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18.酒場にて

 アリスが復活してからは冒険者ギルドに寄り、素材の買い取りと討伐証明の報酬を受け取ることにした。鳥女の羽毛は金貨二枚に、十頭分の討伐証明は銀貨五十枚になった。

 その金でアリスとジャックは少々遅い昼食を摂るため食堂に向かう。今日も今日とて店内は人でごった返していたが、アリスがカウンターに空席を発見してそこに並んで座る。


 着席した二人を目敏く見付けた獣人の女給が注文を取りに来る。アリスが質素なパンとスープを、ジャックが米を食いたいという理由でリゾットを頼むのもいつものことであった。


 料理はすぐに来た。

 アリスの食前の祈りを終わるの待っていれば。


「へっ。奴隷なんかが神に祈って何になる」


 という無粋な声が後ろから聞こえた。ジャックが振り向けば、木製のジョッキ片手に、赤面かつ千鳥足の小男が()(ぞく)な笑みを浮かべながら立っている。


 どこかで見た顔だとジャックは思うが、それが誰かは判別できなかった。


「誰だ貴様は」


 ゆえに思ったまま(すい)()をすれば、小男は口角に泡を飛ばして。


「俺様のことを忘れたのかよ」


 と大声で反論する。

 だがジャックにはそう言われたところで思い出せない。


「済まんが分からん。何の用だ」

「銀貨三枚を持ってきたぜ。今日こそ、その奴隷を貸してくれよ」


 小男はそう言ってアリスを指差す。豚のように肥えた汚らしい指であった。祈りを中断されたアリスは迷惑そうに――あるいは穢れた者を見るように――男を見詰める。そこでジャックは、この世界に来た直後、面倒な男達に絡まれたことを。そこにいる男に椅子を投げつけて昏倒させたことを思い出す。その騒ぎをヘンリーが上手く取りなしてくれたことも。


「断る。いくら大金を積まれたところで彼女は渡さない」

「良いだろう少しくらい。悪いようにはしないぜ。何なら金貨一枚でもいいぞ」

「金額の問題じゃない。お引き取り願おう」

「強情な奴だな。たかだか奴隷の一匹じゃねえか。何をそんなにこだわってやがる。ちっと顔が良いだけの売春婦だろう」

「何だと貴様」


 ジャックが立ち上がりかけた時、その肩に手を乗せて押し留めた者がいた。

 アリスではない。反対の席に座る、顔面に傷のある獣人の男であった。


「止せよ。酒場の席で暴力は御法度だぜ」

「貴殿はいつぞやの。だが仲間への侮辱を赦すわけにはいかん」

「そういう時はこうするのさ」


 犬歯を剥き出しにして笑った獣人は、懐に手を入れると、小さな巾着袋を取り出し、小男に投げつけた。袋が小男の鼻先に当たったと思った時には、小男は足許がふらつき、その場にドタリと転がってしまう。何が起きたか分からないという顔をしているあたり意識は明瞭であるようだった。しかし誰も小男の介抱をしないあたり人望が窺えるというものである。


「獣人殿、今のは」


 不可思議な現象にジャックが尋ねれば。


「毒キノコから抽出した神経毒だよ」


 と獣人が答える。


「神経毒。大丈夫なのかそれは」

「なあに。ちょっとした眩暈と運動失調になるだけさ。後遺症もない。鼻つまみ者を黙らせるにはちょうどいい代物だ」

「ありがとう、助かった。しかしなぜ私達を助けた。無視しても良かっただろう」

「放置していたらお前さんはまた椅子を投げつけそうだったからな」

「いや、そんなことはしない。直接頭に叩き込むつもりだった」

「尚のこと悪い」

「言葉の通じぬ相手には暴力で返すのがこの世界の流儀では」

「お前さんの言うことはもっともだ。だが俺はこの店の雑用兼用心棒でな。壊れた椅子を直すのも俺の仕事になるんだよ。食事だって落ち着いてしたい。それに――」


 獣人はカウンターに乗ったミートパイの一切れにかぶりつく。


「それに、何だ」

「お前さん達ふたりがお似合いに見えたからな。それを邪魔するような空気の読めぬ輩にはご退場してほしかったのさ」

「お似合い。私達がか」

「何だよ。そんな意外そうな顔をしなくたっていいだろう。稀人に奴隷とはピッタリの組み合わせじゃあないか。ああ、俺も獣人の相棒がほしかったぜ。それとも何かい。お前さんはその奴隷の主人だから同列に扱われたくないっていうのかい」

「いや、私達は一応仲間だ。正式な主人は他にいる」


 ジャックがアリスを見れば、一応は余計です、とむくれるようにアリスは言った。


「そうなのか。俺はてっきりお前さんが主人なのかと思ったよ。いつも一緒にいるものだから」

「違うよ。私はこの通り稀人だからな。彼女の補佐(サポート)がなければこの世界では生きていけないだけさ。それに彼女の本当の主人は帝都にいるんだ」

「帝都に?」


 獣人は眉を寄せる。顔面の傷が歪み、厳めしく映る。


「帝都がどうしたんだ。色々あって治安があまりよろしくないことなら知っているぞ」

「それならこれは知っているか? 知り合いの旅人から聞いた話なんだが、ほんの少し前に奴隷の大規模な反乱が起きたんだよ」

「初耳だ。しかし反乱とは穏やかじゃないな。何があったんだ」

「剣奴が集まってひと暴れしたそうだ。国の重鎮や奴隷商も多くが殺され、()(せい)も政治も(いっ)(とき)は大混乱に陥ったそうだ。一応反乱自体はすぐに鎮圧されたんだが、今や帝都じゃ奴隷の取り扱いが厳しくなってな。主人を持たない奴隷は帝国直轄で管理しようという話になったらしい。だからまあ、何だ。お前さん達は帝都に近付かない方がいいだろう。主人がいないんじゃ離ればなれにされちまう。あんたが主人だと言い張っても、奴隷に優しい主人なんて稀もいいところだ。奴隷を甘やかすから反乱が起きたと言い張る官憲に捕まってしまうぜ」

「なるほど。貴重な情報感謝する」


 ジャックは情報量として銀貨三枚をカウンターに置いた。アリスを見れば、父と慕う主人の身を案じてか、すっかり意気消沈してしまっている。


「その旅人だが、稀人について何か言っていなかったか」

「稀人? どうしてまた」

「彼女の本当の主人というのは私と同じ稀人なんだが、安否が不明でな」


 ジャックが事情を話せば、獣人は首を振った。


「いや、そういう話は聞いていないな。今度会った時に確かめてみよう」

「済まんな。手間をかける」

「いや、気にするな」


 獣人は背後をちらりと見遣った。その視線を追えば、先刻の酔いどれが獣人の女給に引き摺られていくところであった。小男は怪しい滑舌で何やら喚いているが、女給は耳を貸さずに引っ張っていく。滑稽な光景であった。


「しかし奴隷はどこまでいってもモノ扱いか。この価値観だけは未だに慣れないな」


 葡萄酒の注がれた木製のカップを傾けながらジャックは愚痴を漏らす。


「お前さんのいた世界には奴隷がいなかったのかい」

「いたよ。だが昔の話だ。今じゃ全世界で禁止されている」

「それなら農地の(かい)(こん)や鉱山の穴掘りは誰がやるんだよ。奴隷がいなきゃ世界は回らないだろう。俺達のような獣人か?」

「私のいた世界に獣人はいなかった。それに仕事には()(せん)はない――はずなんだ。だから基本的には誰しもが働く。奴隷がいなくたって私の世界は回っていたよ」


 綺麗事と分かりながらもジャックは言う。己の価値を仕事にしか見出せず、奴隷のように働いていた自分がこんなことを言うなど馬鹿げているとは思ったが、ジャックはその自嘲を無視した。奴隷制が廃止になったとはいえども、貧困や暴力などによって相手を拘束ないし売買して男なら重労働を、女なら性産業に従事させるという現代の奴隷制が残っている事実も。


 大切なのは現在である。異世界に来た身としては、過去を振り返ることすら無意味であり、振り返ったところで感傷の役にも立たないことは分かりきっていた。


「奴隷どころか獣人すらいない世界か。俺には想像もつかねえや。それに職に貴賤はない、か。面白い話だ。帝都のお偉い方にも言って聞かせてやりてえよ」

「面白くもなんともないだろう。こんなものは所詮理想論だ」

「だがその理想が俺達獣人にも必要なのさ」

「どういうことだ」

「獣人のいない世界から来たお前さんには分からないことかもしれないが俺達獣人の扱いも、とてもじゃないが良いとは言えないのさ。何せ俺達は人間と違ってそこまで賢くもなければ、手先だって器用じゃねえ。あるのは腕っ節の強さだけだ。だから俺は用心棒くらいしかできねえし、女ともなればあの通り給仕か召し使いがいいところだ」


 獣人はそう言ってホールで忙しそうに歩き回る女給を見遣る。その眼は肉親を見る時に特有の暖かい眼差しをしていた。


「家族なのか」

「そうだ。年の離れた妹だ」

「それなら、明日にでも教会に行くと良いだろう」

「教会? なんだよ急に。治療ならしないって前にも話しただろう」

「そうじゃない。一緒に旅をしたから分かるのだが、聖女殿は大変寛容な方でな。あの娘は帝都に戻って本当の大聖女になったその時には、奴隷が教会に入場しても赦されるように働きかけてくれると約束してくれたのだ」

「奴隷が教会に? 本当かよ」

「ああ、本当だとも。それに比べれば、獣人に対する差別をなくしてほしいという願いなんて些細なものじゃないのか」

「しかし聖女とやらを利用するようで気が進まないな。何よりそれを願うだけの金がない」

「あの娘はそれで金を取るような人間じゃないぞ」

「本当か。治療に金貨一枚を要求するような連中だぞ。お前さん、騙されてないのか?」

「そういう貴殿こそ、一度騙されたと思って教会に行ってみると良い。周りの人間はともかく、聖女本人はよくできた人間だぞ」

「お前さんがそこまで言うのなら――分かった。暇を作って行ってみよう」


 獣人は慎重に頷いた。会話が途切れたのを見計らって、アリスがジャックの手に触れた。


「ジャックさん。その話、私聞いておりません」

「そういえば言っていなかったな。聖女殿と二人きりになる時は、基本的にどうしたらこの国から奴隷制をなくすことができるのかを議論していたのさ。人間は神の前に平等なのだろう。ならば奴隷にだって神に祈る権利くらい与えたって罰は当たらないだろう。奴隷に教会への入場を許可するのはその偉大な功績の第一歩ということさ」

「でも――奴隷は物です。誰かの所有物であり財産です。少なくとも私は修道院でそのように教わりましたし、今でもそう思っております。これが世界の常識なんです。聖女様が働きかけたところで本当に実現するのでしょうか。むしろその活動を妨げようとして、聖女様の身が危険に晒されないかが心配です。何だかとても嫌な予感がします」


 アリスは唇を濡らす程度に葡萄酒を傾けた。


「君がそう言うと、洒落にも冗談にも聞こえないから怖いな」

「ジャックさん。今後、聖女様と行動をともにする時は気を付けてくださいね。何が起こるのか全く想像もつきません」

「ああ、了解した。しかしそうは言ってもだ。もう一緒に行動することはないだろう。聖女殿はネイロ熱で療養中だし主教殿も外には出さないだろう。そして明日こそ渓谷の攻略最終日だ。私達に同行するのは流石に無理だろう。つまり一行も明日で解散ということになる」


 ジャックが食事を開始すれば、それを見届けてからアリスは固いパンをスープに浸す。あまり行儀の良い光景とは言えなかったが、それでもアリスが行えば美しく見えるのだから不思議であるとジャックは思う。


「ジャックさんは」


 固いパンを葡萄酒で流し込んでからアリスが言った。


「渓谷の探索が終わったらどうするつもりですか?」

「あまり考えてはいなかったが、いつもの森に戻って狼や鬼を狩るつもりだ。あとはギルドに貼り出される依頼を本格的に受けても良いかもしれないな。まあ、今までと大差のない生活に戻るだけさ。本来ならば帝都にでも行って、元いた世界へ戻る方法を探したり、車の燃料を仕入れる手段を探したりすべきなのだろうが、話を聞く限り近寄らない方が良いらしいからな。そういう君はどうする予定なんだ」

「私は――いえ、私もジャックさんと変わりません。今まで通りの生活に戻るだけです。皆さんと過ごした時間は本当に楽しいものでした。それだけでなく多くのお金を稼ぐことができました。少し早いけれど言わせてください。今まで、本当にありがとうございました」


 しんみりとした口調でアリスは言った。

 まるで最後かという発言にジャックは違和を抱く。


「おい、まさか君は何か勘違いをしているんじゃないか」

「勘違い、ですか?」

「それも重大な。言っておくのは解散するのはヘンリー殿と聖女殿という四人組の話であって私と君が今まで通りともに行動することは変わらないつもりだぞ」

「……え?」

「それとも何かい。君はやはり、私という足手まといを捨てて、単独行動の方が性に合っているというのかい。それならば無理にとは言わないが」

「嫌だ。私ったら勘違いをしておりました。ジャックさんに見捨てられたのかと思いました。紛らわしい言い方をしないでください」

「何だよ。私が悪いのか」

「今のはジャックさんが悪いです。私達の仲は誰にだって。女神様にだって引き剥がせません」


 そう宣誓したアリスは葡萄酒を一飲みすると、近くを通りかかった女給を呼び付けて追加の酒を頼む。その頬が赤いのは、酒精のせいか、怒りのせいか、照れのせいかはジャックには分からなかった。


 だが、そう言われて悪い気分ではなかったことは確かであった。

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