前編
クリスタルのシャンデリアが、王城の大広間を絢爛に照らしていた。
カイル王太子の二十歳の誕生日を祝う夜会は、数多の貴族令嬢のドレスの裾をきらめかせ、甘い香りで満たされていた。
誰もが、この華やかな宴が、突如として血まみれの断罪の場へと変貌するとは思いも寄らなかっただろう。
「フィオナ・アボット!貴様の悪行は、もはや看過できぬ!」
王太子カイルの声は、雷鳴のように響き渡り、音楽と笑い声を一瞬にして掻き消した。
彼は庇護すべき平民出身の令嬢アメリアをかばうように立たせ、憎悪に燃える瞳でフィオナを射抜く。
アメリアは涙をにじませ、カイルの胸元に顔を埋めた。
『酷い仕打ち』を受けたのだと、悲劇のヒロインのように。
社交界での無視、学園での意地悪、持ち物の破損——聞き慣れた、都合のよい糾弾が並ぶ。
だが、断罪の渦中にあるはずのフィオナは、微塵も動揺を見せなかった。
薄紫色の瞳は冷徹に周囲を見渡し、口元には一片の嘲笑が浮かんでいる。
「殿下。もう少し具体的にご説明いただけませんでしょうか?」
怒号に対し、彼女の応答は驚くほど静かだった。
それが、広間全体を支配するような圧を帯びる。
「フィオナ、聞いているのか!アメリアの心は貴様のせいで深く傷ついているのだ!」
カイルは怒りに任せて声を荒らげた。
かつて永遠を誓ったはずの男は、今や彼女の言葉を一つも聞こうとしない。
その瞳に残っているのは、真実ではなく盲信だけだった。
「殿下。感情的なご主張だけでは、この場にいる皆様も困惑なさるでしょう」
フィオナは淡々と告げる。
「私は、具体的な罪状と、それを裏付ける証拠を求めます。ないのであれば、それは告発ではなく、ただの言いがかりです」
ざわめきが走った。
夜会の空気が、少しだけ冷える。
カイルは言葉を詰まらせ、苛立ちを強めた。
「証拠だと?貴様がどれほど狡猾に振る舞ってきたか、知らない者がいるとでも思っているのか!」
そして、剣の柄に手をかけ、宣言する。
「よって、王太子カイルの名において、フィオナ・アボットとの婚約を破棄する!さらに、貴様は公爵令嬢の地位を剥奪され、即刻、王都より追放されるものとする!」
広間は息を呑んだ。
アメリアは、勝利を確信したように微笑む。
しかしフィオナは、微笑んだ。
それは、負けを悟った者の笑みではない。盤上の罠が閉じた瞬間の、勝者の笑みだった。
「承知いたしました、殿下」
フィオナは深々と優雅なカーテシーを取りながら、スカートの裏地に指先を滑らせた。
そこから引き抜いたのは、涙を拭うハンカチでも扇でもない。
革装丁の分厚い一冊の法典だった。
「殿下、並びに、この宴にお集まりの皆さま」
彼女は法典を掲げる。
その仕草だけで、空気が変わった。
「今から私は、王国の法に基づき、異議を申し立てます。ここは、感情の舞台ではありません。証拠と手続きの場です」
カイルが顔を紅潮させる。
「ふざけるな!これは王族の裁定だ!」
「王族であっても、法の外ではありません」
フィオナは一歩も引かない。
「証拠なく公衆の面前で名誉を毀損し、さらに追放まで宣告する。手続きが欠けた裁定は無効です。——殿下は今、私を裁くつもりで、ご自分の違法を宣言なさいました」
広間の視線が、カイルへと移り始める。
彼は、ここで押し切れなければ威厳が崩れると悟り、最後の拠り所を持ち出した。
侍従が運んできたのは、深紅のインクで汚された刺繍入りのハンカチと、裂かれたシルクのドレスの残骸だった。
「これを見よ!これが動かぬ証拠だ!」
「その『証拠』は、誰が、いつ回収し、誰が保管し、誰の立ち会いで封緘されましたか?」
フィオナの問いは短い。
そして重い。
「被害者が自分で持ち歩いた私物を、第三者の介入なく『証拠』と呼ぶことはできません。偽造の可能性を排除できない以上、この場での断罪の根拠にはなり得ません」
カイルの口が、空回りを始める。
アメリアの指先が震え、カイルの袖を握りしめた。
「殿下。貴方がたは涙を『正しさ』にすり替えている。でも法が問うのは、かわいそうかどうかではなく、事実です」
フィオナは視線をアメリアへ向ける。
「アメリア嬢。あなたは私があなたを階段から突き落としたと主張しましたね。先々週の月曜日、午後三時、と」
アメリアは反射的に頷きかけ、はっとする。
「庭園の管理執事が証言できます。あなたの『被害』の時刻は記録と一致しません」
侍従が、公文書を差し出す。
公証印が押された交易協定調印式の記録だ。
「私はその日、港町サザンクロスで公務に就いていました。王都からは最短でも三日の距離。つまり、あなたの罪状は『物理的に実行不可能』です」
息を呑む音が重なる。
同情も興奮も、矛先を変える瞬間のざわめき。
カイルは、ようやく理解した。
フィオナは今夜、反論のために立っているのではない。
最初から『裁く側』としてこの場に立っていたのだ。
「証拠は保全されておらず、証言は矛盾し、私は完全なアリバイを提示しました。私は無罪です」
フィオナは法典を胸に抱き、淡々と言い切る。
「一方で、殿下とアメリア嬢が行ったのは、名誉を傷つける虚偽の告発と、それを権威で押し通そうとした違法な裁定です。この場にいる全ての方が証人ですわ」
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