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15.夜半の襲撃と決闘裁判

 さてどう答えたものかとジャックが悩んだ時。


 背後から馬の(ひづめ)が地面を蹴る音がした。

 その跫音は徐々に近付いてくる。


 ジャックは斧槍の石突きで車の窓を叩いてヘンリーを起こすと、焚き火を背に立ち上がる。

 すぐに剣と盾を持ったヘンリーが車から出てくる。


「どうしたジャック」

「ヘンリー殿。あんたの言う通りになった。騎兵が来るぞ」

「分かった。こっちは明かりで居場所がバレてるんだ。弓矢には気を付けろよ」

「焚き火は消すか」

「いや、もう遅い。アリス嬢。聖女サマを車の中へ。急げ」


 指示を受けたアリスは、ソフィアを揺り動かすと耳元で状況を(ささや)く。ソフィアは勢いよく身を起こすと素早く車の中へ入っていった。


 ジャックが街道へ目を凝らせば、ふたりの騎兵がやって来るのが見えた。闇夜に紛れるように黒い鎧に身を包んでいる。突撃槍(ランス)を構えて、ひとりはジャックへ、もうひとりはヘンリーへと向かってくる。


 真っ先に動いたのはアリスであった。騎兵それぞれに一発ずつ発砲するが軍馬の勢いは止まらない。ジャックは斧槍の長さを生かして騎兵の首許を貫き、ヘンリーは突撃槍を盾で弾くだけで騎兵を落馬せしめる。ジャックが騎兵の頭部を斧槍の重量で兜ごと叩き割り、ヘンリーが剣で動けなくなるまで全身を殴打する。


「ヘンリー殿。こっちは仕留めた。そいつはどうするつもりだ」

「誰に雇われたのか吐かせるのさ。だから今は殺さない。――とは言ってもなあ」


 ヘンリーは騎兵の陣羽織に描かれた三つ叉槍の紋章を見遣る。教会の象徴(シンボル)であり、誰が裏で手を引いているかなど聞かずとも分かることであった。


 その時、車からソフィアが出てくる、倒れた二名の騎士を見て顔色を変える。


「どうして教会の騎士がこんな所に。僕らを襲ったのは賊じゃなかったのか?」

「大方、邪魔になった俺達を殺して聖女サマを連れ戻すように命令されたのでしょうな。聖女サマはこいつらに見覚えはありますかい?」

「ああ、もちろんあるとも。僕――というよりは主教についていた騎士達だよ。教えてくれ。どうして僕達を襲った?」


 ソフィアは倒れた騎士のひとりに近付くと屈み込み、手を握って尋ねる。

 騎士は観念したのか、ポツリポツリと語り始める。


「主教様に命じられたのです。冒険者二人から貴女様を奪還するようにと。その者達は貴女様を堕落させる悪魔の手先だと言われたのです」

「馬鹿なことを言うな! 彼らは立派な冒険者だ。彼らに手を出すなという僕の命令を聞いていなかったのか」

「私達にとっては主教様が仰ったことが全てなのです。どうかご容赦を。そして私に治癒の奇跡をお恵みください」

「仕方ない。待っていてくれ。君の相棒も死んでいないのなら治してみせる」


 袖を(まく)り、奇跡の仕度をするソフィアの肩に手を置いたのはヘンリーであった。


「ヘンリー君。なんのつもりだい?」

「なんのつもりだはこっちのセリフです。まさかとは思いますが治療してやるつもりですか。俺達を殺しに来た連中を」

「そうだ。見殺しにはできない」

「見殺しにすべきですよ。むしろ戦場における慈悲とは介錯のことです。治してやる義理なんかありゃしないでしょう。屍体なんて河に流せばゲルが鎧ごと溶かしてくれます。何も問題なんてありません。それに治すならまずはジャックからですよ」


 ヘンリーは騎士を殴りつけた後、ジャックを指差した。


「ヘンリー殿。私なら平気だぞ」

「どこがだよ。首筋を見やがれ。血が出ている。あと少し遅ければお前は死んでいたんだぞ」


 ジャックは言われた通り首に手を遣る。手袋越しに、掌にベトリと血に濡れた感触がした。

 突撃槍の先端が掠めた傷であるらしかった。それを見たアリスとソフィアが立ち上がろうとするが、ジャックはそれを反対の手で制する。


「心配無用。こんなものは掠り傷です。ソフィア殿の手を煩わせるほどのものではありません。それよりも問題はこの騎士の処遇です」

「ジャック君。君も彼を殺すべきだと言うつもりかい?」

「たとえ治したところで仲良くなどできないでしょう。それにもう一人は死んでいる――いえ、私が殺しました。もう手遅れです」


 ジャックは己が相手にした騎士を見遣る。頭部には斧槍が深々と食い込み、最早ピクリとも動かない。誰がどう見ても処置の施しようがない屍であった。


「今この瞬間より、私達一行と主教殿の一派は完全に敵対したのです。ソフィア殿。車にお戻りください。あとは我々にお任せを」

「ジャック君。君は悪魔じゃないよね。僕には君が淡々と人を殺す殺人鬼にしか見えないよ」

「私はその日暮らしの冒険者です。追憶を邪魔されたために怒ってはおりますが――悪魔でも殺人鬼でもありません。覚悟をお決めください」

「追憶?」

「失敬、こちらの話です」

「分かった。つまらないことを言って悪かった。後のことは君達に一任するよ。今宵僕は何も見ていない。しいて言うならアリス君の膝で眠っているところを賊に襲われたくらいだよ」


 ソフィアはジャックに近付いて回復の奇跡をかける。

 たちまち首許の擦過傷は消え失せる。


「証拠の隠滅はこれくらいでいいかな。心細いからなるべく早く済ませてくれよ」

「それならアリスと一緒にお過ごしください。アリス、ソフィア殿の御身を任せてもいいか」


 未だ死にきれずにいる騎士に拳銃を向けていたアリスは話を振られたことに驚いた素振りを見せたが、特に反論することもなく頷いた。


「――さぁ、邪魔者は去ったことだし、吐くもん吐いてもらうぜ」


 ソフィアとアリスが後部座席に消えたのを見送ってから、騎士の兜を鷲掴みにしたヘンリーは言った。


「吐く? 何をだ」

「情報をだよ馬鹿野郎。衛兵を舐めんじゃねえぞ」


 ヘンリーは剣の柄で騎士の顎を殴りつける。


「まずは手前らの目的だ。俺とジャックを殺して聖女サマを保護することでいいのか?」

「ああ、そうだ」

「戦力は手前と、そこで死んでいるもうひとりだけか。援軍は来ないのか?」

「二人だけだ。秘匿された任務であるため援軍は来ない」

「本当かよ。二人を殺すのに二人を寄越すんじゃ足りねえだろ。万一失敗したらどうすんだ。嘘吐いたってろくなことはねえぞ」

「本当だ。私達は奇襲のつもりで来たんだ。それに馬にだって乗っていた。陣形のない歩兵に突撃して負けるなど考えもしなかった」

「ふん、信じてやるよ。おいジャック。お前から聞いておきたいことはあるか?」


 ヘンリーは振り返る。酷く落ち着き払った声であった。

 初めて他人を殺めたことによる一種の恐慌(パニック)に陥っていたジャックは、その自然体を見て(いく)(ばく)かの冷静を取り戻す。


「最期に言い残すことはあるか」


 喋ってから、ジャックは自身の喉が酷く(しわが)れていることを自覚する。


「それならば、シリウス騎士長にこれを渡してくれないか」


 そう言った騎士は懐から()(しゅう)の入った黒い手巾を取り出す。


「これは何だ。渡すとどうなる」

「私の想いを(つづ)った手紙が中に収めてあるのだ。生きている間に想いを告げることはできなかったが、ここで殺されるのならば、せめて想いだけでも届けてほしい」

「馬鹿か貴様は。これを渡せば私達が貴様を殺したと言っているようなものではないか」

「それでも、頼む」

「……分かった。時機を見て渡そう」


 ジャックが受け取れば、その瞬間、騎士はガクリと脱力した。

 ヘンリーが鎧の合間を縫って、短剣(ダガー)で心臓を(えぐ)ったのだと分かった時には、騎士は血を流して死んでいた。あまりにもあっけない死に様であり、人間はこんなにもあっさりと死んでしまうのかとジャックは呆然としてしまう。動けずにいるジャックを余所に、ヘンリーは屍となった騎士をひとり河まで運ぼうと悪戦苦闘している。


「おいこら。いつまで固まっているつもりだ。手伝え」

「分かった。今行く」


 上半身をヘンリーが、下半身をジャックが抱えて、二つの骸を河へと遺棄する。突撃槍や甲冑などといった装備品の()(かく)も考えたが、教会の関係者に発見される可能性を考え、また自身は盗賊ではないのだという自尊心もあり結局何も得ることはしなかった。

 二頭の軍馬はいつの間にか去っていた。


 一仕事を終え、焚き火を囲いながら煙草を吹かしていても、ジャックの胸に(わだかま)(つか)えは取れなかった。人殺しという禁忌(タブー)を犯した自身が(けが)れた生き物のように思えてならなかった。両の掌には、甲冑ごと相手の頭蓋を割ったザクリという手応えがまだ残っていた。斧槍を見れば、刺突部と刃に光沢のない血が付着している。夜の暗さも相まって、墨汁を塗りたくったかのようであった。


「浮かない顔をしてやがる。煙草が湿()()っていたのか?」

「いいや違う。いつも通りの美味い煙草だよ」

「ならどうした」

「初めて人を殺した。だから、何だ。妙に落ち着かないだけだ」

「なんだそんなことかよ」


 心配して損したぜ、と言ってヘンリーは煙を上方に吐き出した。


「なんだとはなんだ。ヘンリー殿は今まで人を殺したことはあるのか」

「あるよ。盗賊に襲われて仕方なくだけどな」

「罪に問われはしなかったのか」

「しない。法律では確かに人を殺めるなとは言われているが、誰が正直に名乗り出るんだよ。殺さなかったら殺されるのはこっちなんだ。割り切るしかねえだろそんなもん」

「そういうものか」

「そういうものだ。さっきの戦いだって、お前はあと少しで死ぬところだったんだぞ。殺される前に殺すしかないんだ。お前にだって守りたいものはあるんだろ」


 ジャックは答えることができなかった。

 真っ先に思い浮かんだのはアリスの美しい(かんばせ)であった。

 アリスとの生活を守るためなら人を殺めても良いという本能の声を確かに聞いた。


「そういえばお前」


 ヘンリーは焚き火に薪を追加した。パチという爆ぜる音がして、火の勢いが僅かに強まる。


「あの騎士から何か頼まれていたな。どうするんだ。棄てるなら今のうちだぞ。ほら、燃やしちまえよ」

「いや。この手紙は私が責任を持って渡す」

「正気かよ。俺達を殺しに来た相手だぞ。頼まれ事をされる筋合いなんざねえんだ。お前が言った通り、俺達が連中を殺したと自白するようなものじゃねえか」

「無論それも考えたさ。だが私達がソフィア殿を教会に送り届ける以上、知らぬ存ぜぬを貫くにも限度があるだろう。何せネイロの村からここまでは一本道だ。会敵しないわけがないのだからな。それに」

「それに、何だよ」

「人が人を愛するということは尊いものだろう。神聖なものだろう。美しいものだろう。私はあの騎士を見て、人間らしさとは何だったのかを思い出した気がするのだ。だからその思いに応えてやりたいと思ったのだ。手巾を渡すくらいわけないさ」


 ジャックが言い切れば、そうかお前はそういう奴だったな、と言ってヘンリーは諦めたように溜息を吐いた。


「そこまでの覚悟があるのなら俺はもう何も言わねえよ。ただしもう俺を巻き込むなよ」


 そう言われて、ジャックは事の発端が、自身がソフィアに奴隷制度への反論を(ふい)(ちょう)したという嫌疑であることを思い出す。


「ああ、分かっているとも。この度は助かった。私ひとりでは死んでいただろう」

「感謝しているのなら一本くらい寄越せ」

「断る。貴重品なんだ。これがないと鍛冶屋で安く買い物ができなくなる」

「ああ。あそこの爺様も煙草が大好きだからな畜生」


 ヘンリーは美味そうに煙草を吐き出す。そこで会話が途切れる。

 緊張が(ほぐ)れたせいか、ジャックは急に瞼が重くなるのを感じた。敵襲こそあったが、一応は交代時刻である夜半を過ぎている――はずである。ジャックが立ち上がり、車内で眠ろうとした時である。後部座席のドアが勢いよく開かれた。出てきたのはアリスであった。


「ジャックさん、大変です。聖女様の具合が良くありません」

「具合が良くない。具体的にはどんな症状だ」

「凄い熱があって咳もしています。頭痛と悪寒もするそうです」

「典型的な風邪の症状だな。分かった。今薬の用意をする」


 ジャックは後部ドアを開けて救急箱から総合風邪薬と冷却シートを取り出す。解熱鎮痛剤との併用も考えたが、副作用が予想できないため止めにした。


 ソフィアに薬を飲ませ、小さな額に冷却シートを張り付け、その身体を毛布でくるんでやる。素人のジャックが一目で分かるほどにソフィアは衰弱していた。急激な体調の変化に戸惑っていれば、険しい顔をしたヘンリーが手招きしてジャックを呼び付ける。


「どうしたヘンリー殿」

「聖女サマの症状だが、ありゃただの風邪じゃねえ。ネイロ熱の可能性がある」

「ネイロ熱。何だそれは。風土病か」

「ああそうだ。最初はただの風邪に似た症状だから皆油断するんだが、その後に高熱と頭痛、咳と全身の痛みが続くんだ。聖女サマもどこかで病原菌をもらってしまったのかもしれねえ。実は俺のガキが死んだのもネイロ熱なんだよ」

「ネイロ熱については分かった。特効薬はあるのか」

「ある。ネイロ村の医者は経験豊富な爺だ。そいつに診せれば一発で分かるはずだ。そういうわけだから今回の探索はここいらで切り上げてネイロ村に引き揚げた方がいい」

「そうだな。当初の予定ではもう少し切り込めるはずだったんだが致し方ない。よし、焚き火の後始末は任せた。私はソフィア殿とアリスに事情を話して帰りの仕度をする。今から運転すれば明け頃にはネイロ村に着くだろう」


 ジャックが血塗れの斧槍を屋根に括り、ソフィアとアリスに帰還の旨を伝えれば、ソフィアは申し訳なさそうな顔をした後に頷いた。その頃にはヘンリーも助手席に乗り込む。運転席に座ったジャックは、全員の準備が整ったのを確認した後、ライトを点けて車を発進させる。


 体力的に疲弊もしていたし眠気もあったが、すぐ後ろで熱に浮かされているソフィアがいる以上、止まるわけにはいかなかった。





 ネイロ村の西門に着いた頃には陽も昇り夜明けを迎えていた。門衛との交渉をヘンリーに任せていれば、すぐに門が開かれる。ジャックは村の中を慎重に進めていく。


「ヘンリー殿。医者がいる家はどこだ」

「あー、待て。医者は裏通りの入り組んだ所に住んでいて、おまけに治安もそこまで良くはねえ。とてもじゃないがアリス嬢や聖女サマを連れていけるところじゃねえんだ。お前らは先に教会に行って聖女サマを休ませてやれ。医者は俺が走って呼びに行く」


 そう言うなり、剣と盾を背負ったヘンリーは降車する。


「分かった。教会で待っている。気を付けろよ」

「お前もな。自分が暗殺されかけた人間だということを忘れんなよ」


 ヘンリーは民家と民家の間をすり抜けるようにして裏通りに消えていった。

 ジャックは車を再度発進させ、真っ直ぐ教会へと向かう。ソフィアを見れば、明らかに頬が赤く、呼吸も荒い。苦しそうであった。


 教会に着いたジャックは、車を降りて後部座席のドアを開ける。その頃にはソフィアも覚醒し、車から自力で降りようとするも足許がふらついてしまう。見かねたジャックは一言断ってから抱え上げる。本当に肉がついているのかと思うほどに軽い身体であった。


「ジャック君、手間を掛けさせて悪いね。重かったら放り捨てても構わないよ」

「病人が気を遣わないでください。アリス。念のため護衛を頼む」


 ジャックが乞えば、拳銃を構えたアリスは先導する。

 教会の扉は押しても開かなかった。


 アリスが三度、叩音(ノック)をすれば少々遅れて中から返事が聞こえる。司祭の声であった。


「朝早くに申し訳ない。稀人のジャックだ。聖女殿を連れてきた。入れていただきたい」


 扉が開かれる。

 出てきたのは司祭と修道女であった。

 二人はジャックが抱えたソフィアの姿を見て仰天する。


「ジャック殿。聖女様はどうされたのですか。冒険に出たと伺っております」

「体調を崩されたので(きゅう)(きょ)戻ってきたのだ。中に入れて休ませてほしい」

「分かりました。修道女、すぐに寝台の用意を。湯浴みの仕度もお願いします。主教殿と騎士殿にも事の次第をお伝えしてください」


 司祭の命令を受けて、赤毛の修道女はパタパタと奥の間に駆けていく。


「さあ、ひとまずは中にお入りください。長椅子を寝台代わりに使いましょう」

「分かった。アリス、君は車で待機していてくれ」


 ジャックが言えば、アリスは心配したようだが引き下がっていった。


 教会の長椅子にソフィアを横たえ、ないよりはましだと、ジャックは己の膝を枕に差し出す。服用した薬のせいか、ソフィアはすぐに寝入ってしまった。


「体調が優れない中無理に出発したとは聞いておりましたが、まさかここまでとは」

「一応、私達も薬を飲ませ、無理だけはさせないようにと見張ってはいたのだが、夜半頃に、急に具合を悪くされてな。ああ、そうだ。今、仲間のひとりが裏通りまで走って医者を呼びに行っている最中だ」

「そうですか。何から何までありがとうございます」

「いや、なに。ソフィア殿の御身に何かあれば教会に恨まれるどころか殺されてしまうからな。我が身の保身でやっていることだ。礼には及ばない」


 ジャックが謙遜した時、奥の間に続く扉が開かれた。入ってきたのはシリウスであった。ジャックと、ジャックの膝で苦しそうに眠るソフィアを見るなりジャックの胸倉を掴み上げる。

「貴様、話は聞いたぞ。よくも顔を出せたものだな」

「急になんだ、無礼な奴だな。止せよ、ソフィア殿が起きる。それともなんだ。そんなに私が生きていることが不思議か」

「……何を言っている?」

「騎士二人が派遣されたことにあんたは関与していないのか」


 ジャックが己の襟を掴む手首を潰すほどに握り締めれば、呻いたシリウスは手を放す。


「だから貴様は何を言っている。確かに二人の騎士が昨日から姿を見せないが、どうして貴様がそれを知っている?」

「ふむ、だとすれば関与しているのは主教殿だけか。僅か二人で私達を殺そうなどとは大きく出たものだな」

「おい、質問に答えろ。聞いているのは私の方だぞ」

「ああ、失敬。あんたが関与していないのなら、忘れないうちに渡してた方がいいだろう」

「何を言っている?」

「実は昨日の夜半、賊に襲われてな」

「賊だと? 貴様は聖女様を守ったのだろうな」

「もちろんだ。その賊だが、騎馬に乗った二人組だった。有無を言わさずかかってきたものだから殺す他なかったのだが、そのうちのひとりがこんなものを持っていてな」


 ジャックは懐から黒い手巾を取り出し、シリウスに握らせる。血相を変えたシリウスは手巾を開き、その中に修められた紙片に目を凝らす。その見開かれた瞳にはジワリと涙が浮かぶ。紙片がハラリと滑り落ちたと思った時には、シリウスの右手が刺剣に伸びていた。


「お止めなさい!」


 シリウスの剣を止めたのは、応酬を見守っていた司祭の叱責であった。

 抜かれたシリウスの白刃は、ジャックの首筋で――首の皮一枚を切ったところで――止められていた。凄まじい速度であり、ジャックは身動きひとつとれなかった。


「ここは教会、まして聖女様のいる場。いかなる事情があれども血を流すことは何があっても赦されませんぞ!」

「しかし司祭殿。この稀人は私の同胞を殺したのです。罪には罰が必要だと女神様も仰っております」

「シリウス殿。それは貴女が復讐をしたいというごく個人的な感情ではありませんか。それに聞けばジャック殿は自分と聖女様の御身を守ろうとしただけ。そこに何の咎がありましょうか」


 司祭に諭され、シリウスは怒りに震えながらも刺剣を鞘に収めた。


「稀人よ。今は殺さないでやる。だが私は貴様を赦すことは絶対にない。覚えておけ」

「私を恨むのは筋違いというものではないのか。本当に憎むべきは、騎士達に私達を殺せと命じた主教殿の方ではないのか。割りを食うのはいつだって下っ端だ」

「主教殿が貴様を殺そうとしたのか」

「だからそう言っている。あんたも主教殿が私を脅すところを見ていただろう。他に誰がいる」

「だが実際に手を下したのは貴様だ。貴様らだ。誰が何と言おうと私は貴様を赦さない」


 シリウスは断ずる。その時、またも奥の間に続く扉が開かれた。今度は主教であった。


「それならば――」


 話を聞いていたとばかりに主教は言った。


「決闘裁判をされてはいかがでしょうか」


 不審に思ったのはジャックである。


「決闘裁判だと。何だそれは」

「互いの名誉と生命を賭けて戦う(ほう)(とう)の儀式とでも言いましょうか。相手をどうしても赦せない時における最後の和解の手段ですよ」

「何が和解の手段だ。よくもまあいけしゃあしゃあと語る。その決闘とやらで死んでしまっては元も子もないだろう。主教殿。それほどまでに私が生きていることが気に食わないのか」


 主教は唇の端に笑みを残すだけで答えなかった。それが何よりの答えであった。


「決闘裁判か。良いだろう」


 頷いたのはシリウスであった。


「女神様に誓おう。貴様を殺し、同胞達の敵討ちをしてやることを。無念を晴らすことを」

「何ひとりで盛り上がっている。悪いが私には決闘を受ける理由がない。恨むのなら勝手に恨め。誰も赦してくれなどと言っていない。そも、諸悪の根源はそこにいる主教殿ではないか」

「稀人風情が主教殿に向かって何様のつもりだ。第一決闘の誓いは、貴様がどんな理屈を並べ立てたところで断ることはできない。選べ。今ここで無抵抗に殺されるか。決闘で僅かな生存の可能性に望みを見出すかを。言っておくが、これは手巾を持ってきてくれた貴様に対する私なりの慈悲だ」

「慈悲の結果が殺し合いとは、教会の人間は()(なまぐさ)いものだな」

「なんとでも言うが良い。貴様は決闘を受けるか否か。答えろ!」


 激昂したシリウスは刺剣をジャックに向ける。その声で眠っていたソフィアが身を起こす。酷く(おっ)(くう)そうであり、依然体調は優れないようであった。


「止めないか、シリウス。ジャック君は僕を守ってくれたんだ。その結果として、君の大切な人が死んでしまったのは残念だが、それでもジャック君は何も悪くない」


 ソフィアはジャックとシリウスの間に割って入る。

 その姿にシリウスは動揺するが、すぐに持ち直す。


 ――大切な人を奪ったか。ならば逃げてばかりもいられまい。


 そこまで考えれば決断するのも早かった。

 ジャックは立ち上がる。


「良いだろう、決闘だな。その挑戦、受けて立とう」

「駄目だ、ジャック君」

「ソフィア殿。心配無用ですよ。私なら大丈夫です」


 ジャックはソフィアを宥めたつもりであったが、ソフィアはジャックを心配そうに見詰めていた。その眼差しを見て、アリスに似ているな――とジャックは思った。

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