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5.女神への憤怒

 アリス邸に戻った後は、庭の畑に水を遣って土いじりをしてから、軽く腹ごしらえをする運びとなった。献立はお馴染みの黒パンと豆のスープであった。京司郎からは缶に入ったコーヒーとナッツ味のクッキーを提供する。アリスはそのどちらも幸せそうに食してくれた。


 昼を過ぎてからは狩りに出るということで京司郎も準備をする。

 鍛冶屋で購入したばかりの斧槍は車内に入りきらないため屋根の荷台に括り付ける。剣は後方の荷物入れに突っ込んだ。膝と肘には外付けの防具(プロテクター)を装着する。学生時代、二輪(バイク)に乗っていた頃の装備であり、何となく捨てられずに保管していたものである。フルフェイスの安全帽(ヘルメット)を被るかも迷ったが、視野が狭くなるのを厭うてやめることにした。


 助手席に座ったアリスはいつも通り革の装備で身を固めていた。

 車を走らせて門の前に停めれば、詰所から昨日と同じ髭面の門衛が出てくる。京司郎を見るなり頼み込むような仕草をしてから手を差し出すものだから、京司郎も仕方なしに在庫のカートンに手を着ける。一本を差し出して火を点けてやれば、初日と同じように美味そうに喫った後、閂を外して脇に立て掛ける。


 村と街道を繋ぐ門が開かれれば、京司郎はギヤをニュートラルから一速に入れ、ハンドブレーキを解除して発進させる。路面は舗装されていないため、上げても三速が限度であった。


「アリス。今回は何を狩るつもりなんだ」

「狼や蛇、できれば鬼も狩りたいですね。あとは薬草と薪も欲しいです」

「狼や蛇、薬草や薪は分かるが――鬼だって。危険じゃないのか」

「危険です。でも私達はふたりです。私がキヨシロウさんを守ります。素材を冒険者ギルドに買い取ってもらえば生活も豊かになります」


 力説するアリスの圧に負けて京司郎は頷く。現在、アリスの厚意で世話になっている身の上を思えば頷かざるを得なかった。ここいらで働き、家に金を入れなければただの穀潰しである。


「分かった。だが私だって武器を買ってもらったんだ。自分の身は自分で守るとも」


 他の生物を殺すことに抵抗はなかった。生きるために殺すのである。そう思えば、数日も経っていないというのに、温和な日本人としての品性が遙か遠いところに行ってしまったような気がして、京司郎は自分が酷く残酷な生物に変わってしまったかのような錯覚を抱いた。


 ほどなくして近くの森に着いた。昨日痛む足を引きずりながら歩いた時は体感一時間以上かかったというのに、車であれば僅か数十分程度の道程(みちのり)なのだから実に便利なものである。


 車は往来の邪魔にならぬよう街道の隅に駐車した。

 後部のドアを開けて、直剣を下げた安全帯を腰に巻き、屋根から斧槍を下ろせば京司郎の準備は終わる。腰袋の中には薬箱から取り出した消毒液と包帯を詰め込んでいる。

 アリスは一発一発弾丸を拳銃に込めた後、銃口を上部に向ける。


 二人で森を散策すれば、最初の獲物はすぐに見付かった。

 人間の屍体に集り、(むさぼ)るようにして内臓を食い散らかす二頭の狼であった。屍の容貌は京司郎の立ち位置からでは判然としない。二頭は余程夢中になっているのか忍び寄るアリスと京司郎に気付くことはなかった。二人の位置が風下になっているのも好条件である。


「アリス。どうする」

「まずは私が。仕留められずに向かってきたらお願いします」

「了解した」


 京司郎が頷けば、アリスは二発発砲した。

 弾丸が一頭の頭部を貫き、もう一頭の首を掠めるのが見えた。


「キヨシロウさん、来ます!」


 アリスが叫ぶより早く、命中を免れた狼がアリスに向かって飛びかかる。だがその時には、京司郎は斧槍を薙いでいた。刃が狼の顔面に食い込み、狼は血飛沫とともに宙を舞う。それでも死なずに四本の脚で着地したところを、斧槍の重量を生かした一撃で脳天を叩き割る。狼は死の(けい)(れん)に取り憑かれるが、それもすぐに動かなくなる。


 京司郎が斧槍を引き抜けば、刃には血と(のう)漿(しょう)がベットリと付着していた。今まで動物を積極的に殺したことのない京司郎は、そのあっけなさに放心しかけるが、そんな場合ではないのだと気を引き締める。ここはもう危険地帯なのである。血の臭いに誘われ、いつどんな獣がやってくるか分かったものではない。

 森の生態については詳しくないため分からないが、熊や虎のような大型の獣と遭遇したら生きて帰れるかも怪しいだろう。遺体の確認だってしなくてはならない。


 京司郎が屍に近付けば――女であった。否、それしか分からなかった。それでも無理矢理特徴を挙げれば、右手には短刀が、左手が小弓が握られている。同業者であったらしい。


 ガサリ、という音が聞こえて京司郎が返り見れば、アリスが二頭の狼を担ごうと苦戦しているところであった。


「キヨシロウさん。運ぶのを手伝ってくれませんか?」


 屍など眼中にないようにアリスは言った。


「……分かった。今、行く」


 応じた京司郎は、自分が殺した方の狼を担ぐ。血やら髄液やらで作業着が濡れる感触がしたが、元より作業着は汚れるために着ているものである。大して気にならなかった。


「アリス。あそこにいた屍体はそのままで大丈夫なのか」

「何が、ですか?」

「放置していたら疫病が広がるかもしれない。せめて埋めるか燃やすなりしてやりたい」

「何もしなくて大丈夫です。きっと明日の朝には食べられて骨になっていると思います。魂も女神様の許へと昇り、永遠の安息を得ることでしょう」

「なるほど。そういうものなのか」


 日本人としての感覚が抜けきっていない京司郎にはまだ言いたいことがあったが――遺品や遺髪のひとつくらい持ち帰るべきではないのか。女神とはどんな神なのか。一神教なのか多神教なのか。私達がこんな目に遭うのだからきっと(ろく)でもない神なのだろう――この世界の分別すらままらなぬ己が口を挟んでも良いことはないと思い、無理矢理己を納得させた。


 現在、京司郎が知り得たことは。


 交渉事には煙草が役立つことと。

 斧槍が思いの外、手に馴染んだこと。

 奴隷には人権たるものがないという悲しき現実の三つである。


 ――こんな体たらくで、よくこの世界で生きると決めたものだ。


 京司郎が自嘲すれば、気配を察知したアリスが振り返る。その顔は笑顔であった。


「嬉しそうだな、アリス」

「はい、とても嬉しいです。だって狼が二頭もです。キヨシロウさんが狩ったことにすればいつもより高く売れるはずです」

「こいつは金になるのか」

「毛皮も取れますし、肉だって食べられます。牙や爪も加工すれば針になります。狼は羊や牛を襲いますから、少ないけれど報奨金だって貰えるんです」


 そう語るアリスについていった先は、清水が流れる沢であった。アリスは狼の骸を水に浸すと、黒曜石のナイフで首を切り裂いて血抜きをする。京司郎も見様見真似で、持参したナイフで狼の首を切りつけるが、既に頭蓋が割れているためアリスほどの血は流れなかった。

 以前見た文献では木などの高所に括りつけていたなと近辺を見回すが、生えているのは低木ばかりで、とても血抜きに使えるようなものはなかった。


 それからの狩りも順調であった。追加で狼を一頭、大蛇を二匹仕留めると、同じように血抜きをしている間に、今度は薪を拾い集める。長過ぎたり枝分かれしたりしているものがあれば一本一本折るか斬るかなりして麻縄で一括りにしてしまう。

 アリスは薬草摘みと並行して簡単そうに拾い集めるが、身長のある京司郎にとっては腰をいちいち屈めることとなり、大変苦痛な作業であった。


 薪の束ふたつと血抜きを終えた獣達を車に乗せれば日も傾き始める。アリスはこのまま村まで帰ろうと助手席に座るが、京司郎はどうしても済ませておきたい用事があり、車に積んでいた軍用シャベルを取り出す。


「キヨシロウさん? どうしたんですか」

「いや、なに。ちょっとした野暮用だ。君は車で待っていてくれ。すぐに終わらせる」


 京司郎が言えば、アリスは素直に頷いた。用を足すのかと思われたのかもしれないが、かえって都合が良かった。


 右手には斧槍を、左手にはシャベルを持ち、京司郎は迷わずに森を進んでいく。目的地は同業者の屍がある場所であった。

 やはり、いくら明日には鳥獣の餌となり果てようとも、未だ日本人としての感性を捨てきれずにいる京司郎にとっては遺体をそのまま放置することはできなかった。たとえ死後の魂が楽園とやらに運ばれるのだとしても。


 屍には既に鬣狗(ハイエナ)禿(はげ)(わし)(たか)っていた。禿鷲は京司郎を見るなり飛び去り、鬣狗は威嚇するが、京司郎が斧槍を振り上げれば尻尾を巻いて逃げ出していった。


 斧槍を地面に刺した京司郎は、屍に向かって手を合わせ、しばしの黙祷を捧げる。

 その後はシャベルを使い屍体に柔らかな土を被せる。黙々と作業を続ける中、なぜ己はこのようなことをしているのだろうと自問する。己と屍は何の関係もないただの他人である。顔見知りと言いたいところであるが、その顔すらも分からない。


 ――疫病の発生を防ぐためか。


 それは間違いなくそうだろう。狩り場のひとつを清潔に保ちたいという考えは間違っていないはずである。だが今ひとつ響かない。


 ――憐れみを覚えたからか。いつか己もこうなると思ったからか。


 それも確かにあるだろう。昨日、アリスに助けられなければ自分は間違いなく死んでいた。

 だが、これも違う気がした。そこまでを考えていれば、屍体は土で隠される。

 京司郎は自身の胸に巣くう違和の正体を掴み取る。


 ――怒っているのだ、私は。この世界の在り様に。神という存在に。


 京司郎は屍体を覆う土を怒りに任せて踏み固める。自身は熱心な宗教家でもなければ、真逆の無神論者でもない、どこにでもいる中庸な人間ないし日本人であると自覚していたが、それでも――否、だからこそ――この現状を見過ごすことはできなかった。だからこの行為は、この供養は、死がありふれた世界に対する一種の当てつけなのだと京司郎は理解する。


 思索に集中するあまり、注意散漫になっていたのがいけなかった。

 後背から茂みを掻き分ける音がしても、アリスが様子を見に来たのだと思ってしまった。

 違うと分かったのは、何者かの影が京司郎を完全に覆い尽くしてからだった。


 振り向けば、鬼がそこにいた。

 手にした棍棒を真横に振り被り、今にも薙ぎ払わんとするところであった。


 シャベルを手放し、斧槍を持って転がるように回避すれば、京司郎の身体を棍棒が掠めた。直撃すれば、打撲はおろか容易に骨折してしまうような力任せの一振りであった。

 京司郎を仕留められなかったことに腹を立てたらしい鬼は、(いなな)きとともに、狂ったように棍棒を振り回すが、その頃には、京司郎は間合いから脱していた。


 ――さて、どうする。逃げるか、殺すか。


 京司郎が逡巡していれば、逃さんとばかりに鬼は距離を詰めて――屍者が眠る土を蹴った。中から顔面と内臓の欠落した(むくろ)が転がり出てくる。

 その光景を目にした瞬間、京司郎の腹は決まった。この世界にいる神はどうしたって屍者を冒涜したいらしいと思った。そう思った時には跳躍して、斧槍を袈裟に斬り落としていた。


 だが、斧槍は鬼を両断しなかった。

 棍棒によって防がれる。

 鬼が棍棒を振り払えば、半ば棍棒に食い込んだ斧槍は京司郎の手を離れ、あらぬ方向へ飛んでいった。それを視線で追ってしまったのが致命的な隙となった。


 鬼は京司郎目がけて、またも横薙ぎの一撃を繰り出すが、京司郎は両肘の防具で防御する。衝撃の瞬間、みしり――と骨が(きし)む音がしたが、それだけであった。鬼が次の動作に移るよりも早く、京司郎は左腰の直剣を抜いて鬼の腹部を貫いた。そのまま勢いに任せて蹴り倒せば、鬼は仰向けに転がる。だが棍棒を固く握り、ゼエゼエと呼吸する辺り、致命傷とまではいかないらしい。

 京司郎に迷いはなかった。鬼に馬乗りになり、何度も何度も憑かれたように、首から腹部にかけてを十箇所以上も貫く。我に返った時には、鬼はピクリとも動かなくなっていた。


 鈍々(のろのろ)と立ち上がった京司郎は、斧槍とシャベルを拾いに行く。

 改めて屍者を埋葬した時には陽も完全に暮れてしまった。


 京司郎が車に戻れば、アリスは心配したように助手席から出てきた。

 それほどまでに己の格好は酷いのかと京司郎が自身を見下ろせば、返り血に(まみ)れていないところがないくらい全身が濡れていた。嗅覚は麻痺しているため分からないが、きっと酷い異臭を放っているのだろうと京司郎は苦笑する。


「キヨシロウさん。何があったんですか?」

「いや、なに。そこで鬼と遭遇したんだ。奴と格闘していたらこんな時間になってしまった。待たせて申し訳ない」

「鬼ですか。怪我はありませんか?」

「私なら大丈夫だ。それより鬼の屍体はどうすればいい。何をすれば良いのか分からなかったから今は放置をしている」

「鬼なら討伐証明が右耳ですから、削いで持ってくればいいです」

「右耳だな。分かった、行ってくる」

「待ってください。私も行きます」

「ありがとう。心強いよ」


 京司郎は懐中電灯で足許を照らしながら進む。鬼の周りにはまたしても数頭の鬣狗達が群がっていたが、懐中電灯の真っ白な光に驚いたのか一目散に逃げ出していった。


「こいつだ。随分と苦戦させられた。鍛冶屋の爺様から直剣を買っておかなければ私は今頃死んでいただろう。鍛冶屋様々――いや、待てよ。煙草あってのサービスだったのだから愛煙家の勝利だな」

「愛煙家? 愛煙家とはなんですか」

「煙草を愛する者のことだよ」


 京司郎が答えれば、鬼の屍体を観察していたアリスが顔を(しか)めた。


「私は、煙草の臭いは好きじゃありません」


 アリスは鬼の耳を器用に切り取ってみせる。懐紙に包んだ後、鞄の中に収める。


「分かった。極力、君の前では喫わないことにするよ」

「極力ですか?」

「できるだけ頑張るという意味だ。だが絶対ではない。禁煙なんて無理だ」


 京司郎が音を上げれば、アリスは愉快そうに微笑んだ。どうやら分かった上でからかわれていたようである。


 結局、アリスと京司郎がネイロ村の門をくぐったのは夜になってからであった。

 アリス邸に駐車した後、狩りの成果物を土間に運び込む。血抜きを済ませているため、狼も蛇も随分と軽く感じられた。

 遅い時間となってしまったため、売却は明日となった。

 獣と血の臭いがこびりついた車内で京司郎は替えの作業着に着替える。血塗れになった方は、ハンガーに吊して消臭剤を振り掛けるが、果たしてどれだけの効果が得られるのか分かったものではなかった。


 車から出た京司郎は、充電式の照明を点け、屋根に積んでいた斧槍を下ろして、刃を見る。血が付着しているだけで刃毀(こぼ)れもガタつきもなかった。直剣も()めつ(すが)めつ眺める。両者ともにクリーナーを()()してウエスで擦れば、こびりついた血も除去することができた。

 後始末を終えた京司郎は、照明を片付けて煙草を銜える。オイルライターで火を点け、煙を吐き出せば、ようやく非日常から日常に帰ってきたような気分になる。


 ――何が日常だ。この世界に来てまだ三日も経っていないというのに。


 目を閉じ、鬼との戦闘を想起する。どちらが死んでもおかしくなかった戦いであった。

 事実最初の横薙ぎを転がりながら回避した時も、斧槍を払い飛ばされた時も、棍棒の一撃を受けた時も、死を覚悟した。その反動ゆえか、直剣で鬼の腹部を貫いた時、凶暴で抑制の利かぬ殺意のみがあった。人間があれほどに狂ったようになれるのかと驚いた反面、その狂気に救われたのもまた紛れもない事実であった。


 ――だが、しかし。


 京司郎は思う。

 やむなきこととはいえども、日本人として超えてはならぬ一線を軽々と超えてしまったような気がしてならなかった。

 狼を叩き殺したことはまだ良い。あれは所詮四本脚の獣である。だが鬼はどうだ。

 別に二本脚で歩くから人間と同類なのだと言うつもりは毛頭なかったが、腹に剣を突き立てた時――硬い皮膚を突き破り、腹膜を貫き、内臓をブチブチと千切り穿(うが)つ感覚に――快楽を覚えはしなかったか。初日に散々殴打された仕返しをしてやるのだと悦に浸っていなかったか。こんな境遇を用意した神に一矢報いてやるのだと笑みを浮かべてはいなかったか。


 京司郎は長くなった煙草の灰を落とし、自身の(あご)を撫で回す。甘い芳香のせいか、ニコチンとタールが効いたせいか、精神は弛緩していた。表情筋もまた然り。何があっても平然としているいつもの自分がいるだけであった。

 そこで京司郎は覚る。安寧な生活に慣れきった京司郎という人間は死んでしまったのだと。ここにいるのは新たな世界で生き抜くことを決めたもう一人の自分なのだと。


「キヨシロウさん。ごはん、できましたよ」


 京司郎が自身の葛藤に一区切りつけた時、ちょうどアリスが玄関から顔を覗かせる。


「分かった、今行く」


 そう答えた京司郎は、煙草の火を地面で揉み消すと、携帯灰皿に吸い殻を押し込む。車の棚からいつものコーヒーとクッキーを取り出す。今回はフルーツ味であった。

 京司郎が食卓に着けば、昼間と同じ豆のスープと黒パンが提供される。食前にアリスが祈りを捧げることも、クッキーとコーヒーを分け合って食べることも変わらない。だが京司郎は、アリスが祈りを捧げる対象もとい宗教観が気になったので尋ねることにした。


「なあ、アリス。君はいつも食事の前に祈るけれど、誰に対して祈っているんだ」

「女神様に祈りを捧げております」


 コーヒーを注いだ木製のカップを傾けながらアリスは答えた。


「女神というと、広場の噴水にもあった白い石像のことか」

「そうです。罪と罰、そして運命を(つかさど)る神様です」

「司るとはまた難しい日本語を知っているな。その女神はなんていう名前なんだ」


 京司郎が質問すれば、アリスは困り顔を浮かべる。


「どうしたんだ。聞いてはいけないことだったのか」

「女神様の名前はあります。でも、みだりに口にしてはいけません。そういう規則(きまり)になっているんです。知りたいですか?」

「いや、それならば止しておくよ。女神の他にも神様はいるのかい」

「います。でも一番偉いのは女神様です。どこの教会に行っても女神像があります」


 そこまで解説したアリスはクッキーを美味しそうに頬張る。独特の食感がするフルーツ味ゆえに京司郎は敬遠していたが、どうやらアリスは気に入ったらしい。


「そういうことなら女神には少しくらい感謝してやってもいいな」


 京司郎が言えば、アリスは不思議そうな顔をしてみせる。


「なぜですか?」

「私と君を引き合わせてくれたからだよ。君がいなければ私は野垂れ死んでいただろう。私は君に救われたのだ。照れ臭いが君には本当に感謝している。明日からもよろしく頼むよ」


 京司郎の告白に、アリスは俯きながら頷いた。灯具がアリスの白い顔を薄ボンヤリと照らす。美しい顔だなと京司郎は思う。


「明日のことなんですが」


 アリスは言った。


「明日は冒険者ギルドに行こうと思います」

「冒険者ギルド。それは一体何なんだい」

「私達のような狩猟をしたり素材を集めたりする者達のために作られた組合です。仕事の紹介や(あっ)(せん)、獲物や素材の買い取りだってしてくれます。私は奴隷だから利用できませんが、キヨシロウさんなら話は別です。登録すれば認識札(タグ)を貰えて、身分証にもなります。登録料金こそ取られますが利点(メリット)の方が大きいです。父さんも登録しておりました」

「ふむ。便利なのは分かったが、前にも言った通り私は一文無しだ。登録料は払えないぜ」

「大丈夫ですよ。私が払います」

「何から何まで済まない。君には本当に世話になりっ放しだな」


 京司郎が頭を下げれば、違いますよ、とアリスは即座に否定する。


「私は奴隷ですから、物を売るのも買うのも大変なんです。狼の毛皮だって銀貨一枚にしかなりません。でもキヨシロウさんなら違います。正しい価格で売ることも買うこともできます」

「本当かい。正直不安だな。何せ私は言葉が分からない異邦人だ。足許を見られてぼったくりに遭うんじゃないか」

「ぼったくり? ぼったくりとはなんですか」

「騙されて安く買われるかもしれないことだ」

「それはありません。なぜなら不当に安く買い取ることも、反対に高く売ることも、法律で禁止されているからです」

「法律」

「はい。領主様が決めて、それを破ったら商売ができなくなります」

「この世界は商売人に対して厳しいんだな」


 京司郎が呟けば、奴隷に対しても厳しいですよ、とアリスは遠慮がちに主張する。


「そういうわけですから京司郎さんは気にしないでください」


 アリスは励ますように笑みをつくる。その姿がなぜだか(はかな)く見えて、京司郎は何も言えなくなってしまった。


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