,体中から力が抜けて私の意識は遠のいていった。
物音に目が覚める。かすむ視界が見せるのは,狭くて薄汚れた部屋の中。ここがどこなのかも,どのくらい眠っていたのかもわからない。医者が使うと言われる睡眠薬を嗅がされたらしいということまでは分かっても,そこから先はわからない。
「目が覚めたか。」
「……誰。」
「お前くらいの上玉ともなれば,そこそこイイ値で売れるだろうなとは思ってたが……相場の10倍の値がつくとは流石に思ってなかったぜ。」
(人売り……最近は数が減ってきていると聞いてたけど……残ってたんだ。)
どうやら自分が商品にされたらしいということだけはわかった。しかも取引済みであった。どうやら自分は長いこと眠っていたらしい。そう言えば外からの明かりはすっかり消えていた。ここが地下だったとしたら話は別だが。目の前の男はいかにも屈強で狡猾そうな顔つき。典型的な悪人顔に思わず笑いそうになるくらいだ。
「安心しろ,キズモノになっちゃぁ値がつかねえ,手荒く扱ったりはしてねえよ。もっとも客の手に渡った後は知らねえがな。」
「……っ。」
「お,お前の新しい主人の到着らしいな。」
その声に耳を済ませば,確かに馬車の止まる音。そして靴音も。この靴の音は聞いたことがある。父親が昔よく履いていた靴がレンガを叩く音によく似ている。つまり,一部上流階級の人間に売り飛ばされたということだ。扉が開き,闇の中から現れたのは,いかにも胡散臭いタイプの恰幅のいい男だった。
「ほほう……話に聞いた以上に美しいな……。」
「旦那,即金でお願いしますぜ。」
「金なら馬車の中だ,勝手に持っていけ。儂はこの娘と二人きりになりたいんでな。」
「へいへい。そんじゃ。」
人売りの男が出ていく。目の前に残った男が,生理的嫌悪を掻き立てる。私は無意識のうちに部屋の隅に逃げていた。
「怖がらなくとも良い……悪いようにはしない。」
「……。」
「お前のような気丈な生娘は嫌いではない。安心するが良い,すぐに甘美な悦びを教えてやろう。」
「いらないわ。そんなものに興味はないの。」
目の前でおもむろに服を脱ぎだした男から目を背けながら強く言い放つ。それが逆効果だったのか,下卑た笑い声が部屋の中にこだまする。
「これだけいい目を持った女が未だ生娘というのもなかなか信じがたいがな。あの男の言うことだ,ある程度は信用していいだろう。」
「ちょ……っと,その手を離しなさい!無礼者!」
「何が無礼か。女に快楽を教える,男の最高の勤めではないか。無礼なことなど何もない。」
煙草臭い手が私の肩を掴む。部屋の片隅に置かれていた寝台に力づくで引きずられ,投げ出され,服が裂かれる。自分の体が顕にされていくのを見て,目も向けられず,思わず目を瞑った。
「安心しろ,お前はその身を儂に任せていれば良いのだ。」
「……!」
顔が近づけられる。汗の香りと葉巻のヤニの香りに吐き気がした。拒もうにも成人男性を相手に,少女の力などたかが知れている。
呼んだつもりはなかった,けれどその唇からは確かに彼の名前が紡がれていた。
異変は突然に。
「ぐあぁあぁあぁぁぁっ……な,なんだ,く……っ!」
私に覆いかぶさっていた男が突然,悲鳴に近いうめき声を上げながら海老反りになる。喉の辺りをおさえて寝台から転げ落ち,床の上にのたうちまわる。私は相手が一糸まとわぬ状態であることも忘れてその異様な様を凝視していた。
「……全く。身の程知らずの人間風情が穢れきった魂でよくもまぁぬけぬけと我が主の貞操を脅かせたもんだな。」
「……スレア?」
「貴様……!どこから……!」
「我が主,少々手荒な真似をお許しください。」
その一言の後,部屋の中に吹き荒れる旋風。埃の舞う中で私がうっすらと目を開けると,そこには初めて出会ったあの日に手にしていた大鎌を片手に下げて静かに佇むスレアの姿。
「……裁きの時間だ,グレイル・オズボーン。魔王アシュレイの名のもとに我が鎌によりその身を裁く。その所業,地獄の神々は皆見ているぞ。」
黒いローブがはためく。左手の銀色の鎌が青白い光を放ち,一瞬だけ消えたように見えた。否,スレアの右手に移っていた。左手にはどす黒く濁った蛇のような物が握られていた。今まで一度も見たことがないほどに冷酷な目をした彼が,それを握る手に力を込めていく。苦悶に満ちたうめき声が,悲鳴に変わる。
「や,やめろ……やめてくれ!それは……ぁああっ!」
「ス,レア……。」
急に胸が苦しくなって寝台に倒れこむも,スレアは気付かない。一方でその手に握られた蛇はついぞ耐えかねたかのように爆散した。それと同時に,男の実体の方も風船が弾けるような音を立てて飛び散った。部屋中を染めた真っ赤な色は,瞬く間に鎌に吸い込まれて,吹き荒れた旋風に荒らされた部屋もいつのまにか元通りになっていた。
スレアが先程まで手にしていた鎌をどこにしまったのか,手に何も持たずこちらに近づいてくる。そして,膝まづいて深々と頭を下げた。
「申し訳ありません我が主。お身体に負担となったのではございませんか……?」
「だい,じょうぶ……。」
「……屋敷へ帰りましょう。顔色がよくありません。一刻も早くお休みになられるべきだ。」
「……スレア……さっき握りつぶしたの……。」
「ええ,あの男の魂です。執行に及ぶ時だけ,この世界にその魂を具現化させることができる,それが我々死神……執行人が持つ権限です。」
「……私もああなるの……?」
「主である貴女には私は手を出せません。しかし,ほかの死神であれば可能です。ほかの死神からあなた様な魂をお守りする代わりに,魔力供給の為の扉となっていただく,それが我々の間に交わされた主従契約です。先ほどの執行には多くの魔力を必要とします。流れ込む魔力量が増える分,主の体には大きな負荷がかかってしまうのです……ですから,早く屋敷へ戻りましょう,我が主。」
まだ早鐘のように打っている心臓の鼓動が胸を締め付ける。もし,また今回のように何者かにさらわれてしまったら……それが,死神相手だったとしたら……。様々なことが頭のを廻っているせいで,体がうまく動かない。
「……スレア……。」
「なんでしょうか,我が主。」
「連れて帰って……体がうまく,動かないの。」
「御意。」
震える私の唇の上に,スレアが触れるだけの優しいキスをした。一瞬,心臓が音を立てて跳ね上がったような気がしたが,途端に沈み込むように意識が奪われる。魂の一部を抜かれたのではないか,そんな感覚だった。
「……おやすみなさい,クレア様。」
彼の甘い囁き声だけが耳の中に残る。
宵闇の中,紅い目だけが輝いていた。
なんかよくわかりませんが一話完結型で続いていきそうな気がします。まとめたほうがいいんでしょうかね。