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水風船

作者: お萩

明日、私は結婚する。

ーー正確には結婚式をあげる、だ。

結婚届は先週、彼と二人で役所に提出してきた。だから、書類上ではもう夫婦となっている。

同い年の彼とは幼馴染で、中学三年生の時に付きあい始めてから早十年が過ぎようとしている。大学を卒業し、社会人として働くようになって三年が経ち、ようやく仕事にも慣れてきたそんな頃、彼が「そろそろ俺と結婚しませんか?」と言ったのだ。夕食後、彼の部屋でまったりしていた時に、いつもと変わらない口調でプロポーズされた私は、思わず彼をまじまじとみてしまった。いつもと同じ穏やかな表情に反して、缶ビールを持った彼の右手はかすかに震えていた。緊張しているのだとわかると、なんだかくすぐったい気持ちになった。返事はもちろん決まっている。


それがだいたい半年前のこと。この六ヶ月は結婚の準備で慌ただしく過ぎて行った。そして、先週結婚届を出した日から、新しい家に住んでいる。二人で暮らすのにちょうどいい広さのアパートだ。普段はそれぞれ仕事をしている二人だから、仕事が休みの今日は朝から引っ越しの片付けに追われている。気づけばもう夕方だ。

「和夏」

玄関の方にいたはずの彼の声が、すぐ後ろから聞こえることに少し驚いて振り返る。

「今、近くの神社でお祭りやってるって。気分転換に行きませんか?」

彼は時折こうやって言葉の中に敬語を混ぜてくる。そんな彼の穏やかな口調と柔らかな雰囲気が和夏は好きだった。


神社に着くと、もう陽は落ちて、立ち並ぶ屋台の明かりが煌々と辺りを照らしている。せっかくのお祭りだから浴衣を着たかったかなぁとぼんやり思いながら、なんの屋台があるのかと見渡してみる。ふと、奥の方にある屋台の看板に目が止まった。

「あっ、ヨーヨー釣り!」

そう口の中でだけ呟いて、真っ直ぐにその屋台を目指す。特に彼に断りを入れたりはしない。私がこういう所で迷子よろしくフラフラすることを彼はよく知っている。お目当ての屋台の前で立ち止まり、色とりどりの水風船が浮かんでいる水槽を覗き込む。

「和夏は、昔から金魚掬いとかよりもヨーヨー釣りの方が好きだったよね」

私に追い付いた彼が横に並ぶ。

「んー、金魚掬いもほんとはやりたかったけど、猫飼ってたからそこは我慢かなって……。だから、代わりにヨーヨー釣り」

そう答えると、隣にいる彼が驚いたように一瞬私に視線を向けてきた。どうしたのかと私が彼を振り返る頃にはもう、彼の顔は前を向いて言葉を紡ぐ。

「すみません、ヨーヨー釣り一回お願いします」

「一回、300円ね」

気だるげなおじさんの声が値段を告げる。私が何もわからずに見ている前で、彼は財布から小銭を出しておじさんに渡す。かわりにおじさんは、糸の先に釣り針のついたものを「はいよ」と言って彼に渡している。

「和夏、よかったらどうぞ。久しぶりにヨーヨー釣りをしてみたら」

なんだか置いてけぼりにされていた私に向かって、彼が渡してくれる。こういう彼のスマートさはどこから来るのだろう。小さい頃から一緒にいるのだ。一体いつこんな気配りを身につけたのかといつも不思議に思う。


輪ゴムをはめた左手の中指の先で、白い水風船が揺れている。

ヨーヨー釣りを終えてから、二人は立ち並ぶ屋台を見て回った。特に何かを買うわけでも食べるわけでもなく、ただただお祭りの只中でその雰囲気を楽しむという感じで。

「和夏がヨーヨー釣り好きな理由知らなかったよ」

隣を見上げると、彼は前を向いたまま言葉を続ける。

「こんなに長く一緒にいるのに、まだまだ俺の知らない和夏がいる。不思議だね。でも、そのことを嬉しいと思うんだ。いつもそばにいるけど、鮮やかであせない」

ふわりと彼が私に向き直る。一瞬、私から視線を逸らすように目をさまよわせてから、はっきりとした意思を持って見つめてくる。

「やっと明日がくる。和夏、俺と一緒に生きてくれる?これからずっと」

少しの苦笑を口元に滲ませて彼は言う。その熱情には気づかないふりをして答える。

「もちろん。終わりの日まで」

少しの間を置いて彼がほっと息を吐く。

「透?」

尋ねるように彼の名を呟くと、顔を背けられた。

「うん、いや、ごめん。思ってる以上に緊張したみたいで。あと、今は顔を見ないでください。恥ずかしいから」

そう言って、先に歩きだす彼の背を追いかける。顔を見ない代わりに彼の左手に自分の指を絡ませる。

「帰ろっか」

たぶん、私は今すごくにやにやしている。それが声に伝わらないよう気をつけながら彼に声をかける。いまだ照れている彼からの返事はない。けれど、その代わりにか手を握り返してくれた。思いのほか強い力が右手に伝わってくる

やっぱり浴衣を来てくればよかったと思いながら、明日の結婚式へと思いを馳せる。きっとこれから二人は穏やかな記憶を積み重ねて行くのだろう。


-パシャン-

白い水風船の中で水が跳ねる。涼やかな幸せの音がする。


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