漁師たちの本土決戦
1.策略
海面と上空は、見渡す限り機影も艦影もない。今日も快晴。機関音が響く甲板では、照りつける日差しを浴びながら乗員が数人釣り糸をたれている。「かかった!大きいぞ!」船尾に陣取った徴用漁労員の高木が握る竿が大きく撓る。魚網が置かれた傍らで上村水兵長が半畳を入れ、高木がやり返して、近くの乗員達がどっと笑った。二人とも歳が近いせいか仲が良い。小型トロール船第三豊洋丸、特設監視艇隊(通称黒潮部隊)所属の五十二番艇。何もなければのんびりしたものだが、ひとたび敵に遭遇すれば過酷な運命が待っている。任務は“打つ”(敵艦隊ないし敵機編隊発見の急報)“撃て”(攻撃)、“突っ込め”(最後に敵艦へ突入)の三つだ。しかし、時速10ノット、武装といえば機銃一丁だけの監視艇は、敵機の編隊や艦隊を発見して無電通報出来れば幸いで、後は撃沈されるしかない。この黒潮部隊が設置されて以来、徴用された漁船の半数以上が失われている。敵来襲を打電できずに撃沈された艇も少なくない
「少尉さん、あそこの水兵長さんは何をしているんですかね」軍籍に編入される前、漁労長で、豊洋丸と共に徴用された八木が、魚網を前に先ほどから熱心に作業している上村水兵長を指差す。
「“雷撃員の俺が乗った以上、目に物見せてやる”といって、何か工夫しているようだ」
「トロール網で敵の潜水艦を生け捕りにでもしようっていうんですかね。網の口に何か付けていますね。何をやるつもりなんだろう」
「まあ、お手並み拝見を楽しみにしていようじゃないか」と、言ってふと思い出し、
「そういえば、自分も思い付いたことがあるんだ。八木さん、ちょっと来てくれるか」八木を誘って操舵室を出た。
後甲板には、13mm機銃が据えられている。当初7.7mmであった武装が、監視艇の被害が余りに多いため、強化されたものだ。艇によっては、8cm砲や25mm機関砲を備えているものもあるが、豊洋丸には行き渡っていない。もしあったとしても、機銃を6丁も備えた敵戦闘機や敵艦艇に対しては蟷螂の斧に過ぎない。
「この13mmだが、敵機などとまともに渡り合ったのでは勝ち目がない」
「せめて機関砲でもあるといいんですが...」
「無いものねだりしても始まらない。そこを工夫するのが人間だよ」隅にあるキャンバス地を指して、
「これを機銃にかぶせてくれ」
八木が近くに居た船員に声をかけ、一緒にキャンバスで機銃を覆い、
「それで、どうするんですか?」
作業がやっと終わったらしく、村上水兵長が船室に顔を出した。卓上には、みんなの釣った魚の刺身が大皿に盛られている。乗員の半数が食卓を囲み、海軍将兵と徴用された漁船員は半々だ。
「おお、見事だな。このマグロ、さっき高木さんが釣ったやつか?」
席に着き、早速箸を伸ばす村上に、
「水兵長さん、昨日から何を企んでいるんですか? 敵の潜水艦を網で召し取るつもりかね?」八木が一升瓶を抱えてコップについてやりながら冗談紛れに
聞く。
「いくらバカな自分でも、そんなこと出来ると思っていませんよ」
「でも、海軍さんには潜水艦を捕まえる網があるそうじゃないですか」機関員の木島が物知り顔に口を挟む。
「“捕獲網”な。確かに昔からあるが、漁船からじゃ海中に下ろせない。第一、あんな重いものを100トンそこそこの本船に積んだら沈んでしまう。まあ、俺に任せてくれ。細工は隆々だ」
作戦を聞かされて知っている先任下士官の大森兵曹長が、自分のほうを振り返り、
「しかし、艇長殿の戦法もそうですが、上手くいくでしょうか。敵がこちらの手に上手く乗ってくれれば良いんですが」
「上手くいく。そう信じて実行することだ。何事も信念と敢闘精神だよ」
刺身をつまみながら、江端上等水兵が目を輝かせ、
「敵機は、自分に任せてください。射撃は、対空班一でしたから、有効射程に入る前に撃ち落としてやります」
苦笑しながら「貴様は、駆逐艦に乗っていたとき対空戦闘員だったな。貴様にも働いてもらうぞ」
酒を含んで一呼吸置き、
「みんな、これからの戦闘要領は、明日説明する。そして訓練だ。いくら漁船の監視艇とはいえ、やられっ放しでは悔し過ぎる。一矢なりとも報いてやろうじゃないか」
2.演習
「敵機が本艇に機首をめぐらせ次第、甲板上にいる軍属のみんなは、遮蔽物の陰に退避してくれ。将兵はそのまま。機銃を覆っているキャンバスは、俺が命じるまで絶対に剥がしてはいかん。無防備を装うんだ。江端、我慢できるか」
江端上等水兵が“ウー!”と唸りながら、
「我慢できません! が、命令とあれば我慢します」
監視艇の武装が強化されるまでは、敵機ははじめに銃撃せず、超低空で艇すれすれを航過し、マストの間に張られた通信線を翼で切って行った。無防備な艇と見てくれるか否かが勝負の分かれ目だ。
「俺の合図で、キャンバスを一気に引き剥がす。それと同時に、江端上等水兵は位置に付き、直ちに照準、射撃する。覆いを剥がすのは栗本一等水兵と林二等水兵」命じられた二人が顔を見合わせ、頷きあう。
「攻撃の機会は、敵機が至近距離に機体を晒した時だが、数秒の間でしかない。敵機が艇上空を一航過する前後に打ち落とせなければ、次はないと思え。江端、よいか!」
江端が緊張した面持ちで頷く。
「敵機が複数の場合は、最初の一機を今の要領で迎撃する。後は、撃破されるまで撃ちまくるしかない」
みなの顔を見渡し「それでは、体が無意識のうちに動くようになるまで反復演習! 江端上等水兵は、充分に裾銃、空撃ち演習の後、弾帯一本分のみ実射演習を許可する」
機銃に走り寄り、演習を始めたみんなを後に、船尾に向かった。
船尾では、網の巻き上げデリックの周りに数人が集まり、瀬川二等兵曹と村上水兵長が、小型機雷を前に説明を行っている。
「要点は二つだ。一つは機雷。海中投下の際、機雷のツノに注意すること。機雷自体の扱いは、我々が行うが、網の投下は軍属の諸君らにやってもらう。これは接触機雷なので、その際、もしツノをぶつけると、一発で本艇が自爆してしまう」
徴用漁船員の高木と長谷川が、恐ごわ機雷を覗き込む。機雷は2発。瀬川と村上は、本艇に乗り込む前からアイデアを練っていたと見え、監視艇隊司令部を上手く丸め込み、本艇に持ち込んでいた。これを付けたトロール網を敵艦の進路上に流して、網が膨らんだところで切り離し、艦体に絡ませ網の両端に付けた機雷を振り子の要領で艦殻に打ち当てて、爆発させようというのだ。防潜網に接触した潜水艦が、絡まっていた浮遊物に艦殻を打たれたという話にヒントを得た、というが、上手くいくか否か、当たる方に余り賭けたいと思えない博打だ。
「もう一つは、攻撃の際の本艇の操舵だ。敵艦が魚雷を発射すると同時に直ぐに網を流し、直ちに転舵して魚雷を回避する。魚雷をかわしたら、直ぐに舵を元の進路に戻す。それで、敵艦は進路を変えず、流した網に向かってそのまま進んでくるはずだ」
「だけど、魚雷が網にぶつかって爆発してしまうんじゃないですか」長谷川が納得のいかない顔でたずねる。
「網の上端は、魚雷の進航深度より深くしてある。敵艦の喫水はそれより深いから、魚雷が上を通り抜けた後、魚網に引っかかる」
漁船員達が“そんなものかなぁ”と半信半疑で顔を見合わせた。
「ただし、これは相手が潜水艦のときだけに通用する戦法だ」
高木が、「水上艦だって、これでやれませんか?」
「水上艦の場合は、射程内に入り次第、遠くから砲撃してくる。本艇が沈むまで近寄って来ない。潜水艦なら、砲撃より魚雷で沈めようとし、一発目が外れれば、再度雷撃しようと、迫ってくる。相手が潜水艦であることを祈るしかない」村上の言葉に、瀬川が苦笑しながら、
「その前に、この奇策が現実的であってくれることを祈るんだな」
3.会敵
“○○番艇、北緯○○、東経○○。敵潜水艦潜望鏡発見、雷跡、本艇に迫る!”
“○○番艇、現在位置○○。敵B29の編隊、およそ150機、北東より接近!帝都に向かうものと認む”
付近の海域に展開する監視艇群が敵情を刻々と通報する無電が飛び込んで来る。
しかし、ここからは見渡す限りの大海原、視界内には監視艇も敵も見えない。
“敵爆撃編隊に直掩戦闘機群およそ50機が随伴。P51二機、本艇にむか..”
入ってくる無電が途絶する。視界の向こうで、監視艇群が抵抗空しく次々と撃沈されていく有様が伝わってくる。
「艇長、敵編隊が去った後に、せめて生存者の救助に向かわせてください!」
八木が訴えの声を上げる。徴用漁船員も、みな懇願の目を向ける。無理もない。
この海域に監視艇乗組員として徴用されている漁民は、ほとんどが親兄弟や子供、知人の間柄なのだ。内地では本土決戦が叫ばれて久しい。しかし、太平洋沿岸の漁民は、既に“彼等の海”の中で、本土決戦を戦っているのだ。
「ならん!現位置を離れることは許されん!」心を鬼にして厳命する。
「血も涙もないと思うだろうが、これが戦争だ。諸君は、軍に徴用された貴重
な戦力だ。耐え難い気持ちは解るが、犠牲者に報いるためにも任務を全うしてほしい」
そのとき、
「北西、3000m上空に敵機編隊!」見張り員の叫びに、双眼鏡を向けると、40機前後の戦闘機がはるか西の上空を東に向かっている。中の数機が黒煙を引き、他の機がそれを守るように周囲に編隊を組んでいる。本土上空で防空戦闘機隊の迎撃にあったのだろう。
「1機、発火!降下します!」編隊後尾にいたP51ムスタングが1機、炎を発して機首を下げ、やがて搭乗員が脱出して落下傘の花が開いた。
「来るかも知らんぞ!対空戦闘用意!」
他の機が本艇に気付き、脱出した搭乗員を助けるために本艇を攻撃してくる
か!みなが身構える中、敵編隊は、しかし、そのまま東の空に去っていった。
みな、安堵のため息をつく。本艇に気付かず、帰投の燃料も残りわずか。後の救助は他に任せたのだろう。しかし、敵の飛行挺なり潜水艦が直ぐにやって来る。
「今の敵編隊が通報しているはずだ。直ぐ、何かが敵搭乗員を拾いに来るぞ。
見張りを厳となせ!」
4.銃撃戦
敵編隊が去って、1時間ばかり。焼け付くような陽射しの海面と上空には何も見えず、海面に浮かんでいるはずの敵搭乗員も、ここからは見えない。静寂が、かえって不気味だ。甲板では、昨日とは打って変わった緊張の面持ちで、みな監視を続けている。やがて、
「東南上空に敵機!」見張り員の叫びと共に、かすかな爆音が伝わってくる。
「PBYだ!」
敵搭乗員が浮かんでいると思われる、はるか東の海面上空をカタリナ飛行艇が一旋回して着水。搭乗員を回収したのだろう、見る間に離水し、再び上空で旋回した後、機首を本艇に回らした。
「こちらに来るぞ!対空戦闘、配置用意!命じたとおり、自分の指示あるまで機銃の覆いを外すな!」
「この状況では、始めから撃ってきますね!どうしますか?!」八木が緊迫した声を上げる。
「命じたとおりの要領で闘う。PBYは機首と両機側に機銃座が合わせて三つだ。まずは、一番口径の大きい機首の12.7mmで攻撃するために直進してくる。飛行艇なので、機底に銃座はなく、機の真下は死角だ。はじめは敵に撃たせ、本艇の上空を低空航過する瞬間を捉えて射撃する。江端上等水兵よいな!」
言葉が終わらないうちに、敵機の爆音が迫り、機首の銃座から火箭が走った。
瞬時に着弾、甲板に木屑が舞い散る。
“二等兵曹殿!危ない!”船尾で村上水兵長が叫ぶ。
「今だ!行け!」江端が銃座に飛びついて槓桿を引き、キャンバスを引き剥がす栗本一水と森二水を待つのももどかしく射撃を開始する。機銃弾が飛行艇の厚い機底に着弾して跳ね返され、火花を上げる。
「江端!翼だ!発動機を狙え!」
敵機が頭上をかすめる。
「くそったれぇー!!」江端上等水兵が機銃を撃ちまくる。耳を聾する爆音と共に飛び去る敵機を火箭が追う。
“だめか!外したか!”そう思った瞬間、ボッ!エンジンから炎を噴き、左翼が根元から折れた。敵飛行艇は、見る間に左に大きく傾き、水面に激突。巨大な水しぶきを上げて横転した。
「みな、大丈夫か!?」機銃にしがみついたまま呆然としている江端上等水兵の肩を叩き、周りに声をかける。遮蔽物のそこここから、みんなが起き上がってくる。
「艇長!来てください!」村上水兵長の叫び声に、八木と共に船尾に走ると、瀬川二等兵曹が血溜まりの中で事切れており、その傍らで高木が、置かれた木箱を抱えるようにして突っ伏している。
「高木、どうした!やられたのか!」八木が抱き起こす。
「敵機は...どうなりましたか...?」高木が苦しそうに顔を上げた。敵機の兆弾が胸をえぐったのだろう。上半身が木箱と共に朱に染まっている。
「撃墜されたぞ!見事に!」八木の言葉に、満足そうに笑みを浮かべながら、
「そうですか...よかった! 少尉さん、次はこれで敵を...」抱いていた木箱を差し出そうとしながら、ガクッと首を落とした。
「高木さんは...身を挺して機雷を守ったのであります! 機雷を守ろうとして二等兵曹殿が撃たれ、自分が行く前に、高木さんが機雷に覆い被さって撃たれたのであります」村上水兵長がウッ!と嗚咽する。
5.蟷螂、鯨を制す
“構え!撃て!”栗本一水と林二水が放つ弔銃が響く中、瀬川と高木の遺体が軍艦旗に覆われた水葬台を滑り落ち、海中に消えて行った。無電の傍受を通して監視艇隊の身内の悲劇に接し、戦争の悲惨さを実感した軍属の漁民達も、初めて目の当たりにした戦死者に、改めて悲壮感が深まる。
軍属に死者が出た場合、遺体は冷凍保存し、帰還の後遺族に渡す手順になっていたが、八木はじめ徴用漁民たちが“戦死したのだから軍人として扱って欲しい”と懇願し、一緒に水葬に付されたのだった。
「先の戦闘で諸君らの仲間が倒れ、今本艇からも戦死者が出た。辛いことだ。が、戦争は終わっていない。最後まで本分を全うしてくれることを期待する」
操舵室横のハッチが開き、
「艇長、電信室へ!監視艇隊本部より指令電であります」千葉上等水兵が顔を覗かせ叫んだ。
“五十二番艇は、速やかに艇隊基地に帰投せよ”電信室に入って、渡された電文を見、千葉上等水兵に、
「八木漁労長と大森兵曹長を至急呼んでくれ」
間もなく駆けつけた二人に、
「基地に帰れ、という指令だ」
「私達は、除隊、ということでしょうか」八木の顔に期待がよぎる。
「いや、残念だが監視海域の配置換えだろう。みんな、基地に帰っても、自宅に戻って家族に会える時間があるかどうか解らない。直ぐに出撃となるのを覚悟するように、貴方からみなに上手く伝えてほしい」
と、その時、
「右舷後方に潜望鏡!」船尾見張り員が叫んだ。電信室から甲板に飛び出し、
「対潜戦闘用意!」
村上水兵長が船尾に走り、
「魚網!投下用意!」数名がデリックに取り付く。
「敵潜!魚雷発射しました!」
「魚網投下!」機雷を両端につけた魚網が、音を立てて水中に流される。
「敵潜、浮上します! あっ!敵潜、右舷に転舵します!」
“気付かれたか!”船尾から何か投下したのを見て避けようとしているのだろう。
「面舵一杯!機関全速!」それより、今は魚雷を避けることが先決だ。
白い航跡が急速に近づいてくる。“間に合うか!?”
シュー!と音を立て、魚雷が右舷擦れすれを通過する。当たらなくても金属に反応する磁気魚雷であれば、木造船でない本艇はやられていた。助かった。が、敵潜は既に右舷に回り、再発射の位置に付こうとしている。“これまでか!”覚悟を決めた。
「あっ! 魚網、右舷方向に急激に流されています! 敵潜、魚網に直進します!」
次の瞬間、敵潜の後尾に高い水柱が吹き上がり、ドーン!轟音がとどろいた。
「?なぜだ!?」呆気に取られている自分に、八木が、
「黒潮の仕業ですよ。このあたりは黒潮の流れが特にきついんです。漁師のくせに、それをすっかり忘れていたとは、廃業しなくちゃなりませんね」
「漁師を辞めて海軍に宿替えしてはどうかね。歓迎するよ」
終章
「艇長、帰投命令も出ておりますので、また敵が来ないうちに退散しますか?」
大森兵曹長が口を挟む。
「そうだな。帰投するぞ。敵爆撃機編隊との戦闘があった○○海域を経由してな」
漂流中の監視艇乗員を救助し、本土に帰還した豊洋丸は、それから一週間後、再度出撃準備中に終戦を迎えた。太平洋戦争中、監視挺として徴用された漁船総数400隻。その半数以上が失われ、総兵員数6,000名のうち2,000名が洋上に散った。その大半は、徴用漁民であった。重い数字を残こし、漁師たちの本土決戦は幕を閉じた
完