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ヴェネチアからパリへ
「私には家族なんていない」
あるのはヴィヴァルディ先生教えていただいたフルートだけ。
SLを降りたパリの町はヴェネチアとは違うにおいがした。
生まれて間もなく私はピエタ院の玄関にフルートと共に捨てられていた。
それから私は音楽で生きてきた。
辛い練習も年上のお姉さまたちにいびられても私は、ヴィヴァルディ先生のこの言葉だけを支えに生きてきた。
「音楽を続けてコンクールで優勝すれば君のご両親にも会えるかもしれない」
16歳になった私はパリの音楽院に通うことになり、ヴェネチアの町を後にした。